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家族という厄介なもの

学生時代、手相を見られて、「家族の縁が薄い、早くに独立する」といわれた。その時は全然ピンとこなかった。結果、両親に早めに旅立たれ、独立は遅かった。半分当たって半分外れたようなものだ。

53歳にして両親は他界、夫はいるが子はいない。兄弟は兄と妹、二人とも独身。父は一人っ子だったためもう親戚づきあいはない。母のほうは兄弟がいて、いとこもいるがもう数年、連絡とっていない。言われてみれば家族の縁は薄いといえそうだ。

しかし家族というのは厄介なものだ。「亭主元気で留守がいい」とは何十年前のはやりだったろうか?元気でいてくれてかかわりを持たないでもらえるのが一番幸せという気がする。病気もなく、借金や変な貸し借りもなく、存在はあるけど、関係は極力少ない。この年になると、関わるというときはマイナスの時だ。簡単に済む話ならいいが、そうではない場合本当に面倒に感じてしまう。叔父が病気になった時、なぜか姪の私のところに話がきて物心両面で世話をすることになったし、妹は大きな買いものや、仕事を変えるたびに保証人を私に頼んでくる。

面倒くさいからといって見捨てるわけにもいかないのが家族だ。それが厄介の原因。家族、血縁というだけで普段は気にもしない誰かの責任がのしかかってくる苦しさがある。そして、変に家族だからお互い遠慮もない。言いたいことを言って傷つけたり、コテンパンにのしたりする。その後味の悪さといったらない。

だからできるだけ平和に過ごしていたいものだが、50もすぎればなかなかそうもいかない場面も多い。自分はいつまでも子供のつもりだが、世間的にはいろんな判断をゆだねられ決定していく年齢。そのへんのギャップも結構つらかったりする。

叔父、叔母、兄弟、夫、夫の家族、たったこれだけしかいないが、彼らを見送り、最期を決めていく仕事が自分にあるのかと思うと、ちょっと憂鬱になったりする。普段好きなことしかしていない分、やる義務がある仕事が重たく感じる。表向き仲良くできているからまだいい方だと自分に言い聞かせる。

ちょうど友達が家族との関係で悩んでいる。家族ゆえ容赦ないやりとり、また、「こうだろう」という思い込みが状況を悪化させて、疲弊している友達を見ると、もう家族といえど離れてしまえと口を出してしまう。一時的な冷戦はありうるだろう。家族なんだから仲良くできるはずという呪縛から解き放たれてたとしても、縁を切ることはできない。何かあればやっぱり顔を突き合わせて家族で解決していかなくてはならない場面がでてくる。

あぁ、家族というこの厄介なもの

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