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UCI GranFond World Championship Albi 2017

5:30頃に目覚ましセット。けどそのちょい前には目が覚める。

少し緊張していたように感じる。朝食はシリアル・フルーツジュース・ヨーグルト・バナナを混ぜたモノ。日本でも食べる慣れたモノを。どのくらい食べれば良いか分かっているから。

6:45には宿を車で出発して40分ほどでAlbiのレース会場へ到着。着替え2回目のトイレを済ませてから自走で4kmほど離れたスタート地点へ移動。流して走っただけなので調子がどうなのかは分からない。けどそんな事考えずにただただ集中するのみ。

街中の大聖堂前のスタート地点は狭い道路に各カテゴリーの選手が密集してカオス。年齢別カテゴリー毎にスタート時間が違うので時間優先ではないんだが。聞くところによると昨年のオーストラリアとはだいぶ勝手が違うらしい。この辺はこれから経験を積んでいくんだろう。勝手が分からないので珍しく30分以上前から並んでみたが、結局スタート時間近くなってスタートラインまで進む頃にはカテゴリー別にきちんと分かれるのでそんなに早くから並ぶメリットはなかったと思う。

8:30に19−34歳カテゴリーがスタート。8:37に35−39歳がスタート。

そして8:44に私の参加する40−44がスタート。年齢は数え歳。私はまだ現時点で39歳だけど10月には40歳になる。

スタート後5kmほどは市街地を進む。ラウンドアバウトや速度抑制のバンプがあり、まだ全選手が元気で皆が危険回避で前に上がりたがりので大変危険な状態。私はスタートは比較的後ろの方だったけど機を見て前に出る。市街地を抜けたあたりでは集団前方に出られた。ゼッケン581のTT優勝者Samuelを見つけて観察する。

優勝候補はSamuel。他の選手はまったく分からないけどSamuelに関しては色々聞いていた。フランスでは有名な選手で、この選手に勝てばプロになれるという登竜門的な存在だとか、昔コフィディスやアグリチュベルで走っていてツールドフランスにも出ていたとか、2015年のグランフォンド世界選手権では独走で後続に6分以上の差をつけて優勝しているとか、今年も木曜にやった個人TTで大差をつけて優勝しているとか。小柄な選手で、LOOKのフレームに白いスポークのLightweightホイールを履いて、ドロップ部を持った低いフォームで走っている。そういう事前情報を聞いているせいか、非常に強そうに思えてしまう。

10kmくらいで右折して郊外に出てすぐに緩く上り基調のアップダウンが始まる。そこでは10番手以内にいたので、集団前方のペースアップを視界に入れて走れた。アタックした選手を追う動きには必ず反応して、うっかり逃げ集団が出来て取り残されることがないように。やはりSamuel選手も積極的に動くけど、その動きは皆が注目していて絶対に逃さないという雰囲気。

コースマップの15km過ぎくらいで5−7人くらいで先行出来た。Samuelも入っていた。私にしては珍しく序盤から動けている。そして良いメンバーで集団から抜け出したのでチャンスと思い逃げを試みるが、やはりSamuelが入っているためか、後続集団も逃してはくれない。そして7人くらいいると皆が均等にローテーションするでもないので、これは吸収される。そのような動きの中で集団の速度は上がっているので吸収と同時に少し緩む。そこでまた集団から抜け出す動きがある。その前の動きにも入っていた積極的なUSAの選手が飛び出しており私も自然とそれを追走。集団が一息ついた良いタイミングで抜け出せた。しばらくしてパラパラと数人追いついてきて5−6人の逃げが出来て後ろと5〜10秒くらいの差がついた。作戦なんて考えていないし、メンツ見てもそもそも知っている選手は一人もいないので直感以外に頼るものはないけど、何も考えずに自然と身体が動いて勝負をかけていた。たしか、ノルウェーとデンマークの大柄ないかにも平地速そうな選手がいて高速巡航で後続との差を広げる事に成功。Samuelがいないしまだゴールまで130kmくらいはあるので集団も容認したのだろう。勝算なんてまるでないけど、とりあえずゲームは始まった。

後ろを確認すると遥か彼方に集団が見えるくらいには差がついている。30秒くらいか?30km過ぎに1kmほどの丘がある。金曜に下見しておいて本当に良かった。ここは逃げ集団がバラけない程度にペースを保ってクリアしたいところ。麓から頂上まで先頭でペースを作った。そしたら大柄な2人が遅れてしまう。ここで待ったとしてもこれから続く遥かにキツイアップダウンを考えると厳しいだろう。USA(Marco)とドイツ(Michael)に『速すぎた?』と聞くと彼らは問題ないと。そのまま3人で逃げ続けることに。
Marcoは長身でエアロロードに乗って超エアロなフォームでポールを彷彿とさせる。下り&平地を強力に牽引してくれる。Michaelと私もそのペースに合わせて綺麗にローテーション。かなりのハイペースで突き進む。60km地点を前にして7分前にスタートした35-39歳カテゴリーにも追い付いてしまうほどの良いペース。逃げてる我々が前の集団に混ざってしまってはゲームとして不平等なので我々は大集合従えて3人でローテーションを続ける。ここらへんの統制はしっかりしている。

35km地点から56kmまでの下り基調の約21kmは平均49km/h以上で走っていた。アメリカとドイツと日本の私と、3人で完璧な協調体制でローテーションをしてこの区間でかなりタイム差を稼げたと思う。長身のアメリカンMarcoが積極的なペースメーカー。

56km地点から10km弱で400m弱上る一番長い上りに入る。後ろは上りでペースアップするだろうからタイム差は縮まるだろう。オフィシャルのバイクはタイム差を計測・伝達はしてくれないのでまったく自分たちのアドバンテージが分からないまま走る。そこまでの下り基調区間でまったく脚使わずに走ってきた35-39歳クラスの選手たちが勝負どころとばかりに上りでペースを作るのでキツイんだが、我々はそのペースについていけば良いのでかなり助かる。頂上前で一旦下ってから上るんだが、その前までで6.7kmをNP300W弱。沖縄の普久川ダムの上りくらいか。上りも遅れずにクリア。再び長い下りに入ると40-44歳の我々3人がローテーションして走る。こちらのレースは上り頑張って下り休む、というものではなくてとにかく下りも平地も踏み続けなければならないので休む場所がない。

66km地点の山頂から96km地点の2つめの大きな上りの上り口までに2回1kmほどの上りがある。一つ目は下り終わりで登り返し→急勾配かつ非常に狭い下りと続く。上りのアタックにはピッタリ反応するのではなく、呼応してペースを上げて頂上までに追いつくように走る。MarcoもMichaelも遅れる事はない。狭い下りは明らかに試走してそこをアタックポイントと決めていたっぽい地元フランス人達が飛ばして突っ込んでいく。私も少し遅れながらも必死に追い、平地に出てから追いつく。そこから次の大きな上りまでの15kmの途中に一度1kmほどの上り。切り立った崖がすぐ下に見える風光明媚な道。ここで足首の上、頚椎あたりを攣りかけるが、なんとかダンシングでしのいでまた平地。引き続き我々逃げ3人衆がメインでローテーションするんだが、ここらへんでかなりキツくなってくる。Marcoよりも小柄なドイツ人Michaelの方が力強くなる。私は次の長い上りで遅れないように、平地で力を使いすぎないよう気をつける。

96kmから始まる2つ目の長い上り。これを超えればゴールまでアップダウンは続くものの下り基調。ここで遅れたら集団に飲まれて逃げが無駄になってしまうだろう。上りになると35-39歳カテゴリーが俄然活発になりペースが上がる。我々おっさん3人衆はそこからなんとか遅れないように走る。だいたい3人共同じあたりを走っており、余裕度にそんなに差はないようだが、走っているポジション的にドイツ>アメリカ>日本、なのでそういう順番なんだろう。この上りは正直かなり限界で千切れそうだった。集団前を牽引し続けているのは我らが日本チームの超合金岩島選手。ひえ〜やめてくれ〜と心の中で叫びながら限界付近で粘る。なんとか遅れずに頂上をクリアしてほっと一息。プロフィールマップ上では二段階に上るように見えるけど、実際2つ目のピークまではほぼ上りと感じないくらい。2回めの補給も無事に受け取る。アメリカのMarcoは水を受け取れていないようでアクア!と叫んでいたので、補給所過ぎてからスタートから持っていて水が満タンに入っているリラックマボトルを一本渡す。

2つめのピークが106kmくらい。ゴールまで約50kmは下り基調だけど途中に絶え間なくアップダウンが続く。Marcoがキツイと言ってローテから外れるようになってきた。Michaelは力強い。私はなんとかペース落とさないようにつなぐ。引き続き後続集団とのタイム差は分からないけど、かなりいいペースを維持出来ているので逃げ切りの可能性もあるのでは?と色気が出始めるが、そういう皮算用していると決まって吸収されるので、余計な事は考えずに逃げに集中する。私の身体的特徴として、絶対的なパワーは大きくないけど後半になっても出せるパワーがあまり落ちない。キツイキツイと思い限界近くを続けていたのに後半の上りはけっこう元気でついていけるようになってきた。

ラスト25kmくらいからまた大きなアップダウンがあるんだが、35−39歳クラスの優勝争いが活発になってくる。フランス勢が非常に活発にアタックを繰り返し幾度となくペースが上がる。分断があるようならば必ず前に入れるように我々もダッシュを強いられる。ここにきてのアタック合戦にも3人共きちんと対応しており誰も遅れていない。このまま3人でゴールまで行けるのか??と淡い期待を持ち始めた時、集団左からアタックするフランス人。ゼッケンの色が我々と同じ緑色。唯一マークして覚えている#581。ついに来た!

Samuelが我々の集団まで追いついてきたようで、そこから猛烈なアタックをしている。集団もペースアップして捕まえるがそこから再びアタック。もう完全に一人だけ脚が違う。強引に集団を振り切って一人で飛んでいく。既に3人で100km逃げていた我々に追う力も気力もない。ラスト20kmは下り基調なので落車だけは避けるよう慎重になりつつも元気な35−39歳カテゴリーのアタック合戦から千切れないように走る。淡々と100kmほどハイペースを刻んで走ってきた後に、ラスト区間で死力を尽くしたアタック合戦というのはキツイところではあるけど、ロードレースをやっているという実感があって本当に楽しかった。これは国内のレースでは味わえない。

市街地に戻ってきてラスト10km。ここからは若干上り基調ではあるがほぼ平坦。もう世界チャンピオンにはなれないのは分かっている。3人で協調して逃げ切るという、最高のレースを完了しようとしているが、無情にも誰か一人は表彰台に乗れない。。スプリント力ゼロの私としては、逃げ切った挙句スプリントで3番手という最悪のシナリオがかなり現実的になってくる。こういう時はやらないで後悔するよりもやって後悔した方が良い。ラスト10km切ってからの平地区間で他の選手がアタックしたので全力で反応して一か八かの逃げを試みる。さすがにMichaelが逃してはくれず、しっかりと追走してくる。じきに集団に捕まる。ゴールスプリントに向けた集団は常に飛び出す動きと追走する動きがあるので不安定ではあるが、その動きにいちいち反応せずにコンスタントに走ろうと思えばそれなりに省エネでも走れる。位置を落としすぎないように注意しながらゴールへ向かう。

サーキットに入ってからラスト1km。試走ではサーキットまで入れなかったし、パンフレットなどでもゴール前の詳しい地図が掲載されていなかったので、どのような経路でゴールなのか分からない。サーキットなので道幅広いし、なんとなく右コーナー曲がってからゴールラインが見えてくるんだろうな、というくらいは想像していた。私が注意すべきは同カテゴリーのMichaelとMarco。ラストに向けてMichaelの方が前に位置取っているので、ぴったりと後ろに着く。ラスト1km過ぎてからポジションを上げていくのでピッタリとマーク。ラスト400mくらいはまだあろうかという場所からMichaelがスプリントを開始する。すぐ後ろについて集中していたので 車間を空けることなくついていけた。そのまま緩めることなくゴールに突き進むので自分が出られるタイミングを見計らってスプリントをかける。たぶんラスト150mくらいだと思うがなんとか前に出ることが出来たが、Michaelもそこから更に粘る。ほぼ並びだったが、最後は車輪1/4くらいの差で先着出来た。

アマチュアの世界選手権で2位だ。小さくガッツポーズが出た。走り終えてすぐにMichaelとMarcoのところへ行き検討を称え合った。完全に協調してこの大舞台で130km以上に渡って逃げ続けられたのは『最高のレース』だったというのは3人の共通認識。スポーツで国境を超えてこのように称え合うのは本当に感動的で、このレースに参加してよかったと心から思った。


データ:

157km 3’54”38 Ave 230.2W  NP 268.6W  Max 844W 153/175bpm  87.8rpm  平均効率45.1% 左右バランス53.6-46.4 3240KJ 294TSS

https://cyclo-sphere.com/w/6123eddc9721b6726ca8c951b3633b845a6efe2d0cb6b22d29be749b8405eff3

リザルト→http://albi2017cycling.eu/sites/default/files/Scratch%20155%20Km%20M%2040%2044.pdf

表彰台にこのJPNジャージを着て上がれた事、UCIの表彰式で日の丸をあげられた事を最高に誇りに思えた。何年後になるか分からないけど、いつかは必ず真ん中に日の丸をあげて君が代を流したいと決意するくらい、この経験は自転車競技人生のターニングポイントになる気がする。


おまけ:日本チームの打ち上げのレストランに世界選手権ロードやツール・ド・フランスで優勝しているズートメルク氏がいたので記念撮影を。


Special Thanks to 同行した福田さん、ヤギさん、ウエさん、他日本チームの皆様、JPNジャージデザインの民さん、ジャージ作成のサンボルトさん、ホイール提供のGOKISOさん、BontシューズのStyleBikeさん、Mag-Onのシーオスさん、メカニックの小畑さん、応援してくれた家族、会社の皆様。本当にどうもありがとうございました。

いつかはレインボージャージ穫れるよう、頑張ります。

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