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なんもしないをしないのはいやだった

『レンタルなんもしない人』をNetflixで見た。

わたし流行に乗るのがイヤで。だけど、ミーハーなとこもあって、こうやって時々だいぶ遅れてから見ます。
人生で1度は、誰も知らないような無名のときから応援してみたいと思うんだけど、なかなかできないですね。

3日間くらいに分けて、1日の楽しみに見てたんだけど「なんもしないのをしないのはいやだった」という言葉が心に1番残った。

昨日ちょうどこのシーンを見てたんだけど、〇〇ない〇〇ないとか同じ言葉続いて意味わかんなくなり、しかも眠くて、「、、、。え。どういうこと?」とはてなが飛んでました。

寝て起きたら、「なんもしないという『やりたいこと』を『しない』のはいやだった」という意味だったんだな〜と理解できた。笑

「なんもしないことしかできることがない」とレンタルなんもしない人は言ってて、それがものすごく強く聞こえたんです。

もちろんまっすーの演技のさじ加減とか、編集とかいろいろあるとは思うけど、わたしには1本の柱が見えるくらい強い響きで聞こえて、「軸があっていいなー」と思った。


すきな人の応援するのアリかもとか言ったって、やっぱ自分の軸が欲しい。「これがやりたい」て強く思えるもの。それってわたしにとってなんだろう?て考えちゃう。

レンタルなんもしない人はさ、軸を見つけてるわけじゃん。それってやっぱ強いよなと思う。
余談だけど、比嘉さんがやったレンタルなんもしない人のお嫁さんみたいな人間になりたいと思うね。あんな寛大な心で誰かを包んであげたいよ。

やっぱわたしには経験が足りないと思う。軸を見つけるにも、すきを見つけるにも、頭で考えてわかるものなんてない。やってみて初めてわかるものだと思うんだけど、勝手に頭で結論をづけちゃう。

最近だって、インスタ見てて「いいな」と思ったイラストを描く習い事。タブレット持ってないから行動できないのもあるけど、まあそれは買えばいいし、申し込みも苦なくできる。

ただ、その後よね。いざ習い事が始まって「わたしは自由時間に絵を描くのか?」と考えると、たぶん描かないことが想像できて、で実際にそうなってしまうと思う。
まあ良くも悪くも想像できることは実現できるっていうし、まさにそうだね。

で、こうゆうのが高校生くらいから積み重なってるんだ。
「やってみたい」と思ったことたくさんあるけど、金銭面、心理面、取り組み力で言い訳して経験することをしてこなかった。

例え、本当にやらなくても、申し込みだけでもすれば世界は変わるのかもしれないね。
タブレットないけど、申し込んでみる?





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