社会人になってから推しの尊さがしみる
ヲタクでよかったなと思うことの1つに、推しのすべてを肯定的に受け入れられることがある。
例えば、考え方や価値観が違っても、推しがすきだから「理解したい」と思う。
最近、頭を占めてる2点がある。
1つ目は、推しの仕事はバラエティーやドラマなど楽しそうだけど、楽しくないのかもしれない。
2つ目は、「ファンのために」と行動できること。
楽しそうだけど、楽しくないのかもしれない
誰もが1度は、「芸能人の仕事って楽しそうだな〜」思ったことがあると思う。
テーマパーク行ったり、おいしい物食べたり、クイズしたり、即興コントやドラマなど、観ていて楽しそうだな〜と思う。
だけど、社会人になってから、「やる側になったらどうなんだろう?」と思うようになった。
私が仕事をやりたくねぇと思うように、「つまんねぇ企画」、「なんもおもしろくねぇ」と思うことはあるんじゃないかと思う。
観ていてつまんない企画はあっても、推しがつまんなそうにしてるのは、あまり見たことがない気がする。
「楽しそうに観せる」ってすごいことだよな、と痛感してる。
「ファンのために」と行動
「また、ファンの子のためにできるように、自分のための時間を過ごしてきます」
とても印象に残っている推しの言葉だ。(意訳)
推しは20年以上、芸能の世界にいるけど、ファンのために居続けたってすごいことだよね。
わたしの仕事の場合ファンはお客さんになるんだろうけど、お客さまのためになんてしてないもんな。
人のためになんて、続けらんないよ。
なのに推しはさ、芸能の世界に縛り付ける一因でもあるファンに感謝してくれるんだよ。
20年以上も人のために、自分のプライベート投げ打って捧げられるってマネできることじゃないけど、とても学びになるな、と改めて思ったんだよね。
ま、推しはいろんな意味で尊いってことです。
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