「不正義の平和」とは何か① (甲神部隊について)

 今年も1945年の8月6日9日広島長崎に米軍機による原爆が投下されてから78回目の原爆記念日がおとずれます。
 さて、私の郷里(広島県神石高原町)では、当時、広島市に原爆が投下される前に徴兵されなかった30代半ばから40代の人たちが準軍属として広島市内の家屋疎開などのために入市されました。ただ、入市される前の役場の人の話しでは「戦地に赴くのではないので生死に拘る事はない」という話もあったそうです。そして、この人たちの事を「甲神部隊」とされました。

甲神部隊」とは当時の広島県甲奴郡と同・神石郡から併せた人たちの部隊名の事です。この部隊の人たちが甲奴郡上下(現・府中市上下)に集合してトラックなどで広島市に向かい入市され、家屋疎開の作業に従事されていたのです。そして、一応は軍属ですから棒給が支給されるという建て前もあり、当時、戦中時代において現金収入が少ない家庭にとっては行かざるを得なかった事も十分に考えられるのです。

(つづく

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