雑談*渋谷のハコを出禁になった男
作中の表現はフィクションであり、この世のすべてと関係ありません。
*b.o.
週末にしては電車が空いている。そう思って隅っこの席に腰を下ろしたけれど、空いていたのはほんのひとときに過ぎなかったようだ。接続駅に近くにつれ、みるみる人口密度が上がっていく。
渋谷駅。隣の人も向かいの人もごっそりといなくなって、そしてみっしりと新しい人で埋め尽くされていった。人間の粒が入れ替わる様子は新陳代謝にどこか似ている。
やがて、目の前に二人の男が立った。20代半ばほどだろうか、大学生でもおかしくない。カジュアルでそこそこ洒落た、年相応の、遊びに出かける格好に思えた。男たちはがやがやと喋っている。
「とうとう俺、今日張ってたハコで出禁くらっちゃった」
「マジで?最近厳しくなってきたっていうけど」
「店の前で喋ってたり、LINEしてるだけでも怪しいって思われるみたい。店員が来てさあ、"あんたお喋り上手だね、昨日もココに居たでしょ?"つって。いや昨日は居ませんでしたけどっつったんだけど、"うちそういうの禁止だから"ってさ」
「そっかぁ。あれ、ハッセも出禁って言ってなかったっけ?」
「あいつは渋谷のハコだいたいどこも食らってるでしょ」
軽口のようで、なかなかに聞き馴染みのないフレーズが耳を通過していく。ハコ、という単語から、劇場やライブハウスが思い浮かんだ。そういえば、アーティストの出待ち規制だとかが話題になっていたっけ。出禁…出入り禁止になるほどというと、よほど足しげく通っていたのか。しかしそれにしては、男たちの声色は軽いものだった。熱心なおっかけファン、という様子ではない。
「出禁って、店前もダメだったらどうすんの?」
「他に売り手を使うしかないでしょ。自分は指示役に回ってさ」
"売り手"。"指示役"。きな臭い話になってきた。
「そういやザワは他に指示役が居るって言ってたよね」
「売るだけがラクって奴もいるよな。あんま顔が割れると面倒だと思うけど」
「頭回るか足使うかだからね。ナワバリ張ってても、結局出禁になったらよそを開拓するっきゃないでしょ」
「だよなあ。やっぱ売り手探すか」
電車がすれ違う。
地下鉄の反響する音で会話は途切れ途切れにしか聞こえないけれど、仕入れだのアガリがどうだの、商売の話に推移していった。商品についての具体的な名称は出てこないけれど、不穏な空気は色濃くなっていく。学生の小遣い稼ぎというよりは、小規模グループの組織立ったビジネスの枝葉の香り。こんなところで立ち話をするくらいだ。悪びれなく、彼らの生活の一部として組み込まれているようだが、表向きの世界しか見ていない自分にはなかなか触れない世界のようだった。
たとえば、グッズの転売だとか……ヤサイの販売だとか。
すべては憶測に過ぎないけれど。
こんなふうに、普通の人が、普通の生活の中で、やってるのかな。
実感が、肌に迫って感じられた。
*
「……ってかんじで、こういう"目の前にいる人が全然違う倫理観の持ち主だった"みたいな感覚って共感呼べるんじゃないかと思ってさ。なんかのネタにならない?」
「うーん、生活に潜むアングラネットワークとか秘密結社みたいな話だったら、学窓や統和機構とかの形で既に作品があるからなあ。キャラで魅せるか、成り上がりストーリーにするとか、そういうのだとキャッチーなんじゃないか。テンション高くて」
「もう、君はすぐアクション映画にしたがる。そういうものこそ世の中には溢れているだろ」
「いいじゃないか、現実をありのままに書こうとしたって退屈だろ?」
「いいや!僕は現実のことをよく知らないから、現実のように描こうとした時点で、既にフィクションになりうるのさ」
「そうかそうか、"なかったことを思い出す"達人だもんな」
「そういうこと」
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