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レヴュー「非常宣言」

【ネタバレあり】

韓国映画「非常宣言」を見てきた。
飛行機内でおきるバイオテロという、最悪のストーリー。しかし、ただのパニック映画かといわれればそうではない。どちらかといえばヒューマンストーリーなのではないかと思い、感想を書きのこそうとおもう。

好きな俳優が出演していることもあったし、まわりに勧められたということもあったし、地元でも上映していたという事もあり、いろいろ「見る」環境がそろったため見に行ったわけだが、映画館も久しぶりという感じ。定番のポップコーンとコーヒーをおともに鑑賞スタート!

一人の男が感染したら発症まで短時間で血管が破裂する粉末状のウイルスを飛行機内に持ち込む。まずはトイレに行ってそれを仕掛けるわけだが、運悪く次にトイレに入った乗客、トイレ内で粉末が頭上から降ってきて文句を言い、それの対応に向かう客室乗務員。事前に犯人による飛行機テロを予告した映像の存在を知ってはいたが、まさか自分が乗務している便に犯人がいるとも思わずに不用意にウイルスである粉を手で触り・・・と密閉された空間で感染が広がっていく。すぐに死者も出て機内はパニックになる。

まずパイロットが感染した客室乗務員が用意した機内食から感染し死亡。操縦が不能になり飛行機は錐もみ状態で急降下。何が起きているかわからない機内では悲鳴と共に、安全ベルトをしていない人々が宙を舞う。そんな中でも業務を全うしようとする客室乗務員、なんとか副操縦士と、たまたま乗り合わせた元パイロットが墜落を回避するが感染の恐怖と闘いながらのフライトは続く。

乗客たちは自発的に自治をするものが現れ、感染のしるしである水泡が体に出た者に対して、機体の後方へ移るよう厳しく指示をする。その元パイロットの娘はアトピーを水泡と疑われ後方に行くよう言われ、これは水泡ではないと食い下がるも、娘本人がいたたまれず「後ろにいこう」と言い出す。また別の女子高生のグループの一人も水泡を疑われ仲間でかばうものの、「みんなのために」言ってるんだ、と強く後方へ行くように怒鳴りつける。それを見て、中年のおばさんグループが「あなたには子供はいないのか!」とその態度に反発して、女子高生グループと一緒におばさんグループも自ら後方へ移動した。

さて、自分だったらどうするだろうか?生き残りたい一心で少しでも感染の疑いのある人を排除するか?自分は感染していなくても、感染者の気持ちを和らげるために一緒に行動するか?

飛行機には目的地がある。飛行機バイオテロは犯人の部屋から同じウイルスで死亡したとみられる遺体が発見され、機内でWi-Fiを使う人たちの地上の情報から、今搭乗している飛行機の中で何が起こっているのかが遅ればせながら把握できた。咳、発熱などの症状が出た者は死の恐怖と闘いながら、感染していないものもいつ感染するのかという恐怖と闘いながら一刻も早くこの飛行機から降りたいと願っただろう。目的地ホノルルを目の前にして、アメリカから着陸拒否を受けてしまう。このままソウルに戻るとしても燃料の不安があり、すでに副操縦士も感染の症状が出ており、このまま復路をまともに操縦しきれる保証もない。また多くの乗客が感染している中でこれ以上死者を出さないためにもここで引き返すのはあまりにもリスクが高かった。しかし、着陸態勢がとれない以上引き返すしかなかった。もはや進路も退路も絶たれた殺人ウイルスを乗せた空飛ぶ密室。

地上では犯人が働いていた製薬会社と政府との取引の上、治療薬があることがわかり、それを無償で提供されることが発表され、乗客、乗客の帰りを待つ家族たちが歓喜に沸いた。絶望の中のひとすじの希望。副操縦士の体力も限界に近づいていた。元パイロットと副操縦士には因縁があった。元パイロットの操縦した飛行機のトラブルで副操縦士の妻が命を落としていた。それが原因で元パイロットはもう操縦桿を握ることはできなくなっていた。また、妻を奪われた恨みが副操縦士にはあった。そんな二人がいまや力をあわせないとこの機体を操縦し、乗客をソウルに送り届けることはできなかった。もう時間も燃料もなかった。ソウルの手前、成田に降りたいと希望し、治療薬もあることから国家間でも申し入れをしたが、成田も着陸を拒否。実力行使に出られて成田にも降り立つことが叶わなかった。そしてソウルへ。

乗客の家族たちは仁川空港に駆けつけていた。機内からは電波が遅いながらも状況が地上に伝えられていて、政府も対応を急いでいた。ソウルにあの機体が戻ってくる。最初は歓迎ムードだったにもかかわらず、治療薬が本当に効果があるかの確証が怪しくなり、もはや韓国国内でも「戻ってくるな」の声が大きくなった。世論調査でも着陸「反対」派が「賛成」派を上回っていた。市内では両派のデモさえ起きていて、警察が出動する事態となっている。そのことは機内にも伝わっていた。乗客は覚悟を決めていた。もう戻れない。戻ることはできない。最後にテレビ電話を使って家族に最後のあいさつをする人々。愛を伝えるもの、隠し金の有りかを伝えるもの、残されたものの健康を願うもの、泣いて言葉にならないもの。それぞれのラストメッセージ。

地上では、バイオテロ犯人を追っていた刑事が後輩の制止もきかずに自分の体にウイルスを投与して、感染後治療薬が効くのかを自らの命を差し出して証明しようとしていた。妻がその飛行機に乗っていた。効果があればソウルに着陸できる。その一途な思いだけで。そして、壮絶な苦しみの後、一度は死んだかのように動かなかった身体だったが、再び動き出し、治療薬の効果が認められた。一気に国内への着陸を願うおもいが高まる。上空を飛ぶ飛行機に向けられたスマホの光る画面。

コックピットでは、感染により体力の限界を迎えた副操縦士にかわり元パイロットが操縦桿を握っていた。乗客全員が降りないと決断した後、元パイロットはその意思を政府に伝え、交信を断っていた。しかし状況が変わった。治療薬の効果があるとわかり、乗客の家族から乗客に伝えられコックピットに伝えられた。歓声が上がる機内。先ほど感染者を強く排除していたものにも感染の兆しがあったが、その男は自分が助かるとわかった瞬間大喜びをした。

急きょ着陸態勢をとらねばならない。指定されたソウル飛行場までは燃料は持ちそうにない、手前の飛行場に着陸要請を出すが、そこは狭く、ブレーキが効かなかった場合大きな被害が予想され、反対の意見もあった、が、迷っている暇はなかった。因縁の二人、コックピットで交わされる会話には慰めと許しがあった。そしてソウル飛行場をまたずして手前の飛行場に着陸する。急な着陸なため何度かやり直し、急降下による衝撃もすごい。乗客は静かに耐えた。信じた。そして祈った。

この事件はだれが悪かったのか。もちろんウイルスを持ち込んだ犯人が悪いが、どうしてここまでの強い衝動があったのかそこは詳しくは説明されない。生き残った人々が再びつどい、ガーデンパーティーのような平和なシーンに続く。身をもって治療薬の効果を示した刑事の体は、ウイルスの量が多くその後車いすで多くの管につながれ、話すこともままならない。後輩はあっけらかんともうすぐ元気になりますよと笑って話した。元パイロットの悲しみとも笑いともつかない笑顔が印象的だった。

と、あらすじを書いたらこんなに長くなってしまった。反省。

この映画はぜひ映画館で見てもらいたい作品だ。なぜなら暗い空間があたかも自分もその絶望の機体に乗っているかのような錯覚を起こし、緊迫感がすごいからだ。乗客の一人となって感情の揺れ動きがよくわかる。

なぜパニック映画にとどまらないのか。

実は犯人は序盤に自らウイルスに感染して死亡している。その先の話がほとんどだ。犯人捜しのストーリーでもなければ、単に恐怖をあおって人が殺される内容でもなく、「自分ならどうするか」を常に問いかける映画だからだ。

自分が客室乗務員だったら?不用意に不審な粉を触って感染してしまうのをみて、「危ない」と思ったけれど、自分だったら同じことをしてしまいそうだ。自分のことより乗客のことを優先できるだろうか?冷静に対応できるだろうか?
自分が乗客だったら?自分だけ助かりたいと醜い姿をさらすだろうか?自分だけ助かりたいのは悪いことなのだろうか?パニック状態で他人を思いやることができるだろうか?死にゆく人にやさしい言葉をかけられるだろうか?
自分がパイロットだったら?多くの命が自分にかかっているときに、重大な判断を自分でできるだろうか?自分の判断で他人の命の責任をとれるだろうか?そもそも事件に巻き込まれたのは自分の責任なのか?
自分が刑事だったら?自分の体を実験台にすることができるだろうか?人間の命を軽く判断する政府への怒りをどう表すだろうか?

そうやって自分の立場がくるくる変わって、自分の醜い部分があぶりだされる気分だった。なぜなら、地上にいたら私は着陸「反対」というのではないかと思ったからだ。そして、治療薬に効果があるとなったらサッと「賛成」といいそうだからだ。自分さえよければ、自分に被害さえなければいい、そんな自分の中身を見透かされたようだった。自分が機内にいたら、着陸を断念しただろうか?答えはわからない。究極の状況の中で、勇敢な判断ができるだろうか、私は。

そしてこの物語は理不尽だ。最初犯人はどの便に乗るかも決めていなかった。みな「たまたま」乗り合わせただけだった。元パイロットもたまたま居合わせたのだ。それなのに最後は乗客全員の命を預かり失敗できない状況まで追い詰められた。人は悪いことが起こると「普段の行いが悪かった」などといいたがるが、この乗客全員が悪人だったとは思えない。感染した人たちも感染したこと自体に罪はない。

いま3年も続くコロナ時代を生きているわけだが、この不運な飛行機「スカイコリア501便」は「地球」と言い換えることもできる。地球から下りることもできない。感染自体に罪はない。それをどう扱うか、どう向き合うのか、醜い自分の内面と向き合いながら新しい答えを見つけていかなくてはならないのかもしれない。

死を覚悟した時にやさしい自分でありたいとおもった。


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