鳳山七味のラムさん
吉野台地は5万人が暮らす鹿児島市のベッドタウン その昔は馬を放牧する広大な牧場でした。「吉野牧」と呼ばれました。 ただ、あの悪い狐たちもここを住み処にしていたようです・・・・
古典的な口説きのテクニックです。それと、 オゴジョとオコジョは別物ですのでよろしく。
地獄の沙汰も○○○などど言います。同じ音「サタ」が付いた佐多岬があるのは、九州島の最南端。どうやら「サタ」は端っこに充てられた地名のようです。 では、「ミサキ」という地名はどういう由来を持つのでしょうか?
私に長女が誕生したとき、黄楊の木を植えました。 今、腕ほどの太さに育っています。櫛が作れるかな?
がさつな薩摩の漢どもの生き様に触れていきましょう。 けっしてエロネタにしないことを誓います!
【 キリシマツツジを歌っていたのだった 】 花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは おはらハァ 桜島 《 なんで「江戸キリシマ」なの? 》
【 北前航路で潤った人々 】 花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは おはらハァ 桜島 《 なんで「のと」に「キリシマ」なの? 》 荒海に乗り出す命懸けの航海に従事することは、「陸の孤島」ともいうべき土地にあった能登半島の人々にとって、貧しさから這い上がる術となりました。 海上の道は、船乗りたちにもビジネスチャンスを与えたのです。
大河平の民家に咲くキリシマツツジ 【 能登半島に咲くキリシマツツジ 】 花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは おはらハァ 桜島 《 千里浜なぎさドライブウェイ 》
宮崎県えびの市「大河平小学校」にて 【 まぼろしのキリシマツツジ 】 花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは おはらハァ 桜島 《大河平の映山紅》 今から5年前の四月初旬、「おてっちき鹿児島おはら節」の最初の原稿を発行元の国分進行堂へ届けた日のことです。 赤塚社長から、伊地知さんの特集記事の存在を紹介されて「目から鱗が落ちる」驚きを受け、そして、まだ見ぬ「映山紅」に対して初恋に似た胸ときめく思いを抱きました。 もう、我
鹿児島市郡山「花尾のかくれ念仏洞」 作家五木寛之氏も中に入って合掌した 【 究極の選択 】 行こやはっちこや 太鼓三味線(てこしゃんせん) 背負(かろ)うて 何処も日が照る おはらハァ 天(あま)が下 行きましょう行ってしまいましょう 太鼓と三味線を 背負って どこも等しく日の光が照らす 慈悲の世界ですから 《 生きる・浮かれる 》
念仏信者は見つかると「拷問」を受けていたという 【 隠れ念仏 】 行こやはっちこや 太鼓三味線(てこしゃんせん) 背負(かろ)うて 何処も日が照る おはらハァ 天(あま)が下 行きましょう行ってしまいましょう 太鼓と三味線を 背負って どこも等しく日の光が照らす 慈悲の世界ですから 《大隅地方は念仏が盛んだった》 私の母は、三味線やゴッタンに合わせて歌うのが大好きで、何かにつけては「南無阿弥陀仏」を唱える熱心
柱に隠された仏像(南薩摩地方) 【 隠れ念仏 】 行こやはっちこや 太鼓三味線(てこしゃんせん) 背負(かろ)うて 何処も日が照る おはらハァ 天(あま)が下 行きましょう行ってしまいましょう 太鼓と三味線を 背負って どこも等しく日の光が照らす 慈悲の世界ですから 《 織田信長と石山本願寺念仏衆 》
庶民に愛されるゴッタンは三味線のルーツ? 【 ロックンロール 】 行こやはっちこや 太鼓三味線(てこしゃんせん) 背負(かろ)うて 何処も日が照る おはらハァ 天(あま)が下 行きましょう行ってしまいましょう 太鼓と三味線を 背負って どこも等しく日の光が照らす 慈悲の世界ですから
親鸞聖人像 築地本願寺 【 行こや はっちこや 】 行こやはっちこや 太鼓三味線(てこしゃんせん) 背負(かろ)うて 何処も日が照る おはらハァ 天(あま)が下 《 逃げるとは? 》
親鸞上人像(築地本願寺) 【 百姓逃散 】 行こやはっちこや 太鼓三味線(てこしゃんせん) 背負(かろ)うて 何処も日が照る おはらハァ 天(あま)が下 行きましょう行ってしまいましょう 太鼓と三味線を 背負って どこも等しく日の光が照らす 慈悲の世界ですから
好かん殿じょを 八畳敷ぃ据えて 見れば蛙どんの おはらハア 蠅獲い姿 「鹿児島おはら節」より 《蛙どんの蝿獲い姿》 その一方で、数百年という長い歴史を継いだ「武士」という身分がありました。 その結婚に関する習俗は、庶民と大きく違っています。 武家社会では、何事につけ父親の許しが第一条件でありました。 気の早い家では、まだ幼児のうちに結婚する相手が決まっていたとも言い ます。当然、父親どうしが取り決めたものです。 「
二つの屋根をつないだ雨樋(竹筒)の下が樋の間(てのま) 【 アマゾネス的実践例 】 好かん殿じょを 八畳敷ぃ据えて 見れば蛙どんの おはらハア 蠅獲い姿 「鹿児島おはら節」より 《ひったまがった 会場にいてそんな学会の雰囲気を楽しく味わいながら、ふと頭をよぎったことがありました。 それは、昔読んだ「東方見聞録」です。
表の間から庭を望む 【 方や、庶民たちはと言うと 】 好かん殿じょを 八畳敷ぃ据えて 見れば蛙どんの おはらハア 蠅獲い姿 「鹿児島おはら節」より 《オットイ嫁ジョ》 さて、「かごんま弁の世界」が醸す雰囲気がおおいに楽しめる歌詞です。私は「おはら節」の中でも傑作と呼ぶべきではないかと評価しています。 しかし、その分、県外の方や年若い方々には「難解」ということになってしまい
【 殿じょの正体をさぐる 】 好かん殿じょを 八畳敷ぃ据えて 見れば蛙(どんこ)どんの おはらハア 蠅獲い姿(へといすがた) 「鹿児島おはら節」より 《 八畳敷に座る? 》
樋の間から表座敷を見る 好かん殿じょを 八畳敷ぃ据えて 見れば蛙(どんこ)どんの おはらハア 蠅獲い姿(へといすがた) 「鹿児島おはら節」より 《 八畳敷って何? 》 本論に入りましょう。まず「八畳敷」をどう理解するかという問題です。 県下には、武士たちが住んでいた武家屋敷が当時のままの佇まいを残す屋敷群があります。「麓」と呼ばれる地域です。出水・知覧・入来・高山・蒲生・大口など
「二階堂家屋敷」(旧高山町) 【 八畳敷で何が・・・ 】 好かん殿じょを 八畳敷ぃ据えて 見れば蛙(どんこ)どんの おはらハア 蠅獲い姿(へといすがた) 「鹿児島おはら節」より