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雑談*「これはパイプではない」「これは窃盗ではない」

作中の表現はフィクションであり、この世のすべてと関係ありません。
ませんのだけれど、2020.7.10に開催された「盗めるアート展」をはじめいくつかの既存の展示が話題に上がったりしました。

*b.o.
しとしとと雨音があたりを包み込んでいる。初夏らしく、熱風とも感じられるほどの気温と湿度をはらんだ空気が肌のすぐそばまで這い寄ってきていた。
Bはクッキーをひとかけ口に放り込んで、あたりの空気ごと…湿気を含んだ食べ物を…咀嚼した。さきほど封をあけたばかりのインスタントコーヒーも、ビンの口に粉がまとわりついてしまった。梅雨という時期は、どうにも物質の性質を変容させてしまうようだ。あるいは、人の調子にまで。
Bのほかに、クッキーに伸びる手があった。手の主、Oの顔色は今日もよくない。雨の日には頭痛がするのだと言っていたか。

「雨だな」
「雨だねえ」
「そーいや、梅雨になると泥棒が減るって、センセーが言ってたな」

先生、とは、この場にいないWのことだ。BとOの共通の知り合いなので、こうして話に上がることがある。

「雨だと泥棒が"減る"、って不思議なことだね。どちらかっていうと、物音や足跡をかき消してくれそうだけれど」
「その発想は悪寄りじゃないか?」
「なんだい、違うのかい」
「ま、たしかに雨音は助けにもなるだろうけど、雨そのものが厄介なんだろ。持ち物は濡れるし手元は狂うし、なにより住人が窓に鍵をかけちまう」
「ああ、なるほど。地域によっては、そもそも鍵をかけずに外出する文化があるんだっけ?」
「らしいな。うちの爺さん家も田舎だったもんだから、鍵をあけっぱなしで買い物に出ては、よく空き巣に入られてたって話だ」
「へえ。再犯相手じゃ間取りとかばれて、いろいろ大変だったんじゃないのかい?」
「それが、爺さんのはカメラが趣味だったんだけどよ。秘蔵のライカを守るために、目につくところに"壊れたカメラ"と"金一封"を置いていたらしい」
「いいカモじゃないか」
「人が良いんだよ。ま、そのお陰で、懐はちっと痛んだものの、ライカは形見になるまで残っていたんだぜ」
「肉を切らせて骨を断つ、ってかんじだなあ」

Oはこめかみをぐにぐにと指圧しながらソファーに腰掛けた。O自身がこの調子だから、泥棒側の立場では不利な想像をするんじゃないか。Bはそんな考えを及ばせたが、泥棒が減るという話はWからの話だとのことだったので、何かしらの根拠はあるのだろう。
そういえば、とBは口を開く。

「最近似たような話を聞いたなあ。"梅雨って洗濯物の被害が減るから一長一短"」
「誰のセリフだそりゃ。ええと、部屋干しするから、ってことか?」
「クラスメイトの女子が言ってたんだ。"外に干してるとなくなるから、部屋干しだとその点なくなる心配は減るけど、乾きにくくて困りものよね"ーって。なくなるってどういうことだろう。カラスのいたずら?着るものがなくなったひとが盗むとか?」
「そりゃ下着泥棒のことさ」
「……ふうむ?」
「お前にゃ縁のない話だろうが、年頃の女が身につけた下着を欲しがる泥棒が居るそうだ」
「不思議な話だなあ。お店で買えばいいのに」
「その話は掘り下げねえぞ」
「ううん、わかった。それでさ、彼女らがいうには、なくならないような対策がいくつかあるらしい。男物の服を吊るすとか、一番外側にタオルやシーツを干すとか、"偽物"を干す、とか」
「偽物?」
「そう。"とられてもいいように"、安物を吊るすんだって。そうすると、価値がないって思われたり、たとえなくなっても安く済むってことみたい。そうか、盗みのことなら盗む価値なしってことか」
「へぇ……。ああいうのも苦労してんだなぁ。女性のインナーって値が張るって言うしなあ」
「ただでさえ人間は生きるコストが高すぎるのに、金銭的にダメージがいくのはかわいそうだなあ」

Bはやれやれと頭を振る。Oは心中で、それだけじゃねえけどな、とこぼしたが、声にすることはなかった。Bにはなまなかには通じるまい。

「"盗みたい"犯人と、"盗まれても良い"物を提供する住人、っていう構図は面白いなあ。ともすれば窃盗を許可しているようにも見える」
「いや、どう考えても好き好んで提供してるわけじゃねえぞ」
「それはわかってるけどさ。でもほら、画廊でも"テイクフリー"なんて表示を見かけるじゃない」
「お持ち帰り自由ってやつな。名刺とか、DMとか。お前に連れてかれた展示でも、展示物のほとんどがポストカードでテイクフリーになってなかったか?」
「そうそう。あれなんかは、お互いに承認して譲渡しているわけじゃない」
「そうだな」
「ほかにも、"展示物を持ち帰り、誰かにプレゼントすること"って決まりがあるコンセプトアートも開催されたことがある」
「プレゼントするってまた面白いな。玉手箱かなんかか?」
「たしか花だったと思うけど…今は思い出せないや」
「ふうん」

Oは相槌を打って、飴玉を口に放り込んだ。個包装の飴玉は湿度の影響を受けていないが、気温の高さによって、やはりじっとりと輪郭を溶かしている。
Bはというと、端末を操作していた。件の展示について調べるつもりだったのだが、するとトップニュースが目に入った。

「O、みてよこれ。展示品を"盗んでよろしい"ってやつが話題になってる」
「なんだそりゃ」
「今日開催されて、すぐに全部の展示品が盗まれちゃったみたい」
「さもありなんっていうかなんていうか…遠慮がねえなあ」
「詳細はこれじゃわからないなあ。有名人でもいたのかな」
「かもな。それなら即売会とかにすりゃ儲かりそうなもんだが」
「あっはは。転売屋がさっそく商売にしているみたいだよ。商売にしないことがアート性を強めるとする風潮もある、そのへんはストリートアートなんかが代表的ではあるけれども」
「売れなくて筆を折ったアーティストなんて山ほどいるだろ。食えるに越したこたねえのにな」
「それはそう。ふうむ、公式サイトでは盗みに関するガイダンスもされていたようだけれど、面白いなあ」
「面白いって、それはさっきの話の続きか」

「"盗んでよろしい"という場でお互い承諾して物品の所有権が移動した場合、それは"譲渡"とどう違うのかな?」

Bは挑戦的に目をきらめかせている。人間の感情を明文化することは、彼の好むところであった。Oは思いを巡らせる。

「感覚的には、窃盗は”人目を忍んでやること”って印象があるな。承諾しているといっても、作家本人がその場にいないんじゃないか?」
「店員の目の前で万引きするっていうのも事例としてはあるでしょ。なんならひったくりも盗みに該当すると思うんだよね」
「広いくくりでいえば強盗も盗みの枠内なのか。堂々とした盗みもアリだとなると難しいな。それじゃあ許可の有無か?いやでも、この場合…」
「そう、この場合は"盗んでよろしい"ことになっているから、許可はあらかじめ出されている」
「それなら途中で話していた、"テイクフリー"と構造は近いのか」
「僕の目からみれば、起きている現象は"テイクフリー"で譲渡されたものととても近しい。だけど、この展示ではそれを譲渡やテイクフリーとはうたっていないし、多分、君も違う印象があるだろう?」
「ああ。すぐに全部の作品が盗まれたってところで、治安悪いなって思った」
「これってなんでなんだろう。テイクフリーを持ち帰るのと、盗んでいいよを持ち帰るのって、心理的に何が違ったのかなあ。それがハガキか額縁かっていう、物の価値の違い?」
「そういわれると説明が難しいなー。テイクフリーでいえば駅前で配ってるやつがあるけど、ティッシュにチラシが挟まってるものから、ハードカバーの本まである。そのふたつの物的価値は均等ではないはずだ」
「ハードカバーの本を、無償で配布するなんてある?」
「ある言説を取り上げたものだ。たまにうちのポストに入ってたりもするぞ」
「わー。ごついね」
「ごつい。が、まあ、それだけのコスパが発揮されるんだろう。つまりそもテイクフリーのものは"配ることに意味が発生している"んだ。花のプレゼントアートもこっちの意味合いに近いと感じる。対して、盗んでいいものは"人の手に渡ることそのものには意味が置かれていない"。結果は似たものになってしまっても、目的とされる状態が異なるんじゃないのか?」
「ふむ。目的の違いはわかりやすいな。盗んでよろしい展示でも、"盗まれるまでは正常に展示する"という趣旨だったみたいだし」
「あくまで目的は展示会だったんだろう。それが、あわよくば手に入ってしまう状況だった、というだけで」
「展示会、かなり盗みやすい環境下だったっていう話はあるみたいだね。めちゃくりゃ重かったり壁とくっついてて盗みにくいものがあってもいいのかなあ、なんて思ったけど」
「そのへんはコンセプトとの兼ね合いもあっただろうがな。まとめ記事からは作家の話はあまり見えていないから、今後なにかしら表面化したら知りたいところだ」

喉を潤すために、Oはコーヒーを口にした。はじめは思い出話だったはずが、いつの間にか熱が入ってしまったようだ。こころなしか血行もよくなったきがする。
Bの端末記録は、炎上展示のまとめ記事へと推移していた。話のタネはまだまだ尽きそうにない。

「"アートとは、己に内在する価値観を表面化することによって社会に変容をもたらす行為だ"という派があるのだけど、それでいえば今回の事件は一定の使命を果たしたのだろうか」
「さてな。炎上だのなんだので一過性で済んでしまうか、それとも個人の記憶に爪痕を残すのか…色んなパターンはあって、それを定量化して評価することはかなわないさ。それに、広く認知されなくても価値を見出されることもある」
そのへんもこれから表面化すれば見えてくるだろうよ。たとえば君が展示を行うとしたらどうなるだろうか。それは俺に企画設計を発注するってことかい?費用対効果を照らし合わせてプランニングしてやろう。知り合い価格で何とか頼むよ。云々。

雨音はいつのまにか遠ざかり、窓の外からは鳥の声が聞こえ始めていた。

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