30年ぶりに釣りをしてみようと思う (1)

新居は300mほど歩くと埠頭に出る。朝夕の埠頭にはチャイナタウン系(何世代も前からアメリカに根を張ってチャイナタウンを発展させてきた苦労人のみなさん。対向概念として新大陸系とか呼ばれる、中国経済の躍進を背景にうなるような財力を伴って美国生活を謳歌しに来ている層がいて、いきなりタワマンに暮らしイヴォークを乗り回す彼ら新世代とチャイナタウン系との間には、お互い別の人種のように距離感がある)のおじさんたちが3、4人、釣り糸を垂れている。

中3で受験シーズンに突入するまで、釣りの好きな子供だった。誰にも話したことがないけれど、生まれて始めてメディアに載った原稿は、小学生のときに投稿した「つりトップ」の読者欄である。ちなみにものすごく改稿されていて、そりゃ子供の葉書なので当然なのだが、大人というのは他人の文章に無断でこんなに手を入れるのだなーと驚いたことがある。端的に言えば傷ついたってことになるのだろう。ルーズな私だが原稿修正の確認は最後まで粘れる理由がこのあたりにある。

もっとも足繁く通った多摩川は、日野橋をメインにコイやフナ、ウグイやオイカワをやったし、年に何度かは、五日市線に乗って渓流釣りに行った。ついぞヤマメにはお目にかかれず、半ベソをかきながら神戸岩の管理釣り場にたどり着くのだった。そこなら子供でもニジマスが釣れた。野山北公園の野池ではクチボソを爆釣したことがある。理由は簡単で、周りが袖1号で誰も釣れていないなか、私だけタナゴ針を持っていたのだった。

夏の家族旅行では観音崎の小突堤に行くのがお決まりで、海水浴場と磯に挟まれているので右に投げるとメゴチやシロギス、左に投げるとアイナメやウミタナゴが釣れて、あそこはほんと楽しかった。遠投できる地元の人は高価な岩イソメを付けてマダイやヒラメを狙っていた。原木中山の江戸川にはハゼ釣りによく行った。あと13号埋立地、いまで言うお台場にもカレイを狙いに何度も行った。相模湖にボートワカサギにも行った。

よくもまあ、年配の父親を連れ回したものだ。私は父が42のときの子供で、そして私は42で長男を授かった。精神分析でいう反復というやつだろう。友人の親たちと較べると10歳以上年長の父のことを、幼い私はスタミナがないなーと認識していたけど、いま45歳の私のスタミナは、55歳当時の父と比べても明確に劣っている。高尾山から陣馬山に縦走したり、アスレチック2周させられたり、ようやったな。

中学に入ると父より友人たちとの釣行が増え、二子新地までよく、鯉の吸い込みをしに行った。流行りのルアーに手を出し、夏休みは毎年、山中湖の平野ワンドにキャンプに行った。黙っていたけれど私(と父)は釣りが下手で、山中湖で釣ったバスは結局2匹だけだ。トーナメントワームで1匹、もう1匹は回収のときにトップでボコンと釣れてしまった。

話がだいぶ逸れたけどそんなわけで、釣りしてるおじさんたちと立ち話をする。釣魚はストライプドバスがメインで、あとアメリカウナギ、なにかの間違いでブルーフィッシュ(アミキリ)がかかることがあるらしい。以前ウィリアムズバーグに住んでいたとき、フェリー埠頭のあたりで釣りをしていた人たちもストライパー狙いだった。

タックルはみな一様に同じで、投げ釣り用みたいなデカいスピニングに投げ釣り用みたいなロッド 、それにミツマタを付けて、片方にハリス、片方に30号くらいありそうな捨てオモリ。日本でいう古典的なブッコミ仕掛けだ。餌は冷凍サンマのブツ切りだった。それをほとんど目の前へキャストして、鈴つけて置き竿。

だけど見てると、手持ちでゆっくり誘いを入れてる人がいる。上げると同じブッコミ仕掛けなのだが、エサの代わりにデカいソフトベイトが付いている。ということはあれ、三又ヘヴィキャロってことになるのではないだろうか。俄然やる気が湧いてきた。まずはリサーチからだ。おれはリサーチが好きなのだ。正直本番より好きなのだ。本番ってあれほら、作業じゃん。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?