メタファーについて勉強してみた。
とある本の中で、メタファーという言葉を見つけました。どうやら文学用語らしいですが、まったくもって何のことやら。
言葉的に連想できるのは、メタモンとか、メタモルフォーゼ(変形、変身などの意)とかですかね。あとは心理学用語であるメタ認知(客観的に自分を見る、的なやつ)も連想できました。
なんというか、違った捉え方をする、的な意味の言葉なのでしょうか?よくわかりませんが、予想はさておき、真実を調べてみることにしました。
私がグーグル先生で調べた結果、メタファーとは比喩表現の「隠喩」にあたるものだと知りました。へえ、隠喩のことをメタファーっていうんだ。なんとなく感心。
比喩表現とは、簡単に言うと「たとえ」のことです。たとえば、「あの男はまるでゴリラのような肉体をしている」という文章においては、男の肉体をゴリラの肉体にたとえて表現しています。
単に「筋肉ムキムキ」と説明するよりも、たくましい肉体が想像できるかと思います。
そして、この比喩表現の方法には、大きく分けて2種類あります。
ひとつめが、先の説明で用いた直喩法。たとえであることを明記してあるので、読めばたとえであることが理解できます。なので「あの男はまるでゴリラのような肉体をしている」という文章は、直喩法です。
ふたつめが、メタファー、つまり隠喩法です。一種の悪口として多用される「あのクソゴリラが」という言葉においては、悪口の対象となる人物がゴリラのような人間であることを表現しています(場合によっては本物のゴリラを指す言葉でもあります)。たとえであることが明記されていないので、言葉の受け取り手には察する能力が必要となります。
たとえであることを読み手が分かるように説明しない、だなんて、なんだか不親切な気がしませんか?だって、読み手にわざわざ想像させないといけないのですから。
じゃあ、なんで隠喩なんてするのでしょう?実は、隠喩にはいろいろと効果があるのです。
その効果のひとつは、物事を分かりやすくすること。「え?分かりやすくなるの?」と疑問に思う人もあるかもしれません。だって、たとえ話であることを明記しないのに、逆に分かりやすくなるの?どういうことでしょうか。
この説明に適切なたとえがあります。それは、寓話です。寓話とは、イソップ童話をはじめとする、教訓的なことを物語形式であらわす話です。
オオカミと少年の話は、嘘をつき続けると誰からも信用されなくなるという教訓の隠喩です。「嘘をつき続けると誰からも信用されなくなるよ」と言葉にして言われるよりも、物語として疑似体験したほうが腑に落ちるのです。
もうひとつは、心情描写です。この説明をするために、恋心を抱く少女さんに手伝ってもらいます。
彼と森を歩く。紅葉が赤く染まる。夕陽が当たっているわけでもないのに、ほっぺたが熱い。
以上の文章は、好意を寄せる男性に対して少女が抱く恋心の隠喩になります(少しわかりづらかったでしょうか)。
わざわざ「私は隣を歩いている、この男の人のことが好きなんです!」と説明されるよりも、こうやって暗に伝わってきた方が、なんとなくわかる気がしませんか?
「好き」という言葉は、ストレートで気持ちの良い言葉かもしれません。が、そのひとことでは表しきれない複雑な感情を、「好き」のひとことで片づけてしまうと、興醒めしてしまう場合があると思います。
人の気持ちとは、そもそもその気持ちをあらわす言葉が無ければあやふやにさまよい続けるものだと思っています。なので、「恋している」という言葉よりも、「ほっぺたが熱くなる」という感覚を言葉にした方が、より伝わる場合があると思うんです。
そんなこんなで、比喩表現、特にメタファーについて自分なりに述べさせていただきました。ひとくちに比喩とかメタファーとか言っても、今回紹介した以外にいろいろな技法があることだと思います。
奥が深くておもしろい面がたくさんあると思うので、これからも勉強と技術習得を楽しんでいきたいと思います。
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