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アーモンド・スウィート 蒲池福市

 福市ふくいちのウチは神田でも古い洋菓子店だ。地元に愛されるケーキショップを目指して祖父、祖母が始めた。祖父は戦後生まれで、日本は先の第二次世界大戦の後もだいぶ経っていた。子供時代は、日本は豊になり始めていた。銀座のコロンバン、風月堂、不二家、有楽町のアマンド、神戸のモロゾフ、ユーハイムはすでに有って、ケーキショップとして好評だった。福市の祖父たちの時代、大人も子供もコロンバンや風月堂のクッキーやケーキは憧れのお菓子だった。祖父の父が時々お土産に買ってきてくれて、家族で少しずつ分けて食べるのは幸せだった思い出だ。祖父は特に銀座コージーコーナーのショートケーキが好きだった。似たような営業の形に不二家があったらしい。両方のケーキショップも、手頃な値段で美味しいケーキが食べられた。不二家のほうが老舗だけど、祖父は食べ比べてコージーコーナーの方が好きだったそうだ。誕生日ケーキ、流行りだしたクリスマスケーキはコージーコーナーのショートケーキの5号とか4号を買ってもらって、家族みんなで食べた嬉しかった想い出もある。祖父は職人として、憧れのコージーコーナーに入り、洋菓子の勉強をした。沢山のケーキを毎日作ったそうだ。そしてシュークリームもプリンもゼリーも、ババロアも、マドレーヌも覚えた処で会社を辞めて、神田で一人でケーキショップを始めた。そして幼馴染みで店を手伝ってくれていた祖母と結婚した。長男の父を筆頭に六人の子宝に恵まれた。父は祖父の洋菓子店を高校卒業時点で継ぐことを決めていた。父の頃はすでに洋菓子の勉強を専門学校でする時代だった。新宿高田馬場の日本製菓学校に行って勉強した。父は卒業後、一年はフランスの洋菓子店で、一年はオーストリアの洋菓子店で、一年はスイスの洋菓子店で勉強した。本場ヨーロッパの新旧のケーキを見て、食べて、覚えたかったんだとか。それが銀座(日本橋)の隣、神田で洋菓子店を続けてゆける強みに成ると考えてだ。
 父は勉強した成果を発揮した。チョコレートケーキはより本格的になった。焼き菓子も材料から吟味して、フィナンシェのようなシンプル物でも、コロンバン以上の、風月堂以上の物を作って出した。味の分かる、銀座、京橋、日本橋と散策してきて人たちに見つけてもらい、多くのリピーターや贔屓になってくれる人の心を掴んだ。多くの人に愛される店になった。
 手応えを感じたところで父は結婚して、福市を筆頭に四人の子供を作った。母も当時三十歳を超えていて、四十歳までの十年を出産と子育てに当てると、二人で計画した。だから父の兄弟より少ない四人に治まった。

 福市は、実は赤ちゃんの頃からケーキを食べ過ぎて、今はクリームが苦手に成っている。カスタードクリームも、生クリームも、チーズクリームも、チョコレートクリームも苦手である。シュークリームの皮の部分や、スポンジケーキの部分、カステラ、グラハムクラッカー(ビスケット)の部分は辛うじて一口、二口は食べられる。甘い物を食べるなら生のフルーツが良いと感じている。ケーキにすることでフルーツの良さを壊してしまってると思っている。「クリームが邪魔だなー、無駄に甘くドーピングしてる気がする」心の中で思っているだけで、口には出さないが。

 クラスメートの永井いちごのことが気になる。苺は現在、不登校状態で五年生になった。一度だけ、四月の始業式の日に来たが、後は来ていない。苺の家は果物屋をしている。苺の様子を店の前まで福市は見に行っている。何気なく通りかかったふりをして、果物店の店内に、苺が居るんじゃないかと期待して覗いたり。店内に見えなければ二階を、普段締め切っている窓を開け、外の様子を見ている苺と目が合うんじゃないかと期待して見上げている。まだ一度も、家の外でも苺の姿を見ていない。
 苺の姿を見つけたら心配していたと、言って近づくチャンスもあるのに。正直、苺を心配して居るのか、差し入れられる果物を期待しているのか自分でも分からなくなっている。苺のことが好きというわけではない。だから自分の気持ちが疑わしくて気持ち悪い。

 一度、思い切って苺の家の果物屋に入ったことがある。八百屋とは違う、イチゴ、オレンジ、バナナ、リンゴ、ブドウ、ナシ、キウイ、マンゴーの良い香りが充満していた。新鮮なフルーツがゴロゴロと入った、涼しそうな見た目のゼリーも美味しそうだった。アイスボックスの中には、大きく切られたフルーツとミルクが合わさったアイスキャンデーや、果汁100%のジェラートなどもあり、福市の前に夢の世界が広がっていた。
「いらっしゃいませ」苺のお母さんが、店に入って福市に挨拶してきた。
「あの……、美味しそうなフルーツを…」緊張して、普段どもらない福市は吃りそうになった。
「お家の、お使い物ですか?」
「あっ、別に、ウチで頼まれた、とかないです」
「余所に持って行く、贈り物を頼まれてきたのかな?」
「あっ、それも頼まれたという、わけでもありません。ただ…」
「ただ? イチゴやオレンジを、君が食べたくて来たのかな?」
 イチゴと苺のお母さんが言ったので、福市は、最初は娘の苺の事を話しをしているのかと思った。すぐにオレンジという言葉が続いたから、フルーツを買い求めにきた十歳くらい少年というふうに見えている感じた。僕が、娘とクラスメートの蒲池福市だと気付いてないのかな? と不思議に思ったけど、苺自体が始業式以来学校に行ってないから、お母さんも父兄参観とかPTA参観とか、運動会、学芸会に来てないだろう。だからクラスメートにどんな子が居たかなんて覚えてないのかもしれない、と考え直した。
「缶詰も多く取り揃えてるのよ。缶詰も、美味しいシロップで漬けてあってお薦めよ。コンフィチュール(ジャム)も、専門の店の物を仕入れているからお薦めなのよ」苺のお母さんは、相当に商売上手に感じた。福市の母は、お客が商品ケースの前で迷っている時も、自分からお薦めのケーキを言ったりしない。黙って待っているタイプだ。
「あの…、食べ頃のブルーベリーと、食べ頃のラズベリーをください」
 ブルーベリーとラズベリーはケーキやタルトにも使われる果物なので、福市も知っている。
「はい。昨日入った物で、契約農家さんから直接仕入れているので、ブルーベリーもラズベリーも今すごく美味しいですよ。ブラックベリーといって珍しいイチゴもあるんだけど、一口食べてみる? ぼく」前面がガラス張りになった冷蔵庫から、丸いパックに入ったラズベリーに似た黒くてブツブツの丸い果物を持ってきてくれて、一個福市の手のひらに置いてくれた。
 ラズベリーよりブラックベリーの方が甘い味がした。香りもベリーというより、ベリーの香りプラス花の香りもする気がした。
「美味しいですね。あの…、欲しいんだけど…、お金の持ち合わせがなくて…、じゃあ、ブルーベリーを止めて、似た色のブラックベリーを…」
「ベリーが好きそうだったから、食べさせたかっただけ」苺のお母さんは笑顔で言った。
「ブルーベリーもラズベリーも美味しいから良いんじゃない。お金がないなら、次また来て、買ってくれれば良いわよ。ブラックベリーも美味しいと覚えてくれれば、ね」
「でも、せっかく、薦めてくれたから…。やっぱり…」
「次で良いよ。いまブルーベリーとラズベリーと包むから」
 苺のお母さんは素早くブルーベリーとラズベリーを梱包して、二つで千円と言った。紙袋に入った物と、お金を交換して福市は店を出た。
 初めて果物屋さんでフルーツを買った。何となく試食までして買ったので、大人になった気がした。嬉しくて、店を出て少し歩いた処で紙袋を開けて覗くと、ブルーベリーとラズベリーのパックの上に小さなパックに五粒くらい入ったブラックベリーがあった。振り返って果物屋をみると、苺のお母さんが店の外まで出てきて、振り返って見た福市に手を振ってくれた。福市も手を振った。そして福市は急に恥ずかしくなり、走って家に帰った。苺のことはすっかり抜けていた。

 それからも時々、いちごの果物屋に季節のフルーツを買いに行っている。週に何度も果物屋の前を通る。すると苺のお母さんが福市に気付いて店の中から手を振ってくれる。いつか、苺に再び会えるかもしれない。

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