成り変わり夢の悲しみ


賛否両論があることは承知の上での論である。

二次創作は、原作が好きだからこそ行うファン活動であり、原作に新しい視点を加えることで楽しみを広げるものだ。特に夢小説は、自分を登場人物に見立てたり、理想のシナリオを描いたりする魅力がある。しかし、その中でも「成り代わり」という形態には疑問を抱かざるを得ない。


二次創作の基本は、やはり原作への愛情と敬意だ。原作のキャラクターやストーリーを尊重し、それを拡張する形で新しい物語を創り上げることが重要だ。これによって原作の素晴らしさを再確認できるというものだ。

しかし、成り代わり夢小説には問題が多い。第一に、原作キャラクターの存在価値が失われる点だ。原作キャラクターの背景や性格が無視され、全く別のキャラクターがその位置に立つことで、原作の魅力が損なわれる。第二に、原作への敬意が欠如していると感じる点だ。原作キャラクターを置き換える行為は、原作者の意図や努力を軽視しているように思える。

そして何より、何より私を悲しみのどん底に落とし込むのは検索結果に裏切られる点だ。
元来「大衆に人気のあるキャラクターを愛せない業」を背負った私としては、相対的にマイナーキャラクターである彼(以下K)の夢小説を涎を垂らしながら検索することになるわけだ。きっとこの世には同志がいるはず。作品自体は有名なものなのだから。書き手は潤沢なはずと喜び勇んで検索する。
するとどうだろうか。

たくさんヒットしたのだ。
「K成り変わり夢」が。

このときの絶望といったらない。Kに成り変わるということは、そこに原作のKだけは絶対に登場しないのだから。それを愛せというのは流石に鬼畜の所業だろう。
とはいえ私も数多の過疎ジャンルを渡り歩き、ほんの一滴の供給で命を繋ぐ術を覚えた者。とりあえず口に入れてみるまで味はわからない。読んだとも。それを。当然のことながらKは出てこないのだが。
私は血涙を振り絞りながら最後の望みである「マイナス検索」に一縷の望みをかけた。私の望みはKに成り変わることではなく、Kと自分を投影したキャラクターの交流なのだから。

結果は0だ。それが現実だ。


理想的な二次創作は、原作に付加する形が望ましい。原作の設定やキャラクターを尊重し、新たな視点やエピソードを加えることで、原作の世界をより深く楽しむことができる。例えば、原作の謎に対する独自の解釈やキャラクター同士の関係を掘り下げるストーリーなどが考えられる。つまり、原作の隙間を埋めるようなものを求めているのだ。

二次創作では、原作キャラクターの存在を尊重することが重要だ。成り代わり夢小説は、原作への敬意を欠き、原作ファンの期待を裏切る可能性が高いとは思わないか。夢小説に対する好みや意見は人それぞれであり、賛否両論が存在することは理解している。しかし、原作キャラクターを愛し、その魅力を尊重することが、二次創作の基本であるとも信じている。原作の素晴らしさをより多くの人々と共有するために、我々ファンは常に原作への敬意を忘れずに創作活動を続けるべきだ。



あと悔しいので成り変わりマイナス検索しても0にならないように自ら産もうじゃないか。それが責任をとるってことだろ兄弟。

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