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雑談*憧れの人に年齢が近づいていく

作中の表現はフィクションであり、この世のすべてと関係ありません。

*b.w.

ふと日が陰ったので空を見上げると、もくもくと夏らしい雲が頭上を通り過ぎていた。じゃわじゃわと耳に飛び込むのはひっきりなしの蝉の声。青々と茂る緑の匂いは、土いじりのおかげで香りを増していた。生命力の主張が、Wの五感から伝わってくる。背後から軽い足音が近づいてきていた。

「あれ、W先生。外にいるなんて珍しいね」
「たまにはね。とはいえ、もうすこし日が落ちてからにすれば良かったと思っている処ですよ。私はB君ほど涼しい顔をしていられないようです」
「あはは。先生、暑いの苦手そう。こっちの方が日陰でいいんじゃない?」
「そうですね、ご一緒させて頂きましょう」

Wは土で汚れた手をすすぐ。庭の木陰に備え付けられたベンチに、BとWは隣り合わせに腰掛けた。風は湿度を伴ってゆるりと周りを取り囲んでいた。春には蝶が窓辺を賑わせていたものだったが、今はトンボがびりびりと翅を震わせている。近くの池から飛んできたのかもしれない。

「なんでまた外にいたの?庭の手入れ?」
「そうですね、そろそろ盆の季節ですし、多少は綺麗にしようかなと」
「盆?……ええと、墓参りの風習だっけ」
「ええ。先祖や亡くなった方の霊が現世に帰ってくるので、墓や家を調えて、お迎えやもてなしをする、というものですね」
「ふうん。それじゃあこの庭って誰かのお墓なのかい」
「いえ、そういうわけではありませんよ。ただ、私の気持ちの整理みたいなものです。その人が帰ってくる場所はここじゃあないでしょうけれど、現世が綺麗な方がいいんじゃないかっていう、勝手な想像がありまして」

Wの手によって、狭そうにしていた鉢植えは花壇に植え替えられ、雑然としていた庭に一定の節度が与えられていた。庭ってこんなに広かったっけ、なんてBが呟く。空間ってやつは少し手を入れれば印象が変わるものですよ、とWが返す。

「僕は霊ってやつを見たことがないんだけれど、先生には見えるのかい?」
「いいえ。ほとんどの人は見たこともないでしょうし、そもそも存在すらもたしかじゃあありません。ただ、なんとなくいることにしているんですよ」
「ふうん。いるかいないのかわからない奴をもてなすって不思議なものだね。宗教的な結束が得られるのかな?たしか、他の国でも死者を迎える風習はいくつかあった覚えがあるけれど」
「宗教的な一面もあるでしょうけれど、まあ、気持ちを整理したいんでしょう。生きていることと死んでいることが地続きであるということを、定期的に認識しておいたほうが安定するのかもしれません」

儀礼を必要としているのは、生きている方の人間の都合ですからね。

「先生は死後のセカイとか霊とかって信じているの?」
「どうでしょう。私には確かめる方法がありませんからね、信じるかどうかの段階にまだ立っていないでしょう」
「確かめられたらそれはもう信じるとかの段階過ぎてるんじゃないかな」
「ふふ、それもそうですね」
「それで、信じられてはいなくても、盆にそなえて庭は綺麗にするんだね」
「ええ。……その人が好きだった樹があるんですよ。私にとっては思い出のものなのでね。B君はあまりこういった習慣には馴染みがありませんか?」
「そうだねえ。僕はあんまりわからないなあ。ここに来る前は先祖とかの風習はそんなになかったし、身近な人が、ええと、死去する?という例はまだ経験していないし」
「なるほど。先日も死生観の話題に興味津々だったのも、君の生活にこれまでに馴染みがなかったからでしょうか」
「それはあるかも」
「こういうのはタイミングや個人差がありますからね。これまでが幸運かどうかはわかりませんけれど、まあ、今後そういった経験はあるでしょう。雰囲気を知っておいても損はありませんよ」

今度盆の飾りでも作ってみましょうか、そういうのって信仰心がなくてもいい物なのかい、ものは形からですよ、まぁ一度くらいはやってもいいかな、ではまずは茄子と胡瓜から準備しましょうか、それ必要なの、もちろんですとも。

わだかまっていた雲が通り過ぎ、日差しはまた強まっていく。
夏はまだまだ続きそうだった。

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