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アーモンド・スウィート 猫 いなくなる

 月姫かぐやは朝から幸せだった。まだ、あの仔猫を飼って良いと許しがあったわけではないが、父も母も月姫の話しを黙って聞いてくれた。
「まず学校に行って来なさい。月姫の仔猫を思う優しい気持ちは分かったから。帰ってきてからちゃんと話そう」父は怒ったり、月姫の話を遮ることなく最期まで聞いてくれた。
「そうよ。仔猫のこと心配だと思うけど、遅刻するわよ。とりあえずお父さんとお母さんに任せなさい。それとも、今日は仔猫の事が心配だから学校休むつもり?」母は引っかかる云い方をしたけども、怒ってはいなかった。
 キッチンの食器棚の前に新しい段ボールを置いて、仔猫はその中に入れて置いてくれると言った。安心して、勉強を頑張っておいでと言った。
 小笠原さんから貰ったキトン用フードを母に渡し、何度か水でふやかして上げてねと言付けた。
 あと店の裏の収納庫に、抱いてきた仔猫の兄弟二匹がネズミにやられて無残な姿になっているから、可哀想だけど、私の代わりに片付けてくださいとお願いしてきた。
 今日、先生の話がまったく頭に入らなかった。ずーっと、名前を何と付けようか。月姫が一人で決めようか。父や母も仔猫の家族になるのだから、父と母と一緒に決めた方が良いだろうか。と考えていた。
 昼休み、三組に小笠原さんに昨日のお礼に行った。
「昨日はフード、ありがとう。でもね…三匹のうち、二匹がネズミにやられてしまったの」月姫は正直に、二匹の仔猫の悲劇を教えた。
「えっ!? そんな……、そう、それは残念ね。じゃあ一匹は大丈夫だったの?」
「うん。一匹は、棚の奥に逃げて奇跡的に助かった。良かった」
「良かったね」
「それと、その助かった仔猫も、たぶん飼えることになったと思う」
「良かったね。ついに猫の飼うんだ。今日、見に行ってもいい?」
「まだ飼えると決定してないから。今日帰ったら、父さんとお母さんと話し合って決めるつもり。きっと飼えると思うから、明日も報告する。明日、見に来て」
 楽しみだなー、と小笠原さんは言った。今日も二人で手を振って別れた。

 学校からの帰り道、月姫は考えていた。仔猫は昨夜、怖い思いをしたのだから、帰ってきったらいっぱい抱きしてあげよう。大丈夫だよ。もう怖くないよ。これからは私が貴方の兄弟だよと話しながら優しく、そして強くいっぱい抱きしてあげよう、と。

 月姫の幸せな気持ちに水を差すように、道の途中の二箇所で、ハトがカラスか何かに襲われて無残な姿で死んでいるのを見た。最初に見つけた一羽は、首から赤い肉が飛び出し、白い舌を飛び出していた。胸か腹の肉も飛び出ていた。二羽目は、羽根の根元が食いちぎられていた。胸も血で濡れている感じだった。その上、二羽目は見るに堪えなかった。その食いちぎられて死んでいる姿が車道にあり、何度か車に跳ねられたようだからだ。
 ネズミ、野良猫、ハト、カラスの残骸を車道に見かけることある。月姫たちは見ると、「蛇神様の祟りがありませんように。父や母や、兄や姉や、弟や妹に禍がありませんように」とおまじないを唱えて通る。蛇神様など近所にないのに、なぜか蛇神様の祟りを昔から恐れていた。だから今日も、
「蛇神様の祟りがありませんように。父や母に禍がありませんように」月姫は呟きながら、側の道を帰ってきた。仔猫の安全も祈るべきか迷った。蛇神様に許しを請うのは人間だけで、飼い犬や飼い猫は動物だから大丈夫なはずと記憶していた。でも違ったら…。

「ただいまー。仔猫、大丈夫だった?」月姫は二階の自分の部屋にランドセルを下ろすより先に、仔猫のことが気になった。キッチンには仔猫が入った段ボールは見えなかった。
「猫ちゃん、どこぉ?」心の中で半分は心配して、半分は信頼していた。自分が学校に行っている間に、仔猫を捨てに行くなんてしないだろうと。
 店に顔を出すと、父と母は黙っておでんの仕込みをしていた。今日は珍しく帰ってきた月姫に気付かず、「お帰り」と笑顔で声もかけてくれなかった。背過ぎが寒くなった。少しヒザが震えた。
「仔猫ちゃん……、もしかして…、わたしを騙して……」声も強ばってきた。
「お帰り。ん? 猫かい。ばあちゃんとじいちゃんの所じゃないか」
 父は何の抑揚もない声で言った。いつもは月姫の顔を見て、笑顔で「お帰り」と言ってくれるのに、おでんの鍋から顔を上げずに言った。
「…………」
 言われたとおり月姫は、祖父と祖母が練り物を作っている工場に向かった。まだランドセルは下ろしていなかった。ランドセルを下ろすのももどかしいくらい仔猫が心配で溜まらなかった。
「じいちゃん、ばあちゃん。あのね、仔猫なんだけど、預かって貰っているって、父ちゃんが言ってたけど、居る?」
 工場に戸のところから、中の祖父に言った。祖父は練り物を練っていた大鍋を洗っていた。祖父は父と違って直ぐに月姫に気付いて切れたが、億劫そうに言った。
「収納庫の掃除大変だったんだぞ。猫は無残に喰い散らかされているし。床が一面、猫の血がドヒャーといっぱい広がっていて。掃除してきれいにしたのに、昼に向かって段々臭ってきたんだぞ」
 祖父の言葉は、月姫の期待していたものではなかった。
「今度から、猫とか犬とか、小鳥とかあそこに隠すんじゃないぞ。死んだあと、月姫の代わりに片付けるのはじいちゃんか父ちゃんなんだから、な」
「……。もう一匹居た仔猫、どうしたの?」成るべく、気持ちが沸騰しないように、落ち着いて聞いた。
「もう一匹か? さあ、ばあちゃんがどこかに、持って行ったぞ。ばあちゃん、ブツブツと言ってたから、あれはばあちゃんも怒ってるな。食べ物屋の娘に産まれて分かるだろうに、何度も言って聞かせて分かっていると思ってたのに、ガッカリだと何とか聞こえたけど。謝るなら早いほうが良いぞ」
 あっ、もう仔猫いないんだ、と理解した。怒りたいのに、逆に謝れって言われて悲しくなった。

 月姫はキチンで祖母を待っていた。仔猫を捨てに行った先を聞くために。
 十五分して、祖母は帰ってきた。月姫は祖母の顔を見て、悔しさから目に涙が溜まってきた。
「わたしの仔猫、どこ捨ててきたの?」普段にない険のある聞き方をした。
 祖母は、月姫の剣幕に驚でもなく怒るでもなく、
「春原さんに上げてきた」と言った。
「どこの春原さん?」と聞いても、祖母は春原さんの住所を教えてくれなかった。会いに行かないほうが良いんだと言うばかりで。
「死んだ猫を片付けてくれた、じいちゃんに「ありがとう」か「ごめんなさい」て、言ったか」はぐらかすように、祖母は聞いてきた。
 月姫は悲しい気持ちのまま、下を向いて黙って首を横に振った。
 母が月姫の様子を見に来た。今日は、父も母も祖父も祖母も、誰のことも信じられなかった。顔を見るのも嫌だと思った。
「さあ店が開くよ。今日も、お店手伝ってもらうからね」母は、いつもより少しだけ強い口調で、月姫に店を手伝えと言った。
だ!」
「生き物は飼えないって分かってただろう」
「嫌だ…」
「ウチのような食べ物商売の家は、どこも生き物を我慢しているんだ。ウチだけじゃない。月姫だけがイジワルで飼えないんじゃない」
「…………」
「今日も、いつも通り店は開けるよ。月姫が悲しい気持ちでいようと、ふて腐れていようと、父さんと母さんは慰めないからね。それに来てくれるお客さんには関係ないことだから」そう言って母は、もう我慢できないで涙が次から次と落ちている月姫を置いて店に行ってしまった。
 泣いている月姫に、祖母は黙ってティッシュをくれた。
「死んだ仔猫をかたづけたじいちゃんに、ありがとうって言ってから、店に行きな、ね。そういうけじめもしなくちゃ、動物を飼う資格はないよ」
 祖母の声も優しくはなかったが、母のように取り付く島がないと言うものでもなかった。
「でも……」
「動物を飼うというのは、大変なことなんだ。命を十年、二十年と守る責任があり、死んだ後も責任があるんだ。今回は悲しいだろうが、二匹の仔猫の死を体験したということで大人になったとして、けじめをつけな、ね」
「本当に、春原さんとこに(仔猫は)いるの?」
「ああ、いる」
「春原さんは、本当にいるの?」
「ばあちゃんは嘘吐かない。月姫を騙したりしないよ」
 何枚ものティッシュで涙を拭き、何度も鼻をかんだあと、月姫はじいちゃんに感謝を言いに工場に向かった。

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