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ママだってほめてほしい

世の中、「ほめる子育て」論が大流行である。
異論はない。
私だって、叱られたことは「叱られた」ということしか覚えてなくて、何を親や先生が怒っていたかはすっかり忘れてしまい、ただ気持ちが潰れたような思いだけが苦く残っている。

反対に、ほめられたことは、数十年経っていても嬉しかったり誇らしかった気分がよみがえってくるし、何をほめられたかもよく覚えている。その記憶は、壁にぶつかったときや辛い時、私を励ましてくれる。

だから「ほめる子育て」には、自分も、うんうん、と首がちぎれるくらい頷いてそれを実行した。
気をつけているポイントは、主語を自分(母親サイド)にすること。

たとえば、子供が率先してお片付けをしてくれたとする。
「自分からお片付けして、〇〇ちゃんはえらいね!」というほめ方をすると、子供はほめて欲しくてお片付けをするようになる。一見問題ないようだけど、ほめる親の方は次第にそれが当たり前になってくるので、同じことをしてもいちいちほめなくなる。
それに、親の方からみたら子供は少しずつ成長しているので、ほめるハードルを上げようとする。

一方、親のその意図が伝わっていないと子供は混乱する。前と同じことをしているのにほめられなくなってしまうので、親の愛情に疑問を感じ、自分を過剰にアピールしたり、逆にイタズラをして注意を引こうとする。

それを防ぐために「自分からお片づけしてくれるから、ママ、助かるなあ」とか「ママ、嬉しいなあ」と保護者サイドの気持ちを伝えることで、子供は称賛されるだけでなく、他者が喜んでくれることをしよう、という気持ちが自然に育つ、と教えてもらった。

実際、それは良い方法だと今も思っている。

最近は「夫もほめよう」と、よく言われる。
家事や子育てを夫が手伝ってくれない、という悩み相談に
「ご主人に文句を言ってませんか?〇〇してよ!という言い方では、相手もやる気が起きません。〇〇してくれると助かるなあ。〇〇できるなんてあなたはすごい!という言い方にしてはどうでしょう?相手が何かしてくれたら、「ありがとう」の感謝の言葉も忘れずに」
という回答を何度読んだであろうか。

初めてその話を読んだ時は納得した。実際、何かしてくれた時、
「ありがとう、私よりも上手だね!」なあんて声をかけると彼も嬉しそうだ。
でも、だんだん釈然としない想いが湧き出てきた。
私は毎日、当然のように炊事、洗濯、掃除、子供の世話をしている。睡眠不足の中、ろくに化粧もできずゆっくりお風呂にもつかれない。買い物だって一苦労だ。
入園前の子供とともに生活しながら家事をこなすというのは、一人の時よりなんでも倍も三倍も時間がかかってしまって本当に「自分のことは何もできない」。

断っておくと、私の旦那さんはかなり助けてくれているほうだ。
「何もしない、休みの日には一人で出かけてしまう、食べたご飯のお皿を下げもしない」
ような夫ではない。でも、やっぱり彼の家事はあくまでも「お手伝い」。疲れたり、会社で嫌なことがあったらちょっとびっくりするくらい、何の躊躇も見せず「やらない」。当然かもしれない。彼はすでに、働いてきているのだから。
頭ではわかっていても、小さな疑問が降り積もる。私には「やらない」選択肢がない。どんなに辛いことがあっても、疲れていてもやるべきことはいつも、小さな家の中に山積みされている。そして、無報酬。

私よりぐんと低い度合いの家事をこなす旦那さんに毎度毎度、感謝を込める余裕が次第に薄まって行き、反比例して不満が色濃くなっていく。こんなに手伝ってくれる旦那さんに不満を覚えるなんて……。自己嫌悪に陥る時もあった。
「ないことじゃなくて、あることを数えようよ」
昔、自分が書いたセリフが頭をめぐる。わかってる。わかってるけど……。

その時、目の前で子供がプラレールでレールを伸ばしていた。ものすごく自由に、斬新に駅を作り、ダイニングテーブルの下にまで線路を伸ばしている。
いつもなら「すごいね!こんなに大きく作れるようになったんだね!」
なんてほめるところなのに、別の言葉が出てきた。
「ママも今日は頑張ったんだよ……」
「だからママだって、ほめて欲しいよう」
やっと気づいた。私はほめることに疲れていた。自分をほめて欲しかった。

昔、大学で教えている友人と話していて
「感謝って、よっぽど気持ちが健全じゃないとできないものだよ」
と諭されたことがあった。ほめるのも同じだ。ゆとりがないとできない。
「感謝しましょう」「ほめましょう」と言われて素直に頷けない時は、自分がすり減っている。
働いて見合ったものが返ってこないと、ひとはすり減ってしまうのだ。

その晩、いかに自分が頑張っているか、大変かを旦那さんに向かって演説した。彼はウンウンと話を聞いてくれて(多分、ここで聞かないと大変なことになると圧倒されていたと思う)私をねぎらってくれた。それで満足だった。

子供や夫だけでなく、
妻も母親も。
おじいちゃんもおばあちゃんも。
学校の先生も、お医者さんも看護師さんも、配達をしてくれる人も、お店でレジを打っている人も、そのほかの仕事も全部、働いている人はみんな、ほめられる権利がある。
働くのは当たり前で、でも当たり前じゃない。

あの日からも、いつだって忘れてしまいそうになる。
自分がほめられるに値する人間だということを。
ただ、毎日ドタバタと何かを追い回しているだけで、何も成し遂げていないような気持ちになって周囲から出遅れたような気分になったりする。

稼いでないし、誰もがやっていることをやっているだけだし、と。

その度に、私は自分に言い聞かせる。
「ご飯つくった、洗濯した、学校からの手紙のお返事を締め切りより早く出せた。それだけで、私はえらい」

働いている人は、みんな、えらい。

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