濃厚接触者から無症状感染者になったものの、もやもやした日々は変わらず続く。

この文章は「COVID-19に感染したものの運良くほぼ無症状で経過した一家の記録」ですが、これを読んで「なーんだやっぱたいしたことないんじゃん」とはゆめゆめ思われぬよう、前もって申し添えておきます。私は「コロナたいしたことないよ派」「アジア人は大丈夫だよ派」「軽症状者にPCRは過剰診断だよ派」に与しませんし、それら一派の方々がこの日記を牽強付会の材料にすることがないよう、強く牽制しておきます。マスク、手洗い、ソーシャルディスタンスそして検査。

スクリーンショット 2020-05-05 午後0.18.24


3/26(木)
キッチンからギャアと声が聞こえる。聞こえたがふたたび眠りに落ちてしまった。昼過ぎに目覚めてから、朝どうしたの? と妻に聞くと、トースターで焼いていたパンを黒焦げにしたのだと言う。すぐ脇にあったジップロックまで溶かしたと。妻は気の毒なくらい粗忽から遠くにある人間で、これはかなりのイレギュラーな事態である。

通っていたチャーチで、コロナウィルスによる2人目の死者が出た。クワイアでリーダーを務めていたメイプルおばさん。先週死んだジェイソン(写真)は持病があったので高リスク群だとみんなわかっていたけど、メイプルは肥満っちゃ肥満とはいえ既往症もなく、マジかーって感じ。バンドのドラマーも陽性で入院しているし、自分だけ無傷でいられるわけがないという気持ちに包まれている。

スクリーンショット 2020-05-05 午後1.20.15


3/27(金)
テレビジャパンを点けると、阪神の選手がコロナで入院したというニュースをやっている。ワインやコーヒーの匂いを感じないことから検査を受けたのだという。匂いねえ……。匂い……焦げる匂い……。どんなに愚鈍な人間でも、ヒントを与え続ければ、どこかで何かに気付くものだ。ねえ、ちょっと! 熱あったりしないよね?

と妻に訊くと、火曜日、喉がいがらっぽく、それから毎日朝晩に検温していると言う。木曜朝のみ平熱+1.5℃あったが、それ以外はすべて平熱だったと言う。喉の違和感は水曜にはなくなっていたと言う。けれどもさきほどコーヒーを飲んでみたところ、まったく香りがしないことを確認したと言う。そうかーまじかー。

なぜ「まじかー」と言うと妻は妊娠中で、先週だったか、妊婦が高リスク群なのかどうか、また胎児への垂直感染があるかを議論するニュースを見て気を揉んでいたところだったのだ。しかも今日は、病院から8ヶ月検診の日程確定の電話がかかってくる日。どうする? 「どうするもなにも、言うしかない。産科病棟にウイルス撒き散らすことになったら罪悪感に耐えられないと思う」。だよねえ。

方針が決まったところで電話が来て、味覚嗅覚に異常があることを伝えると、当然ながら検査はリスケ。PCP(かかりつけ医)の指示を仰げとのこと。すぐにPCPに電話して、月曜の予約。メディアではNYの1日あたり死者が1000人を超えた話をしている。これまでも「われわれが無症状の感染者だったら」という想定のもとで行動してはきたけれど、想定のシリアスさが一気に数段上がってしまった。


3/28(土)
昨日そんなことがあったばかりなのに、朝、コーヒーを淹れた俺がひとこと「ねえこのコーヒー古いよ、香りがまったくしない。なんでとっといてんの?」。

妻が飛んできて「きのう! 匂いしないって! 話! したばっか! だろ! まさか自分だけ! 無事なわけ! あるか! だいたい! 外出頻度から言って! 最初にかかるなら! お前だろ!」と言われ(!ごとに蹴りか突きが入っています)、ああそういうことか、そりゃそうだなと思う。いちおう念のため検温するが、平熱。


3/30(月)
かかりつけ医から妻が帰ってきて、妊婦だということですんなりPCR検査を受けられたと言う。かたや自分と息子はNY市のコロナ相談窓口に電話してみたところ、割とあっさりつながったものの、「PCRが受けられる病院を紹介することはできるが、現場は混乱しており、予約しても7、8時間待たされている。これは個人的なオピニオンだけど、いまこの時期に病院の待合室で7時間待たされるって、検査が受けられない不安よりリスクが大きいと思うけど、どうする?」と。わかった、ありがとう、と言って切った笑。


4/6(月)
医者から妻に電話があり、陽性です、とのこと。我ら今日も平熱。さて──。

画像3

ほぼ無症状の感染者が、感染からどれくらいの期間PCRの陽性反応を示すのか、現時点ではまだ確定的な結論はないが、最長で3週間ほどと見られている。また感染者が感染性を有している期間は、Science誌に掲載された論文によると感染から12日前後であると読める。つまり3/30に受けたPCRでポジティブだった妻は、3/9くらい以降に接触した人物に対し、感染させた可能性がありそうだ(3/24以降は家族以外との接触を絶っている)。

一方このウィルスが私から妻に伝染したものだと仮定する。私の感染最後期に伝染ったとすると(つまり最長で想定すると)、おおよそ3月頭から末までに私と接触した人物に対し、感染させた可能性がありそうだ。さっそくGoogleカレンダーをめくり、3月中に接触した人物をリストアップした。教会は早いうちに死者も出ていたのでいまさら注意を喚起する必要もなかろう。

暗い気持ちで片っ端から様子伺いの連絡を入れる。3月頭にはすでに社交に対して抑制的なムードが流れていたのでさほど総数は多くなかったけれど、国宝級の才能が含まれていたのが気持ちをさらに暗くさせた。命の重さが平等なのは言うまでもないけれど、でもあの才能どもが自分からの感染で失われることがあったら、それはいたたまれないなんて言葉では済まないものがある。


4/7(火)
結局昼までに連絡した全員から返事があって、運良くというか、全員が元気だった。だいぶ気持ちが軽くなったが、一方で別の懸念が浮上してきた。私はバレンタインデーすぎに数日間、咳が止まらなくなってのど飴を舐めまくっていたことがある。NYCではアジア系への風当たりが強くなっていて、地下鉄で私の顔を見るなり席を移る人が現れ、でもまだ誰もマスクなんてしていなかった頃。

結局発熱しなかったものの、あれコロナだったのではないだろうか。だとすれば自宅待機令の出るまでの1ヶ月、私はNYの感染拡大にかなり寄与したことになるし、そもそも教会にウイルスを持ちこんだのが私である可能性も出てくる。そんなの考えてもきりがないし意味がないよ、とはいろんな人に言われたのだが、それでも、とめどなく考えてしまう。どんより思い詰めてしまう。これ自分のことでした。

常識的に考えて、息子も私も感染しているであろう。そして検査日から1週間、いまのところ誰も発熱していないということは、このまま嗅覚以外はほぼ無症状で推移していきそうだ(味覚嗅覚についてはカンタさんのnoteに書かれているとおりで、まさにあれそのまま)。となるとあと心配なのは、再発・再燃の可能性と再感染のリスクで、これは両方ともまだ確かなリポートはない。なので、検査前と同じく、マスク、手洗い、自宅待機を粛々と続けることが順当であろう。


4/14(火)
どうしてもオンラインでできない手続きがあって銀行の支店に行くも、閉鎖中。フラットブッシュの支店まで行けと書いてある。仕方ないのでRevel(ライドシェアの電動バイク)すっ飛ばして向かったのだが、長蛇の列。しかも窓口はひとつしか開いてない。割り込みするやつがいたりして、みんなピリピリしている。

そのピリピリが自分にも向かっていることを、そこはかとなく感じる。私は黒人教会で演奏していることもありブラックコミュニティを敬愛しているし、演奏する音楽も黒人音楽ばかりで、ゆえに治安がよいとはお世辞にも言えない地域のヴェニューにも平気で足を運ぶ。それでもこの日のフラットブッシュ(居住者の黒人比率65%、ヒスパニック15%)は、私にとって長く居たい感じの場所ではなかった。

そう感じた理由は第1に、トランプがコロナをチャイニーズ・ヴァイラスと呼ぶことをやめないため、この災厄がアジア人によって持ち込まれたという誤解、アジア人の感染率が高いという誤解を信じている人がいまだ少なくないこと。第2に失業や減給に直面している労働者も多く、その経済苦が、自宅待機や商店閉鎖によるフラストレーションを増幅させていること。

そして第3に、これまでなんとか宥められてきた人種間の憎悪が、ここにきて拡大の兆しをみせ、いやはっきりとその姿を剥き出しにしつつあることだ。端的に言って黒人とヒスパニックが死にすぎていて、 その怒りがストリートに渦巻きつつある。黒人の10万人あたり死亡者は白人と比べてNYCで2倍超、シカゴでは3倍を数えている。なおもっとも死んでいないのがアジア人(5/5注記:最新のレポートでは、アジア人の10万人あたり死者が白人を超えました)。

それは高所得者に比べて低所得者が多く死んでいるということであり(NYCの平均所得は白人6万8000ドルに対し黒人は4万ドル、貧困率は白人9%、黒人24%)、高学歴に比べて低学歴が多く死んでいるということであり(白人の4年制大学進学率は43%、黒人は21%)、地価の高い地域に比べて地価の安い地域で多く死んでいるということだ。

また医師以外のエッセンシャルワーカーは有色人種率が高く、彼らはステイホーム対象外で休めないので、安い賃金なのに感染のリスクには曝され続けている。そして事実、じゃんじゃん人が死んでる。この国がこれまで機会均等をタテにごまかし続けてきた奴隷制度の後遺症を、コロナは過去にない強さで疼かせている。正直この時期からこっち、私は肺炎より暴動が怖かった。

4/15(水)
ライブが入っていた日だけど、もちろんキャンセル。これでもう1ヶ月、人前で演奏していない。私はエレクトリックベースを演奏するライブミュージシャンを営んでおり、それがこの街に居住し続ける動機にもなっているのだけれど、人前で演奏していないと、もはや自分が何者だかもわからなくなりつつあるし、そのことによって自我を支えていたつっかえ棒のようなものがグラグラしてくる。

ミュージシャンといってもいろんな種類、階層の人間がいて、まずアーティストとミュージシャンとコンポーザーでも違うし、ミュージシャンでもRecに呼ばれる階層と、私のような町場のライブミュージシャンとの間にも、超えられない(私としては超えなくてはならない)壁がある。またセルフプロデュースの得手不得手もあって、それぞれの種類、階層でコロナから受ける影響も異なっている。けれど、皆それぞれに、苦しい。


4/20(月)
賃貸契約が切れるため、こんな状況下だが引っ越しである。引越し業者はエッセンシャルワーカー枠に入っているため営業中。こんな時期に働いてくれるのだから多めに払おうと思っていたのだが、作業前から法外なティッピングを要求され、あまりにあまりな金額だったのでもともとの気持ちは吹っ飛んでしまい、冗談じゃない、引っ越しはキャンセルだ、会社に電話しろ、と言うや交渉タイムに突入。結局ふだんの倍額で妥結した。

あとで打ち解けてから、引っ越し屋は案件の斡旋をしてトラックを貸与するだけで、彼らは雇用されているわけではないこと、手数料やトラック使用料を差っ引かれるとあまり残らないこと、チーム全員ジョージア移民で暮らしが苦しいことなど聞かされ、心が痛んだ。しかし荷ほどきをしていると、荷物の扱いや家具の組み立て間違いが酷く、痛みはふたたび反転したのだった。あいつらー。


4/29(水)
昨日からcityMD(説明しづらいが、簡単な病気にしか対応できないけど予約なしで受診できる診療所。市内のあちこちにある)で、希望者全員に対してPCRと抗体検査が提供されることになった。無償だし抗体検査を受けてみることにする。屋外で40分、待合室で20分ほどで呼ばれて、採血。医療崩壊まっただなかのときcityMDは閉鎖されていたし、先述のとおり病院は7時間待ちだったので、だいぶ混乱は収まってきていることが窺える。


5/4(月)
朝っぱらにcityMDからtextが来て、患者ポータルを見に行く。あっさり陽性と書いてあって、知ってたわー、くらいの気持ち。マドンナは抗体検査が陽性で「新型コロナの空気を吸おう」と言ったそうだけど、抗体があっても再感染する可能性、また抗体が数ヶ月しかもたない可能性が取り沙汰されているので、まだそんな気持ちにはなれそうにない。

それでもとりあえず、ほぼ無症状のままウイルスを押さえ込んだことは間違いなくて、奥さんと子供は丈夫で健康なほうだけれど、私はしょっちゅう発熱している虚弱野郎なので、よくよく運が良かったとしか言えない。繰り返しになるが抗体があっても再感染するリスク、またいつまで抗体が続くのかについては未知数で、なので用心するに越したことはない。もやもやしたまま、クアランティン・シーズンは続く。

(とりあえず、おしまいです)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?