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雑談*僕を線路に呼ばないでほしい

笑顔の男性たちが、線路から手招きしている。
前でも、横でも、後ろでも、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと

n.

渋谷駅のホームドアに、「手招きする動画広告」が掲載されるようになった。その1種類だけがエンドレスに繰り返されている。呼ぶ人たちは笑顔を浮かべている… …

初めは、いつもの白昼夢かと思った。
しかし注視すれば、その手招きした先に、日付とイベント名が掲載されているのがわかる。現実の光景だ。それが現実のものだと確認されてなお、その空間の衝撃と、生まれた衝動はひどく僕の中に強く印象づけられた。

*

僕のような人間は、脳内で見た風景と、現実の風景が混同されやすい。そういう症状なのだという説明を受けた。言い換えれば白昼夢だとか、幻覚だとか、そういったものに近いようだ。世界がいきなりモノクロの線画になるのはまだ"わかる"範囲だが、たとえば仕事の連絡や知っている後ろ姿なんかが見えると、それが自分の脳内にしかないものだと理解するには時間がかかる。具体的にいえば、存在しないメールに対して返信を送って齟齬が発生したりとか、存在しない後ろ姿を追いかけて川の中に入った後だとか、行動をしでかさない限りは"それが存在しないのだ"という判断が下せない。
だから、きっと今見えている風景にも僕にしかわからない非現実が紛れ込んでいて、そのことを共有できる相手は誰もいないのだ。
はじめに、いつもの白昼夢を疑ったのもそのせいだ。

*

とはいえ。
後ろ姿に招かれて川に入る、なんて体験は稀かもしれないが。
「月曜日には"電車がよく止まる"」
「学生であれば、夏休み明けに"それ"が起きやすい」
なんて話を耳にする程度には、欲求に飲まれる人間が多いのだろうな、と想像される。
実際どれくらいの規模の人数が、どのくらいの強さでそれを感じてるのかはわからない…実行された結果しか見えないし、個別の判断はそれぞれになされるべきだろう。個別の動機は本人の内心にしか存在しないかもしれないが、傾向として語られる程度には、数が出ている事例なのだと思う。

そしてその"欲求"を押し留める声として、「リスクもコストもかかるんだから迷惑かけるな」という論がある。電車遅延のツイートによくリプライがついているのを見かける。顔も見えない他者のコメントだが、きっと怒ったりイライラしていたりする、その空気は伝わる。電車のラッシュや終電間際でよく見るあれだ。あの人たちをさらに怒らせるのはいやだなあ、なんて思いで、踏みとどまっている人もいるだろう。

だけど、笑顔で招かれたのなら…どうだろう?
少なくとも、僕には、タガがひとつ外れる感覚があった。

広告があった場所には、実際にはホームドアが設置されているから"もしものこと"は滅多に起こらないだろう。だけれど、僕が降りる駅にはホームドアが付いていない。眠気で胡乱になった頭の中では繰り返し繰り返し笑顔で手招きがされている……

*

電光掲示板が目的地を告げる。
ドアが開く。
足を踏み出す。
背後で、せわしなく、ドアが閉まる。
駅のアナウンスが終わるまでもなく、電車は走り去っていく。
背後を振り返ると暗い暗いどこまでもどこかに繋がる"道"がある。
"欲求"。

がつり、と腕を掴まれる感覚がする。
いつもの白昼夢だ。これは現実のものではないと"わかる"類のやつだ。
見上げると、カラスの頭蓋骨をした男が"道"を塞いでいる。
自分の二の腕は金属のワイヤーに貫かれており、それはギリギリと巻き取られていく。体が引き寄せられ、"道"から離れてしまうが、自分はそれから抗う方法を知らない。ワイヤーの先はガショガショと足音のうるさい…金属製の…なんだろう、例えるなら蜘蛛と脳と臓物を模したような群れがホームを埋め尽くしていて、その奥へと引き摺り込まれながら、そいつらを掻き分けながら帰路につく。現実ではないとわかったところで、脳内から消えてなくなるわけではないのが厄介なところだ。こいつらがいなくなるには脳の方を消さなければいけない。だけどこいつらの方も欲求をなかなか許してくれるわけがないのだ。

*

だったら、せめて"欲求"を誘発しないでほしい。
僕を線路に呼ばないでほしい。
たのむぜ。

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