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自分の傷を癒す=他者の傷を理解する
私は、割と勝ち気だ。
簡単に弱音を吐くのが嫌いだし「できない」とかあまり言いたくない。知らなくても、知ったかぶりをしたりもする。「私は大丈夫」と虚勢を張る癖がついている。
「お姉ちゃん」だからということもあるだろうし、本が好きで年のわりにませた口を聞いていたから、大人たちからも「仁香ちゃんはしっかりしてるね」とよく言われていた。
両親は躾に厳しく、とりわけ母は「仁香は叱って育てるタイプ、弟は褒めて育てるタイプ」と言ってはばからず、そばに誰がいてもよく注意されていた。2人の時ならいいけれど、親戚や友達の前で口を酸っぱく注意されるといたたまれない気持ちになる。そして、ほとんどの大人がいう。
「お母さんは、仁香ちゃんのことを思って言ってくれてるんだよ。ありがたいと思いなさい」
「愛情の反対語は憎しみではなく無関心」
その言葉を覚えてから、私は母親に叱られるたびに、「私のことが好きで、良くなってほしいから、厳しいことを言ってくれるんだ。もしも私のことが嫌いだったら、何にも言わないはずだもの」と言い聞かせていた。
でも、本当は辛かった。褒めて欲しかったし認めて欲しかった。
他人の前で叱られるのも辛かったし、さらに「君を思っているからこそだよ」と言われるともっと傷ついた。「あんな言い方しなくていいのにね」とか「叱られてばかりは嫌だよね」とか「頑張ってるね」という言葉が欲しかった。
何か成果を上げても「よし。じゃあ次はもっと上を目指そう」と言われ続けていては疲れてしまうし、いったい自分はどこまで頑張れば良いのかわからない。
相手の期待や要望に応えようと頑張っているのは、褒めてほしいから。認めてほしいから。でもどこまで頑張っても、それがもらえない。苦しかった。
知らない間に私は自分に「まだまだ、まだ足りない、まだ足りない」と鞭を打ち、成果を上げても披瀝することができなくなっていった。いつも心の中で唱えていた。「誰か、私を止めて。誰か、私にもういいよと言って」と。
「次はもっと上を」「君ならまだまだ頑張れる」
悪気はないのだろう。鼓舞しているつもりなのだろう。一つ一つは些細なことだ。でも、その一つ一つに傷ついていた。その上、失敗すれば怒涛の叱責が待っている。
人間は繊細な生き物だ。どんなに強面で強く逞しく見えても、期待が裏切られたり、思うような成果が出なかったり、大勢の前で失敗してしまった時は、小さく傷つく。
その前に「よく頑張ったね」の一言があったら。
傷が小さいうちに、「残念だったね」と慰められたり、「きっと大丈夫」と励まされれば嘘のように消えてしまう傷。絆創膏を貼ったらあっという間に治ってしまう傷も放置されれば膿んだり、さらに広がったり、治りかけを掻きむしってもっと悪くなったりしてしまう。
心の傷も、誰にも言えなかったり、そもそも傷ついていなんかいない、とうそぶけば、いつの間にかその傷が自分の内側に入り込んでジクジクと膿んでしまい、嫉妬や競争心になってしまう。
自分と違って、横であっさり慰められたり褒められたりする人にそれは向けられる。他人を羨ましがってばかりいた頃、私はどんどん自分を見失っていった。
私はやがて、「私は大丈夫」と強がって、傷ついてない、と振る舞うようになった。「このくらいで私は傷つかない」「このくらいで傷つくほど、私は弱くないし、幼くない」と。
「私は特別。私は大丈夫」
誰かに甘えたり泣いたり、愚痴を言ったりするのはいけないこと。弱い人のすること。特に、愚痴はいけないと強く強く思っていた。
辛いことや誰かの胸で泣きたい時。どうにも感情が溢れる時は、いつも、ひとりになって、それから泣いた。布団にしがみついて声を殺して泣いた。思い切り人前で泣けるのは、泣ける映画やドラマを観た時。そういう時は、思う存分泣けた。泣いていい場所だったから。
強がりながらよく思っていた。
「いつか、「そんなに強がるなよ」と抱き締めてくれる王子様が現れるはず」と。
ところが、元来勝ち気なので、私の強がりは強がりに見えなかったらしい。強がれば強がるほど「1人で平気そう」「恵まれている」と思われてしまう。胸もお腹も小さな切り傷で泣きそうなのに、「泣きそうなのを我慢している」と、ほとんど気づかれない。でも、強がるのが板についてしまっていたので、今更強がりの仮面を下ろせなかった。だんだん自分の傷に鈍感になり、「寂しい」ということもできなくなっていった。
シナリオの勉強を初めて、登場人物たちに自分の本音を言わせるようになってから、私は少しずつ変わった。私の本音を登場人物に言わせると「この人魅力的だった」「面白い」と感想が返ってくる。嬉しかった。そうやって私は、少しずつ自分の傷を書き、認めていく中で、自分自身を好きになったり、自信が持てるようになったと思う。
でも、父が病に倒れてからのこの数年は、昔のクセで強がることが知らぬ間に増えていた。「私がやるから」と抱え込んで疲れて愚痴をこぼしたり、怒って家族にあたったり。
毎日を繰り回していくだけで精一杯。自分の傷に触れたら、悲しみの感情が溢れて毎日が回らなくなってしまう。だから、知らない間に蓋をしてきた。身内のことに関することだし、あからさまに言うのは気が引けて、よくあるゴシップのように話すことで誤魔化していた。
「時間ができたら、ゆっくり泣こう」そう思っていたらいつの間にか三回忌を過ぎてしまった。自粛が続いた影響も大きいように思う。
ここ数ヶ月、そんな、蓋をしたり、騙し騙し応急処置してきた傷が、怒涛のように吹き出す、というような出来事が私の周囲で一辺に起きた。一つ一つは全く違う現象なのだけれど、とても似ているような、同じことが原因のように思われるような不思議な感じ。偶然とは思えなかった。
最初、私はその溢れているものについていくのが精一杯だった。でもだんだん、自分の傷が疼き出した。夫以外の誰にも言ったことがない傷。それが溢れ出した。
大きなものもあったけれど、笑い飛ばさせるような小さな傷もあった。でもそれが全部膿んでいて、笑い飛ばせるものではなくなっていた。
そこで私は、初めて周囲の人たちの傷が、どれほど深く、また彼らがどれほど耐えてきたかを理解した。分かっているつもりだったけれど、理解が浅かった。「ああこんなに傷ついてたのか……これはひどい……」
そう思ったら、何かが噴き出していた。涙なのか感情なのか。あるいは何かの嵐に洗い流されているような。
傲慢だった、と思う。「私は大丈夫」というところに立っていたから、周囲の小さな傷に気づかなかった。膿んで吹き出すまで、知らずにいた。なんてことだろう。いつも言ってるのに。
「人は、自分の中にあるものしか、他者に見ることはできない」と。
自分の中の小さな傷を見ないふりをすることは、すなわち周囲の小さな傷も、見ないふりをすることになるのだ。
大切な人たちが、今の自分と同じように、あるいはそれ以上に耐えて、悩み、1人で泣いた、そののちに打ち明けてくれた道のりにやっと想いが到った。傷ついているのは、私だけじゃない。誰もが傷を持っている。違うのは、どうやって自分の傷を癒すかなのだ。そこに、人柄が出るのだとしみじみ感じた。
思う存分、自分の傷に向き合い、「信じてもらえないかも」と不安に思いながらも周囲にもあけすけに話してしまった。大学時代の友人は、私の話にあんぐりと口を開けたあと一緒に泣いてくれた。尊敬する先生たちは、一緒に怒ってくれたり、あろうことか自分の傷まで話してくれた。書く仲間は「全部ネタにしちゃえ」と励ましてくれた。
私は、1人じゃなかった。子供の頃とは違った。家族が増えて、大切な友人や師がちゃんと、いた。
どこまで成長しても進んでも、「これで終わり、このことは、もうマスターした」なんていうことはないのだ。いつも、今、ここで、自分に正直に生きていないと、自分のことも、周囲のことも正しく見ることができない。
自分の傷を疎かにすることは、結局、大事な人の傷も疎かにしてしまう。
私は幸せなんだな、今、と思った。傷をさらけ出して打ち明けてくれる人たちがそばにいてくれる。私の傷を、嫌がらずに聞いてくれる人がいる。
また泣けた。
そしてまた、私は前に進む。
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