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深尾須磨子さんへ

深尾須磨子さんの「マダム・Xの春」を読んだ。行間から「誰に遠慮が要るものか。己の心のままに生きるのだ」という声が聴こえたような気がした。素直な語り口が好ましかった。彼女を日本のサッフォのようにだけ捉えている評価は残念だ。 
 彼女は鮮やかな「女」だった。四十八才の時に、二十四才の若者に、十五本の恋文を書かせた佳人。鏡の中の老いに怯え、「そっと勝利者になっておこう」と身を引いた。彼女は書く。「いのちで書き、いのちで産む、それが芸術の真髄である。人間性を忘れ、いのちを忘れた芸術が何になろう」と。与謝野晶子さんを「慈母」と仰ぎ、「自らが渇望した自由を、彼女はすべてに与えようとした」と感謝している。彼女の詩を引用したい。

「わたしのうた」

誰のものでもない
空よ 海よ
風よ 光よ 大宇宙よ
星も 花も
小鳥も水も
みんな みんな
誰のものでもない

誰のものでもない
わたしのうたよ
いつも自由の調べにのり
路傍の人々にささやけよ
まづしい窓べに忍び入れよ
むづかる子らをあやし
みなし児の夢に
母の子守唄を運べよ
そして金持や悪者たちをもしんみりさせて……
おお 誰のものでもない
森羅万象(ものみな)よ
わたしのうたよ

 図書館の保存庫に眠っていたこの本が、生前の写真と共に私の前に現れた。私は彼女に深紅の薔薇を捧げたい。現実の生活で、笑い、泣き、美しいものを残していった一人の女性。しかし、多くの人の中で、私の前を通った方へ。
  

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