色んな人のnoteを読んだ

私は、好んで精神疾患の人のnoteを読んでいる。

私が理解が進まないのは、ADHDだという人たちについてだ。文章を読む限り、一般の人たちと変わらない感じがするからだ。たぶん、その障害を持つ人の生活を観察してみたら、「これか!」と解るのかもしれない。
障害というのも、名前をつけてしまえばスッキリするようだけど、実際はグラデーションのような感じで、障害なのか、そうではなくて「人間だから」みたいな、白黒はっきりしない部分もあるかもしれない。

私は学歴は高卒で、就活の問題なんて言語以外の問題は今はほとんど解けない、つまり高校時代当時は解けた問題も忘れてしまった!という人間だ。実際、仕事で使う必要が無いから忘れてしまった。本当は、思いきり学問してみたかったが、「生活する」ために、地道な仕事を20年間時々立ち止まりながらも続けてきたために、「感情労働」「事故防止」「疾患の観察」みたいな部分にアンテナがある状態。

他の精神疾患の人のnoteを読んでいて、「学歴あるのに、もったいない」「几帳面だな」とか、個性様々なバラエティに富んだ世界を垣間見たようだった。

私ができるのは、目の前に生きる「他人の手を借りなければ」生きられない沢山の人に手を貸すだけだ。時々「死を待つ人」なんだよなぁと思わされるのだけど、私が20年前にこの仕事に就いた辺りは「死」は、今より遠かった。

今、「私がしたかった、なりたかったこと」って何だっけ?と思っても、靄を掬うような感覚しかない。流れついて今に至っているし、特に成し遂げたこともないけど、親も見送ったし、精神疾患以外に大病していないことや(低音障害型感音難聴は治るのに数年かかった。逆流性食道炎とかは辛かったけど。)まだ他人に危害を加えてないし、加えられたこともない!というのは不幸中の幸いなんじゃないかって思う。

私の人生は、目立たない「ひっそりさん」なのだ。小さく小さく生きるのだ。そういう私はタオルの輪は正面に揃える派だ。冷静沈着に...。

双極性障害の私だが、今日は早朝から7時間ノンストップ業務を無事に遂行。休憩挟んで更に2時間。なんでこんなに介助量が多いんだ!という詰まりに詰まった内容だったが、皆さん安全に過ごされたので良しとしよう。全国の同じ職業の方々に、「今日も一日お疲れ様でした」を捧げ、このnoteを閉じるとしよう。

( ゚ー゚) >シュッ

  

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