映画「MINAMATA-ミナマタ-」
映画「MINAMATA-ミナマタ-」を見た。映画館に足を運ぶのは久しぶり。
日本の高度成長時代、各地で起こった「公害」を知らない若い人達には是非見てほしい。私は熊本県の出身、水俣病の事は全国区になる前に白黒テレビのローカルニュースで見て知っていた。同じ頃、私は熊本市内の高校に進学していたが、そこでできた友達に親が「チッソ」で働いているというのが3人いた。熊本地裁前広場の患者さん支援集会にも行った事がある。同じ県民として遠い出来事ではなかった。約50年前の頃である。
水俣病は1956年に公式に認定されて1958年頃から水俣病という名称が使われ始めている。私は1952年に生まれているから、ほぼ同時代を生きてきた事になる。
この映画は水俣の人々の日常や闘いの姿を撮影したアメリカ人のフォトジャーナリスト「ユージンスミス」の物語である。彼は1971年から3年間水俣に住んで撮影を続けた。ユージンが撮った実際の写真が映画の所々に挿入されてはいるが、地元の人々や患者さんを演じているのは役者達だ。ドキュメンタリーではなくて映画だからね。映画が撮影された場所は水俣ではなくて海外である事は意外だったが、役者さんたちは上手く演じていた。なんといっても「チッソ」を糾弾する会、実際は「水俣病を告発する会」と言ったが、リーダー役の真田広之が上手かった。彼の熊本弁もさほど違和感はなかった。加瀬亮、浅野忠信、「チッソ」の社長の國村隼も好演。この映画は日本映画ではなくてハリウッドで製作されたもので、基本は英語で字幕スーパーである。日本の役者さんたちも英語が上手くなったなぁと思う。で、主役ユージン役のジョ二ーデップだ。カメレオン俳優らしくジョニーデップ感を完全に消していた。ユージンは元々アルコール中毒、3年間住んだ水俣では襲われて大怪我もする、波瀾万丈というか破天荒な人らしいが、ジョニーデップは難しい役を十分こなしていた。アメリカから通訳として水俣に同行した女性、アイリーンを演じた美波という女優の演技も良かった。アイリーンは水俣に入った直後にユージンと結婚していてその後離婚。現在京都に在住ということに驚く。故人になったユージンの写真の著作権は今アイリーンにあるそうである。
ユージンが撮影した写真の中で水俣の惨状を世界に知らしめた「入浴する智子と母」という有名な写真がある。メディアを通して私は何度もこの写真を見た記憶があるのだが、今は封印されているということだ。この写真が撮られた1971年といえば肖像権はあまり問題にされなかった時代だったと思う。今も智子さんの家族が健在と思えばという配慮であろうが、最後のシーンで一瞬使われている。この写真が世界中で水俣の惨状を訴えたという事が理解できる。智子さんは胎児性水俣病の患者さんだ。チッソは肥料を製造していた大企業でメチル水銀を含んだ工場排水を水俣湾に流していた。その海で獲れた魚を食べていた地元の人々。智子さんはその時お母さんのお腹の中にいた。お母さんが食べた魚の害毒を一身に引き受けて生まれてきたのが智子さんだった。映画ではお母さんが「この子は宝子たい。この子を中心に家族は助け合って生きていけるけんね」と語っていた。現実の智子さんは二十歳になった。成人式の振袖を着て母親に抱かれて半身を起こした写真を残して翌年亡くなっている。
ラストで世界中で起こった環境破壊の事案のリストが画面に流れた。
その中で一番印象に残ったのが日本の福島第一原発事故だ。まだ何一つ解決していない。メルトダウンした核燃料はそのまま残っている。廃炉作業をしたくても放射能が強くて誰も近づけない。これも水俣病と同じく、解決まであと数10年か100年以上かかるのだろう。水俣病は未だ患者認定を巡って裁判が続いている。環境破壊とはそういう物だと思わなければならない。
この映画は日本では製作は不可能だったろう。この時代ハリウッドは良くやったと私は評価したい。
最後に坂本龍一のピアノのみの劇伴も良かった。
#映画 #MINAMATA-ミナマタ-#水俣病#ジョニーデップ#真田広之
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