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アーモンド・スウィート 猫 助ける

 月姫かぐやは朝から気分がすぐれなかった。仔猫のことが心配でしかたがなかったから。きっとばあちゃんが言う春原さんは居ない。ばあちゃんは、月姫に嘘をついてどこかに捨てて来たんだと思う。春原さんなんて、いままでばあちゃんから聞いたことがない。だいたい猫や動物を飼っている人の話をばあちゃん、じいちゃんから聞いたことがない。父と母も含め、テレビで動物が出てくる物を見ないと決めたみたいに動物の番組は見ないし、動物の話題もしない。思い出せば、上野動物園も指で数えるほどしか連れて行ってもらった記憶がない。上野には歩いてだって行けるのに。国立博物館にも一回しか行ってないから、動物園にも行かないのかもしれない。

 学校までの道端に仔猫が居ないか、月姫は目を皿のようにして見た。ゴミ箱すらなくキレイに掃除された学校までの道で、仔猫が命を止めておける場所は見当たらなかった。残飯でも漁れれば命を繋げられるだろうけども、神田周辺はビジネス街でもあり、自社ビル周りを汚くしていることは少ない。
管理会社から依頼された掃除の人や守衛さんが、日に二度、三度とビル回りを見回り、ゴミが落ちていればその都度拾うくらいのキレイを保っている。
殺鼠剤や猫いらずが植え込みなどに撒かれているのを見たことがある。昔、ばあちゃんから聞いた話しだが、道端に食べた物を吐き出し舌を出して死んだ仔猫やネズミの死骸をよく見たそうだ。最近、月姫たちが毒を食べて死んだと思われる仔猫やネズミの死骸を見ないが、たぶん食べて死ぬ仔猫やネズミが居なくなったのではなく、ビルを管理している守衛さんや掃除をしている人が密かに処分して居るんだろう。
 ふと、中央通りに目を向けたら、大人の猫くらいの大きさの白い固まりが、六車線の中央あたりに落ちているのが見える。猫ではないと思うが、車に轢かれてぺしゃんこになって、すでに乾いた状態だ。何度か車に轢かれたとみえて白い背中に黒いタイヤの跡がある。走ってる車の窓か荷台からバスタオルのような物が落ちて、後続の車に轢かれたと思いたい。真っ黒い、干からびた姿は生命力を感じない。しかし、アレがもと生き物だったら、すでに黒い塊になって生命力失って、何度も轢かれて尊厳まで奪われていたら。月姫は考えるだけで気分が悪くなり、朝食べた物を側溝に全部吐いた。無常を感じるとか、儚さを感じるというより、絶望と恐怖を感じた。

 教室まで頑張ってきてみたが、月姫は心身がまともに授業を受けられる状態ではないと感じた。朝のホームルームが終わったら天野先生に言って保健室に行こうか、それとも早退しようか悩みながら自分の席に座っていた。
 朝のホームルームが近づいたその時、思わぬ事件が飛び込んできた。事件を持って来たのは、飼育係の(菅原)葵ちゃんだった。葵ちゃんが血相を変えて教室に入ってきた。
「大変! 校庭にある学校のウサギが、ネズミかネコかヘビにやられちゃった!」
「ウサギがやられたって!?」真っ先に反応したが、米山(英瑠える)さんだった。他は、家で予習したノートを広げて見ていた李くんがピックっと顔を上げただけで、あとクラスの誰も興味を示さなかった。
「二組の南保さん、三組の小笠原さんと私(が飼育係)で、ウサギの餌と水をあげるために飼育小屋に行ったら、五匹いたウサギのうち四匹が無残に殺されてた」葵ちゃんは一大事件に遭遇して、興奮していた。
「無残って、どんな感じ?」血生臭い雰囲気に興味を惹かれたのか、クラスのいたずら者、村松が葵ちゃんに聞いた。
「毛が囓り獲られて、肉が飛び出して。前足も後ろ足も先が食いちぎられて無くて。噛み殺されましたぁ、という感じで。四つの肉の固まりに……」
 葵ちゃんは、米山さんや松村に顔を赤くしながら説明していたと思ったら、ウサギの酷い惨状を思い出したようで、膝を折って急に泣き出した。
 耳を塞いで月姫も、葵ちゃんの漏れ聞こえる声に一昨日の倉庫での仔猫の惨状を思い出して、また気持ち悪くなった。「グエっ!」と胃の中の物を戻してしまった。
 そばに居た、金里(穂乃佳ほのか)さん、島根(紀子のりこ)さん、山川(笑美えみ)さんが「大丈夫?」といって、直ぐにバケツと雑巾を持ってきて月姫の吐いた物を片付けてくれた。
「保健室、行く?」と、クラス委員の渡辺(珠恵)さんと保健係の藤巻(姫愛てぃあら)さんが、気持ち悪くて顔が青くなっている月姫を教室から連れ出してくれた。

 ウサギの事件を聞いて気持ち悪くなり保健室に行った月姫は、一時限目だけベッドに寝て休んだ。けれど、二時限目からは授業に出た。六時限目まで授業を受けたから、結局、早退して家に帰らなかった。二時限目の終わりに、ウサギの事件を直接目撃した菅沢さんに、
「怖い話し聞かせて気持ち悪くさせて、ごめんなさい」と謝られてしまった。
「ううん。葵ちゃんの話しだけで気持ち悪くなったわけじゃないのよ。わたし、朝から気持ち悪かったの。わたしこそ、葵に嫌な思いさせてごめんなさい。ウサギのことを想い泣いたのに、私がヘンな騒ぎを起こして」
「ううん。もちろんウサギを想って泣いたんだけど、肉の塊になった動物を見たのが初めてだったから、怖かったの」お互い打ち明けて、わだかまりなく仲直りした。

 秀嗣が昼休みの時に、月姫の机に寄ってきた。
「大丈夫?」
「うん。大丈夫。心配させちゃったね」
「飼育係担当の沼田先生の話では、ネズミにやられたんじゃないか、て」
「ネズミ……。(小屋に)穴でも空いてたのかな?」
「金網の針金を咬みきって穴を開けて、侵入したんじゃないか、て」
「細い針金とも思えなかったけど」
「コンクリートでも、1㍉近いステンレスの針金でも囓って穴を開けるらし。噛む力が凄いって」
「怖い…」月姫は頭から血の気がスーッと下がるのを感じた。
「ごめん。また怖がらせちゃった、もう行く」
 月姫は心の中で悪いことをしたなと思った。それにしても、ネズミのやつに仔猫もウサギもやられたと知って、怖いと思うと共に敵討ちをいつかしてやりたいとメラメラした思いを感じた。

 渡辺(珠恵)さんが一緒に帰ろうかと声をかけてくれたが、月姫は丁寧に断った。一緒に帰ると成れば、手提げ鞄を持とうかとか、フラフラすると危ないから肩を私の肩に付けて歩いても良いよとか、面倒な気の遣われ方をてしまうだろう。気を遣かわれるくらいなら、一人でゆっくり帰ったほうが良い。道草を食って何をしていたと、父や母に心配させ怒られるかもいしれないが。
 なるべくフラフラと歩いているように見えないように背筋は伸ばして、いつもの倍くらいの時間をかけながら帰っていた。すると低い唸り声と、キーッと高い声が聞こえてきた。低い唸り声は猫かな? と思ったが、高い声は何だか分からなかった。興味を惹かれ、二つの声がする方に行ってみた。クロとチャの虎柄の痩せた猫と丸々と太って黒光りするネズミが睨みあっていた。痩せた猫の方は太ったネズミに気圧されているようで、気のせいかお尻が落ちそうな格好で唸っている。太ったネズミは小豆色の鼻をヒクヒクさせながら痩せた猫に飛び掛かるタイミングを見ているようだ。仔猫だけではなく大人の猫でも、ネズミの奴、襲うようだ。ウサギはなおのこと、チワワやポメラニアンもお腹が空いたら襲うかもしれないなと月姫は思った。いつか仔猫やウサギの敵を取るつもりでいたけど、神田にいる小型の動物たち全部を助ける為にも、いまあの太ったネズミを退治しないとならない気がした。自分がネズミに飛び掛かられたら怖いけど、痩せた猫が噛み殺されるのを見るのはもっと嫌だと思った。「助けよう」と月姫は二匹の元に、足音高く駆けつけた。猫もネズミも月姫にビックリしたようで、二匹とも一瞬、月姫の姿を見た。でも直ぐに太ったネズミは痩せた猫の方を向いて、月姫を無視して逃げなかった。猫も、新たに現れた月姫の存在にビクビクしながらネズミへの注意に戻った。二匹に無視されて月姫は悔しかった。大きく足を踏み出して鳴らすがネズミはビクともしない。十一歳の女の子なので、ネズミを蹴り飛ばしにいくのも怖い。助けを求めようと周りを見回すと、薄情な大人たちが月姫と二匹をチラリと見るだけで足早に通り過ぎる。恥ずかしかったが、月姫は大声を上げてネズミを威嚇した。
「コラっ! あっち行け!」
 次に勇気を出して、手提げ鞄を振り回しネズミに向かっていく。腹が立つことに太ったネズミは逃げず、逆に月姫に向かって威嚇の叫び声をあげ、歯をむき出しにする。
 溜まらず、月姫は固い棒か投げられそう適当な大きさの石を探す。その行為がネズミに隙を与え、ついに飛び掛かってきた。月姫は手提げ鞄で飛び上がってきたネズミを受け、払い落とした。ネズミは次に、月姫の足下を狙って噛みに来た。月姫は咬まれそうになるが、今度も手提げ鞄で足下を防いだ。その隙に痩せた猫は逃げて行った。月姫は、逃げてゆく野良猫の後ろ姿を見て、「良かった」と安堵した。倉庫で亡くなった仔猫の敵を獲った気がした。

 しかし、月姫の危険な状態は続いている。今日この場で遣られるか、傷を負っても逃げられるかという事態だと察した。ネズミから目を離さず後ろ向きに下がり、次のネズミからの襲撃に備えた。だが同時に、大人が気付いてくれてネズミを追っ払ってくれるか、ネズミを退治してくれか、心のなかで祈った。中央獲りの歩道に出る直前、ビルの壁に垢黒あかぐろいい古いバットが立てかけて有るのが見えた。目はネズミから離さずに、かすかに見えるバットの形に片手を伸ばした。ネズミもバットに気付いたのだろう。上に一メートル、横に二メートルくらいジャンプして月姫を襲ってきた。バットを握ると同時に力いっぱい振った。偶然だったと思う。間に合わないと恐怖した月姫の目の前で、バットが斜め下から四十五度の円を描きながらネズミの身体に当たり、ネズミは道路の反対側に吹っ飛んでいった。チャンスと思い、手提げ鞄を地面に投げながら、今度はしっかりバットを両手で握って吹っ飛んだネズミに向かって足音高く追っかけた。太ったネズミは月姫とバットの強さを認めたようで、渋々という雰囲気でビルとビルの間の路地に歩いて逃げて行った。正直、月姫は助かったと思った。ネズミに噛み殺される人が居ると聞いたことがあったから。自分の勇気と無謀さに、震えが膝から全身にきた。
 しかし宿敵の大きなネズミをやっつけた。一人で戦って勝った。全身が震えながら、顔は笑顔になっていた。
 
 あれから毎日、夕方の下校時に、クロとチャの虎柄の野良猫とあの場所で会うようになった。野良猫は相変わらず痩せていた。でも野良猫は好き嫌いをまったくせず、月姫が家からこっそり持っておでん種を喜んで食べた。
「ネズミに負けないように大きく成るんだよ」
 おでんを貰ったあとも、野良猫は毛繕いを丁寧にしながら側を離れない。
「もう大人だから、これ以上、大きく成らないか。太るんだよ。負けるんじゃないよ。私が付いているからね。いつでも君のピンチの時は、またバットを持って駆けつけるからね」
 野良猫は月姫の言ったことが分かってるか分かってないのか、ゴロゴロと甘えた声を出した。

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