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【福島】相馬太田神社 相馬三妙見社の一つ

相馬太田神社  
祭神 天之御中主神

中村藩相馬氏の氏神

120号線のほうを通ってきました。
神社の前には、水路が走っています。

「相馬郷発祥地 孫五郎重胤公城址」

承平時代(931〜937)に
平将門が下総に妙見社を創建し、
その後、将門から数えて十二代目で
初代相馬氏となる相馬師常が、
奥州征伐の功績で源頼朝より
現在の原町周辺の土地を与えられた。
相馬氏の六代目、相馬孫五郎重胤が、
元亨3(1323)年に
下総からこの地、太田に移り住み、
宮祠をまつったことから、
ここを相馬発祥の地としている。
孫五郎重胤公は
その後さらに
小高村(現在の南相馬市小高区)に移り、
ここを相馬氏の本拠地とした。

と、あります。

この杉並木がすごい!

見事な杉です!

手水舎、神輿殿

これ、なにかしら、と思い、近づくと、

どうも、井戸のようでした。
何だろう、あの石は?

天之御中主神さまですっ! 
(ノ・ω・)ノオオオォォォ-

妙見菩薩さま!

道教に由来する古代中国の思想では、
北極星(北辰)は天帝(天皇大帝)
見なされた。
これに仏教思想が流入して
「菩薩」の名が付けられ、
「妙見菩薩」と称するようになったと
考えられる。
妙見」とは「優れた視力」の意で、
善悪や真理をよく見通す者と
いうことである

妙見菩薩の神呪を唱えることで、
国家護持の利益を得られる
とされている

妙見信仰には星宿信仰に
道教、密教、陰陽道などの要素が
混交しており、像容も一定していない。
他に甲冑を着けた武将形で
玄武(亀と蛇の合体した
想像上の動物で北方の守り神)に
乗るもの、
唐服を着て笏を持った陰陽道系の像など、
さまざまな形がある

雷鳴が鳴り、突然、雨が降り出した!
一旦、車に退散します!

土砂降りになりました。

案外、早く雨があがり、
再度、参拝いたします。

雨降って地固まる、ではなく、

すべてが整うと、雨が降るんです。
浄化の雨ですね。

相馬太田神社 拝殿

福島県南相馬市原町区の相馬太田神社
小高(おだか)町の相馬小高神社
相馬市の相馬中村神社 
(以上の3社を相馬妙見三社と呼ぶ)の
相馬野馬追祭の祭礼行事として
7月23~25日に行われる。


わたしのご縁玉おまじない、賽銭

祓詞、大祓詞、天之御中主神さまの
祝詞など、奏上いたしました。

繋ぎ馬 平将門公にちなんでいますね。

相馬中村神社さんの拝殿にもありましたね。(≧▽≦)

男山八幡神社

南相馬市鹿島区に鎮座しています。
分霊社ですね。

祭神は、
誉田別命
(ほんだわけのみこと 応神天皇)と
息長足姫命
(おきながたらしひめのみこと
 神功皇后、応神天皇の母)、
配神として
建御名方神(たけみなかたのかみ)。
古来より
子授け、安産、子育ての神として
信心が厚く、
戌年亥年生まれの守護神としても
知られており、
特に妊婦が「おまくら」を借りて
祈ると必ず安産になると、
相馬地方を中心に広く信仰されています。
12年に1度、
戌年の4月に「浜下り」が行われます。

裏手は、崩れないように、配慮しています。

太神宮の石碑と、足尾(足緒)神社

御本殿の裏手で、お蔭様参りいたしました。

白山神社

こちらにも、ご縁玉のおまじない、賽銭。

絵馬殿

きれいな白馬の神様です。

馬の原型を飾る神社さんもありますが、
大概は、壊れていたり、
汚れがひどかったりしていますが、
こちらは、やはり、
相馬野馬追の神社さんですので、
大事に扱っていますね。

しかも、気づいていましたか?
御水と御塩が、
きちんと供えられていたことを!
この神社さんは、素晴らしい心掛けです。

祈祷殿は、こちらからも行けますが、
戻ります。

相馬野馬追では、
たくさんの方々が入りますから、
かなり大きな祈祷殿です。

たぶん、季節の花々が
描かれていたようですが、
今は、彩色もないです。

赤トンボですが、頭まで赤いのは、
何年ぶりかで見ました。

素晴らしい神社さんでした!
また、来ようっと!

来る途中で、
相馬野馬追の祭場地があります。


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