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京北の林業について知る

今回のLOGINプロジェクトで私たちは賢者のようなお二方のお話を聞くことができました。そのうちの1人である、とのしたさんに京北の林業についての話を聞くためにまずは参加者の自己紹介をしました。そして、、、

もう一人の賢者のような方については前回のレポートに→LOGINプロジェクトレポート

全員の自己紹介を聞き終えたとのしたさんは衝撃の一言を放ちました

とのしたさん :「その前に一通り聞いてわかったこと、、、まあまあやね。思ってはるとこわかったし。確かにROGINという流れはあるんやけど、僕はサポートします。それが産業とどう関わるかいうたら関わりようないです。ぜんぜん産業になりません。量的にたぶん全然話なりません。今帰ろかなってわしちょっと思ったくらい。言う意味がない。今の状況聞いたってそれと関係ないところでしかこれ進まへんもん。京北の林業の現状とこの取組はリンクしません、よっぽど工夫せんと。
地場にも産業あるんです。製材所あります。親身に対応してくれはる田中さんあるでしょ。そういうとこを使ってこその地域や。あの地域には風強いからこれやって作り上げて。こっちが木を用意して、製材してもうて、大工さんに刻んでもうて、コンテナに積み込んで、あるとこに家建てます。結局地元の木をどんだけ使うかいうたら、どこかで木をある程度以上使う。それも今マイナーになってしまった木を数多く使うことが必要なのかとか、そのへんの視点や思うんです。
これ京北っていうんなら、地場っていうものがあって人が住んでるんです。今の話人住んでることぜんぜんなってへん。今いる人とどう一緒に消費量を増やしていくか、木をもっと持ち出していくかの話にせんとしにくいな、っていうのが感想です」

ここでプチディベートが始まった

フェイランさん :「ちょっとプチディベートしていいですか。そこ重々承知の助でこざいます。明日のDIYに関していうと、KUMIKI PROJECTっていう、そういった地場産業とくっつきながら、京都市内とか公共とかの空き家の回収を自分たちでDIYでやるっていうようなことをやっているメンバーなんですね。あと、明日のDITの研修施設をするのは地元の田中木材さんの木を使っております。
結局のところ、丸太とDIYとかつくられたものとかいうのがあまりにも離れているんですよ。
買った木がどこの流通なのかっていうのがあまりにも離れすぎていて、ぜんぜんどこ産かわらへんパイン材とか私使ってたし。
そういうような状況の中でどこまでその、食文化が地産地消みたいなところまで追いつきはじめてると思うんですけど、何で作られたものなのかとか、DIYもそれくらいのレベル感で素材から考えるっていうところができたらいいなっていうのが思いです。産業になるかどうかはまあまあ、やってみよ!」

とのしたさん :「その上でもう一つ上からかぶせると、なぜ大工かいいましょか。木を見る目があるもん。ないよはっきり言って。DIYでそれはもってへんのよ。持ってへん前提なんやけど欲しくなるはずなんや。
ほなどこから取り入れるかいうたら、僕らみたいに山で木がわかる人間、もう一ついうたら家を建てとる経験の豊富な人がいないとそれ無理や。
だから地域とある程度ひっつかん限り、これなかなか思ったようなものつくったつもりでも横から見たら「ああ、あれか」で終わりです。たぶん僕そういう風に見てしまう。」

ここから本題の林業の話へ

とのしたさん :「先程から杉、杉言うてはるけど、DIYっていう場合は木を何らかの用途に使うことやと思うし、そういう場合杉っていうのは種類の一つです。ひのきもあります。輸入材、結局松ですわな。今日は京北の話しかせーへんけど、それもすべてここにあります。なんなら栗もあります。

用途によって木の使い方が違う。京北は杉は横、縦はひのき。柱はひのき、まあ杉も使うけど。一番下はひのきあるいは栗、腐りにくい。上は杉でかためる。ただ、太いもんの抑えに重たいもんがいるときは松を使う。それが基本的な今までの日本の家屋。その原則は頭に入れといたほうがええと思う。
だからもう4つだけでええわ。杉、ひのき、松とほんで栗。別に杉だけで建ててもええんやで。加工しやすいし。
そういう風にものには種類があって、それぞれ用途が違うっちゅうのは考えとかんと、パインでええんちゃうかという話になるわけです。」

次に歴史的な話に

「平安時代っていうのがありますがな。その前に長岡あたりに都をいっぺんつくりましたと。その時に木は下から上より上から下に運ぶほうが楽です。ほんで、長岡京の横に桂川が流れている。その上流域いうのがここです。それまでは奈良に都があったから例えば滋賀県あたりから木を持っていってました。
長岡京を作るときにこの辺の木を使ったという記録が残ってます。それが初めです。それまでのことはわかりません。
で、いっぺんそうなると京都の都ができて、昔は山なんか木持って上がられへんから、この川通してずっと供給してました。もう昭和の時代まで。その歴史がここの地域の歴史です。
そん中で一番多かったのがやっぱり杉です。今見たらそこらに生えとんのは杉やけど。一本ずつ立ってますわな。これは植えた杉です。それまではっていうとやっぱり山の中で一本に立っとる杉もあったし、中にはちょっと株なったやつの上出たやつを切っては、また横から出るさかいに。あれのもっと巨大なんを山で仕立てて、太いのんから切っては谷に落として川に出して、ほんでいかだに組んで京まで流してます。その歴史300年から400年くらいあります。色々あるけれど、結局流通としては川をつかって京都まで流してた。
ここは弓削やから違うけど、山国・黒田はほぼずっと天皇の直轄領です。明治まで。それが文化とかいろんな面でも結構関係してます。

もう一つ言うたら、今言うた台杉の巨大なね、京北で言うたら黒田の片波。そうとうでかい。このテントくらいの太さはあるし。他にもありますけど。
あれは人工のものです。天然のもの違う。上ちょんぎるから横に広がるねん。ほっといたらまっすぐなる。その点で縄文杉とは違います。ある意味人がつくった巨大な杉っていう考え方できるんかなと。まあ、最近放置されたまんまやけど、100年以上。」

Q : 台杉のほうがずっと生え続けていいんじゃないのか?

「もうあんなん潰れるよ。なんでかいうたら、こうなっとんのに一本巨大なんできたら他全部枯れるから腐ってなくなるやん。ほんで、下が穴空いたようなやつの上にズッコーンと大きいのできたら、ポコーンと折れたら終わりや。だからあれの寿命はあと100年もないです。
結局ね、人の作ったもんは人のつくったバランスでしか生きられへんのちゃうかっていう考え。」

Q : 奈良の都作るときに滋賀県から木運んだんですか?

「信楽あたりな。だから今棚神山とか滋賀県の南東部、あの辺は花崗岩です。今も花崗岩で松しか生えません。花崗岩は土の層薄いねん。だからいっぺん土逃げたら、土できないの。ざらざらや。明治以降は砂防でかなり土とめて、松とか生えるようになったけど。松も生えないようなとんでもないとこでした。」

Q : 奈良まではどうやって運んだんですか?

「それは奈良坂ってあるやろ。京都から奈良超える低い峠や。宇治川降ろして木津川を登らして。木津って木に津って書くやろ、木の港や。琵琶湖から宇治川、宇治川から木津川あげて木津の港で陸上げして、奈良坂超えたら東大寺とかすぐや。あとはもう蹴飛ばしたらええんや笑」

Q : 周山の山一つ超えただけでぜんぜん違うのはなんでですか?

「特に中川だけ地形的に違うんです。昔から、奈良に都あった時代から日本海と奈良、交通量かなりありました。何かと言えば、中国から例えば島根の出雲ね、あるいは若狭ね、そこに来て奈良行くのんが1番早かった。ほんでリスク少ない。瀬戸内海海賊おったらたまらんもん。そういう交易ルートはあったわけで、その途中っていうのがこの辺です。そのルートが中川だけは通ってません。
あそこはねはっきり言うて悪い場所なんです。太い木作ったって出しようがなかったんです。清滝川は岩が多すぎていかだとか組めません。ほんでどうしたか言うたら細いこの手の丸太、床柱にしたり、もっと細い垂木とかのサイズを製品にしてから峠越えで鷹峯に持っていってます。
そうしかできないから技術も発達するし、製品にするっていう発展の仕方を遂げました、中川は。
中川のもんがええ言うたら近所土一緒やから、もっと便利なとこもそれつくって、みんな北山丸太っていうかたちで産業として広がったんやと思うけど。中川の人が書いた本にはそう書いてあった。」

Q : 京北は北山丸太じゃないんですか?

「いわゆる北山はどっから見てるかいうたら、京都の市街地から。見える範囲ですわ。林業的に北山丸太っていうのは今いうたように中川を中心として作られた床柱等の磨き丸太のことです。あるいはそれを生産するための林。だから北山丸太いうたらこの辺までは来てますよ。だから丸太つくるための山は北山丸太としていうたらええと思うし。その代わり、30年くらい前までは北区の木は北山丸太、京北の木は似た山丸太やて言うた笑

もう一つ余談やけど、北山って言うたらやはり御所から見える範囲の山やったわけですよ。だから山城の国の中だけ。だから京北は丹波の国やから北山違うんです。今西錦司なんかも北山いうたらそのへんで抑えてる。」

ほんでや、産業で言うたらや。

「そういうふうに歴史はあるにして、最近のことでいうたら、トラック発達してどうなったかいうたら、搬出量は増えます。それと伐採の時期っちゅうもんが変わりました。もともとは林業ていうても、木を出すための仕事やから、川が関係したらぜんぜん違うんです。

川は夏は使えません。なんでいうたら田んぼあって稲に水やらなあかん。だから、基本的な流れはいかだは冬です。水少ないけど冬。だからそのための逆算として、木を切るのは夏なんです。まだその前の全体のサイクルいうたら、田んぼと山が全部ひっついとったんです。稲で言うたらまず、春に種をまく、ほんで田ごしらえして田植えする、そのあと木を育てとったら下刈りや、それは6月。
7,8月に木を切って杉皮とります。これ屋根の材料。これ別の現金収入。ほんで木はそのままおいといて9,10,11月の手前までは稲刈りから稲干して脱穀。そのへんの農業です。
それが済んで、11月に川をもういっぺん荒れとるから直す、いかだ出せるように。で、12月に出します。
その中で、7,8月に皮取ってこかしといた木を10月くらいから稲刈り済んだら山行って、水ためて池作って全部木入れといて、包み外したら全部でーんて流れるわけです。
とあるところでまたもうちょい広い池作っといてそこでためて、今度は4,5本でいかだつくって、これくらいやったら川流れるさかいに。ほんでそれを本流に、いわゆる桂川に流して、そこで本気で組み直して、長くして、京都まで持っていくわけです。

冬中そういうことしてはる。それが済んだらまた春の準備。農・林兼業です、だいたいは。林業の専門家ってほとんどいませんでした。最近です、林業だけの人。昔からいるのは他所から来た人。
京北の林業はどっちかいうたら途中から高知とか四国の人が来てそうとう変わってます。木を出すのに機械使い出したんも高知あたり。植林もかなり他所からの人が専業でやってくれてる。」

でや、最近のこといきなり飛ぶけど、

「その後トラックに変わって、搬出量増えると、一年中木出さんとあかんようになるわけです。トラック屋も道具があるもんやから一年中運びたい。そうなると杉はそのサイクルやけど、ひのきは一年中出すとか。松は寒いときのほうがええさかいにこの時期以外は全部出す。そういう風になってきました。
それがもっと進んで今は一年中やね、なにがなんでも。何が変わったかいうたら乾燥機や。木は乾燥しないとJASで引っかかるよね。天然乾燥では乾燥度が安定せえへんから乾燥機にかけます。逆に乾燥機かけるってことは生でも乾いとってもいいんです。むしろ全部生で水でズブズブの木を入れたほうがはじめから水分一緒やから乾燥しやすい。乾いた木と濡れた木一緒にいれたら乾いた木割れてしまいます。面倒です。せやし、この頃は一年中切ったまま市場に持ってきてそれをそのまま大量に製材して乾燥機にかける。そういう流れになってる。すると今度は使い道がないから製材所の大きいの作ってなんとかしよかてなって、ほなそれをどう使うかってなって。なんか順番逆になっとるけど。
本来の必要性からは今の産業はできあがってません。それの潤滑剤として補助金があると思てもろたら一番ようわかる。
補助金はもう一つはどうにもならんとこにテコ入れするためにも使わはるけど。それはもういずれなくなります、産業自体が。」

Q : 冬のほうが丸太が切りやすいのか?

「一緒。真冬で木が凍っとったら硬い。なんで切ってんの言うたらチェーンソーやから関係ない。
それより大事なんは時期時期によって木の質が違うってこと。冬は乾いてて、水が動いてないし、ていうことは木の品質が安定してます。それが4月以降水をあげだすと皮むけますわな。皮向けたら一年もおいてたらあかんわな。腐るよ。皮はじめから向いて乾かしておいてたらもうちょっと持ちます。だから、7,8月に切って皮をとって秋冬まで置いたっていうのは理屈には合ってます。
これ6月でもできます。しかし、6月の皮は水分多すぎて虫が入ってきます。今はぬくなって、あたたかいから7月でも皮ずりしません。気温が高なって虫が入りやすいから無理や。
まあそれはともかくとして不適な時期いうんはあるし。もう5月くらいに木切って次の日行ったら、コクゾウみたいな木食い虫がいっぱいもう木について粉だらけ。すると表面全部穴空いてますねん。強度には関係ないけど売る分には相当のマイナス材料なんです。なんだかんだいうたって、そのへんの時期だけはほんまは外さんほうが使う立場になったら大きいことやってこと。
いや、大丈夫なんやで、穴だらけでも模様や言うとるまちの人もあるんや。変色したほうがええとか。そういうこだわりない方が僕らはええけど。使えるもんは使ってほしい。そのへんは価値観やし、この辺で品質と見た目が違うってことを共有していただけたら非常にありがたい。」

Q : いい木っていわれる定義ってどういうものですか?

「言い方がちょっと曖昧すぎたけど、二手の見方がある。誰にとってていう。一般的なんは置いといて、まず生産者から見た益いうんはね、儲かる木です。要は高く売れる木。同じだけの育て方をして、高く売れる木を作りたいっていうのが、生産者の考え方ですわ。
もうひとつあるけどね、そこで。自分の思ったような育て方ができた木がいい木なんです。手入れがそのまま現実のものになる。それはなかなか難しい。一代でできることちゃうから。」

手入れも色々あります

「いろんなことが全部含まれる。木をまっすぐにしようと思ったら、この辺雪降ったら傾くから、春なったら引っ張るなり添え木するなりするし。
その前にまっすぐに立つように植える方向苗一本全部向きが違う。植えるのにお日さんの方にどれを向けるか。

北山丸太の場合やったら、これぐらいに大きくなるまでに枝がちょっちょ、ちょっちょでるけど、均等に出るような品種にしてあるけど、一本だけ横出たらもうちょん切らんとね。枝でバランス変わるんやから。そこまで全部考えて手入れてする人もあるわけです。そうして初めてまっすぐ立つ。
下刈りあるでしょ。その後大きなってったら、枝打ちあります。枝打ち時期があります。やっぱり3月まで。というより11,12,1,2くらい。夏にやったら皮ズルっとむけます、下手がやったら。むけへんでも埋まりません。なんでや言うたら水あげとるから、皮と木の間に水分あるから癒合せえへん、ひっつかへん、埋まらない。そしたらそこから腐る。

地域地域によって違うんやけど。気つけや綺麗な木や思ったけど穴空いとったとかなんぼでもある。」

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