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雑談*インディーズ書籍がどこかの本棚に収まっている

コミケとコミティアがないGWを越えて

n.

本が好きだ。
「この世に読み切れないほどの本がある」
という事実だけで、自分にとってこの世は幸福だ。

本がそこに存在するということは、本を作った、文字を書いた、絵を描いた、紙を綴った、……誰かが「本にしたい」という思いがそこにあった、という証明である。本はこの世に生まれ落ちた瞬間に価値があり、そして存続にもまた人の手が関わっている。

素晴らしいことに、出版物が国会図書館に収蔵されるというシステムが稼働しているので、物理書籍が発行されたら、絶対にその棚にこの本が収められているのだ、という幸福がある。
読まれるためにうまれ、読まれるのを待つ本の姿を思うだけで涎が出る。

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本を作るのが好きだ。
「1年に1冊、どんなに小さくてもサークルで本を作る」
というライフワークを持っている。
オフセットだったり、オンデマンドだったり、手製本だったり。作るのは少部数で、流通に載ることはない。
(nが流通に載るような作品に関わらせて頂いたときには舞い上がったものだ。ダンシングウィズマッドネス。その節はありがとうございました。)

自分が死んだあとにも、どこかの本棚に自分の本が収まっている、という想像をするのは幸福だ。願わくばそれが現実となってほしいものだ。

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コミックマーケットやコミティアには、「見本誌」というシステムが存在する。「その時の新刊を見本誌として提出し、会期後には資料として保管する」というものだ。このシステムは国会図書館に似ている。つまり、イベントで本を出せば、その本は確実に…見本誌という形で…ほかの本棚に収まるのだ。保管期限や詳しい状態については追い切れていないので、国会図書館のようにはいかないかもしれないけれど、見本誌読書会というものがたびたび開催されていたりして、イベントの後や外で目に触れることもあるのだった。

国会図書館にもはいっていない本が、あの時あの場所でしか人の手に渡らなかった本が、そこで本棚に収まっているのだ、という想像は、自分みたいな人間にとってはとてつもない希望だ。

なんなら、そこの本棚を埋めるためにイベントが開催されているのだ…という誰かしらの意図が働いているのだとしたら、全力で賛同して支援したいくらい。どうしてここに五千兆円がないのだろう。五千兆円があれば解決できるできごとがいくつもあるのに。

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コミティアの次回開催に向けての開催方針を読んだ(https://www.comitia.co.jp/html/133entry.html)。まだまだ予断は許さない状況だけれど、これから生まれる本たちを祝福したいな、と思う。
参加ができるか、日程がずれたときにどうするか、またまた未来は不透明だけれど。
クラウドファンディングを予定されているようで、なんとか存続してほしいの気持ちでいっぱいです。振り込ませてほしい。サークル呂黒木一同、参加できる日を楽しみにしています。

新作も作らなきゃならんね。今年の1冊はなににしようかな。

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2020/9/9追記
8/28から開始のCOMITIAのクラウドファンディング、1億円突破のニュースを見ました。目標金額即日突破もすごい。これだけ望まれてる場なんだなあと思って明るい気持ちになりました。作家さんたち書き下ろしの魅力的なリターンもまだまだポチれるみたいなので是非。10月23日まで。

ナタリーで掲載されてるコミティア談義も面白いのでぜひ。



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