Last night, 想像力 saved my life.

人生で最良のドラマとなったDr.ハウスを見続けるのに最大の障壁となったのが、FOX Channelで挟み込まれるCMだった。全177話を見終わるまでの数年間、そのCMのせいで私はメンタル的に酷く追い込まれた。たかがテレビCMと思われるだろうが、自死の原因にすら十分になりえるしろものだ。シーズン8でハウスが完結したとき、まず思ったのは「命拾いした。もうあのCM見なくて済む…」だった。

件のCMというのは隠すまでもない、チューリッヒの自動車保険だ。まずはご覧いただこう。ちゃんと全部見るんですよ。

どうだこれ。私がとうに諦めたものばかりが映っている。むしろ諦めたものしか映っていない。1)ちゃんとした会社でちゃんと働いてそうな、2)ホワイトカラーの中年男性。3)一軒家と思しき調度と室内には、4)美形の妻と、5)愛らしい娘。6)美形の妻は2人目をご懐妊。7)自家用車で、8)タイドアップして、9)出かけるは娘の習い事であるバレエの発表会だ。10)オペレーターまで美形。なんなんだろうこのしんどさは。


人の世の幸せは、誰かと比べてどうだからこう、といった相対的なものではない。幸せの形はユニークなのだ。そもそも私はエスタブリッシュメントな幸せなど欲していないのだ。——そういった呪文でこれまで、私は何かをごまかし、やり過ごし、打ち寄せる死にたさから自分を守ってきた。自分の人生が上々であると言い聞かせてきた。

実際のところ、なかなか悪かないくらいには本気で思っておるんじゃよ? 仕事にも遊びにも友人にも恋愛にも芸術にも犬にも恵まれ、たいへんにおもしろおかしくこの歳まで過ごしてきた。なにより、何を見ても聞いても面白いと受容できる素地というか、教養みたいなのに恵まれた。

最近の私は、映画を見ても本を読んでも面白いけどそういう作られたものじゃなくて、住宅街を歩いていても空を見上げても風が吹いても、もはやアホみたいに面白い。それは例えば建築様式とか地形とか郷土史とか庭木の植生とかっていうデータベースと、それらを連結させて何らかの像を結ぶアナロジカルな力みたいのがだいぶ備わってきたせいだと思う。その面白さは年々増す一方だ。


じゃけどね、やっぱり、グラつく。ああいうオーセンティックな幸せ像みたいの、ひとつも持ってないからね。就活はひとつも通らなかったし、朝も起きれないまま、ビーサン短パンで工場勤務だ(とある新聞社の内部資料にナタリーが「ニュース工場」と書かれていた。笑った。そりゃ君ら貴族から見たら工員だろう)。妻子もなくフラフラと暮らしてきたもんだから、わがまま放題が染み付いて抜けない。

あと2ヶ月で40になる。統計的に考えれば結婚相手なぞおるまい。そうして思い浮かぶのは、銀扇閣かどこかのドヤの固い布団で独り身体を丸め、寒さと腰痛をこらえている65歳の自分の姿だ。その姿が、15分ごとに想起されてしまうのだ。あの自分とは真逆の人生が映ったCMが流れるたびに。

なんでこんな目に遭わなきゃならないんだろう。ただハウスとウィルソンのイチャコラが見たかっただけなのに……。ただひとつ言えるのは、チューリッヒってずっとこの松木里菜さんというタレントさんを起用し続けているんだけど、これの前の前くらいのバージョンはドライブデート風で、妙に扇情的だったのを私は記憶している。

時系列を入れ替えて、これをさっきの地獄CMのつづきだと設定してみよう。

つまりこういうストーリーだ。さっきの田中様がロードトラブル解決のお礼をオペレーターに私信したところ、携帯番号つきの返信が届き、なんやかやあって不倫関係に発展、嫁を裏切りデート中(↑)。たぶんこのあと浮気バレからの離婚調停、面会交流権をめぐっての消耗戦、松木さんは若者と結婚、とお決まりのパターンだ。

するとどうだろう、一般に幸せとされているアイテムやステイタスをたらふく手に入れた田中様も、その実存はうつろで私と大差ない欠損感情の奴隷なのだ、という実感を得るに至り、しんどい感情に着地すべき落としどころがもたらされた。こうして私は、俗悪な想像力に存分に発揮することで、なんとか死の危機を乗り越えることに成功した(白目)。

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