見出し画像

アーモンド・スウィート

 秀嗣は今日も倉岳人志の前の席に座り、彼に話しかけている。
 人志は原田マハの『キネマの神様』の文庫を読んでいる。
「なにそれ、面白い?」
「志村けんさんが主演するはずだった山田洋次監督の映画『キネマの神様』の原作本。話題になってるから読んでみようと思って」
 ふーん、と秀嗣。
「緊急事態宣言で映画館も、遊園地も、デパートも店を閉めるらしいよね」
「まあ、仕方がないよ」
「映画見に行けなくなっちゃうよ。緊急事態宣言が出る前に急いで見に行くつもり?」
「映画館は収容人数を制限して続けるって話しだから、大丈夫じゃない」
 秀嗣の話に合わせながらも、人志は小説を読み進め、ページを捲る。
「僕たちもいつまで、こうして学校で会えるかね」
「そうだな…、週二日、三日くらいになるかな。また全面的にオンライン授業ということも考えられると思う」
 秀嗣は天井を見つめ、何か考えている。人志は秀嗣をチラリと見て、
「(秀嗣は)オンライン授業苦手っていってたから、またオンラインになるの嫌か。でもそういう巡り合わせということで諦めるしかないよ。考えによっては、今の日本の学生は小学生から大学生までほぼ全員オンライン授業で困ったり、嫌な思いしてるんだから、頭を切り替えて頑張れば、今からでも中学受験間に合うかもよ」
「中嶋さんや渡辺さんも…、きっと頑張ってるよね」
「……。頑張ってるね。塾で同じS1クラスだから会うけど、二人とも自習が苦にならないみたいだよ」
「ある意味すごいよね。人志も中島さんも、渡辺さんも。ぼく尊敬する。一人で予習、復習、自習できるなんて」
 秀嗣は昼休みから教室に戻っている人をみやりながら、
「ぼくは直ぐに疲れるし。遊びたいし。テレビ見たいし。ばあちゃんが話しかけてきて邪魔されるし。弟がなんだかんだ文句を言ってくるからうるさいし、勉強が思い通りにいかないんだ」
 人志はふーっと深い溜め息を一つして、文庫本を閉じる。
「その考え方がダメなんだ。勉強は集中することが大事で、瞬間瞬間にスイッチをいれて集中する。一度集中してゾーンに入ったら、ちょっとやそっとで集中が切れないようになるから、あっという間に一時間とか二時間とか、一教科、二教科の自習が済んでいることもある。それを習慣化すれば、今の秀嗣でも気が散らずに勉強ができるようになる。中島彩葉とか渡辺珠恵と、ぼくとか尊敬するとかしないとか考えないようになって、勉強することが当たり前になってるから」
 どこからか中嶋彩葉も教室に帰ってくる。
「わたしと渡辺さんの話ししてたようだけど、なに?」
「あっ、お帰り」と秀嗣は、彩葉に声をかける。
「今度もオンライン授業がなるかな? という話しから、秀嗣が、クラスのみんなと会えなくなって寂しいと嘆いているんだ。特にぼくと中嶋と渡辺と会えなくなるのが寂しいんだって」
 彩葉は秀嗣の顔をじーっと見つめる。秀嗣は彩葉に見つめられて、顔が急速に赤くなり下を向く。彩葉は、下を向いた秀嗣に興味を失ったように自分の席に戻り座る。
「今回もほぼオンライン授業に成るんじゃない」と彩葉は、塾の問題集とノートを鞄から出しながら答える。
「秀嗣はオンライン授業だと勉強ができないらしいんだ。気が散りやすい性格だからテレビを見たり、ゲームをしたり、彼のお祖母ちゃんと無駄なおしゃべりをしたり、弟に邪魔されたり」
「ゲームはしないよ。NintendoSwitchも持ってないし、スマホ、タブレットも持ってないし。ゲーム、ヘタだから好きじゃないし」
「じゃあ、遊ぶって、家で何して遊んでるの?」
「んー……、絵を描いてるか、猫を撫でてるか、犬の散歩に行ってるか、漫画を読んでるか、……」柿境月姫の所に行っておしゃべりしてる、山崎三保子の所に行っておしゃべりしているということは内緒した。彩葉に聞かれたくなかったから。
「なんかジジ臭い。子供らしくない」と彩葉が秀嗣に顔を向けて反応した。
「いやー、(稲垣)邦孝と自転車に乗ってどこかに行ったり、(菅原)忠夫と街をぶらぶらしたりもしてるよ」
「別に、友達いないんじゃない? とか言ってないから」と彩葉は興味がないといった感じに、問題集に戻る。
「時間を浪費してるように聞こえるけど」人志も秀嗣に嫌みを言ってから、文庫本をまた開いた。
「人志と中嶋は勉強が嫌いじゃないから、集中するのも簡単だろうけど、ぼくは大変なんだ。体が熱くなってきたり、体のあっちこっちが痒くなったきたり、頭がボーッとしてきたり、急に眠くなったり。そりゃー大変なんだから。病気か? 風邪か? って自分で心配になるくらい」
「でも、ちょっとテレビとか? ちょっと息抜きに猫を撫でるとか、すると体の火照りも、痒みも、眠気もなくなるんだろ?」
「まあ、だいたいは…」と秀嗣は尻すぼみに声が小さくなり答える。
「集中できないんではなくて。気持ちが言い訳をして逃げてるんだよ。勉強する気持ちを奮い立たせろよ。勉強する目的を作れば、体が火照っても、痒くなっても、眠くなりそうになっても、「勉強するぞ」って気持ちで、いくらでも集中するだろぅ」
「言うのは簡単だよ」
「ぼくや、中嶋や渡辺と一緒に学校に行きたいと空想したり、別れたくないって考えるんだろう?」
 人志の言葉を聞いて、彩葉はまたノートから顔を上げて秀嗣の顔を見る。
 秀嗣も彩葉の方を見ている。無言で目と目が合う。
「うそ!」と。彩葉は、人志やクラスの他の人もいることに意識が戻り、大きな声をあげて驚いて見せる。
 空気を読んだ彩葉の反応とは違って、空気が読めない秀嗣は、彩葉を見つめたまま黙ってコクッと頷く。
「なに、中嶋に頷いて見せてるんだよ」と、彩葉より先に昼休みからクラスに戻って来ていた鈴木博一が秀嗣にツッコむ。
「マジ、やめてよね」と彩葉も返す。
「ゴメン」と秀嗣は彩葉に謝り。しばらく無言で読書を続ける人志の前に座っていたが、いたたまれなくなったのか、「トイレに行ってくる」と独り言をいって教室を出ていった。
 彩葉、秀嗣が教室を出て行くのを気配で感じ、後ろ姿をチラリと見る。
 秀嗣と入れ替わるように、第二校庭や屋上で遊んでいた多くのクラスの人間が教室に戻ってきた。急に教室が騒がしくなる。
 彩葉は、秀嗣から三たび問題集に意識を戻したのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?