【福島】相馬小高神社 天之御中主神さまの奥の院がある、相馬三妙見社のひとつ 12 あいの鎮守の森の系譜【五十猛命さまがルーツ?】 2021年12月13日 22:51 相馬小高神社天之御中主神さま相馬三妙見社の、奥の院にあたっています小高城跡の上に鎮座しています手水舎絵馬殿社務所、札所相馬小高神社は旧小高城本丸跡(福島県南相馬市小高区小高古城)に鎮座している相馬家の累代の崇敬社です。相馬小高神社の創建は嘉暦元年(1326)、相馬重胤が本城を 別所館から小高城に遷した際、別所館で祭られていた 妙見社(現在の相馬太田神社)の 分霊を勧請したのが 始まりとされます。小高城は慶長16年(1611)に中村城本城を遷すまで相馬氏の本拠地であった為、相馬小高神社が 信仰の中心であり、中村に遷った後も 篤く庇護されています。相馬家は平将門の後裔を自称する氏族で、将門が信仰したとされる妙見信仰を引き続き信仰し、領内にはここ相馬小高神社の他に中村神社、太田神社に併せて相馬三妙見社として崇敬庇護しています。特に小高神社は小高城築城時に城の鎮守社として 位置づけられています。古くから 神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され、御神体であった妙見菩薩を 金性寺に遷し、改めて天之御中主命を勧請し神社として独立、明治5年(1872)に社号を「小高神社」に改め、昭和26年(1951)に「相馬小高神社」に改称しています。龍神さまは、親子です相馬氏の子孫繁栄を 願っていますね上は、亀亀は妙見菩薩さまの神使です妙見菩薩は、神仏習合や陰陽道の中で、鎮宅霊符神、 北辰尊星王、真武神とも よばれています北斗七星のほか、輔星があり輔(「かばち」 または 「かまち」)とは、積荷の落下を防ぐために車の両側につける板のこと中国において、北斗は別名を帝車ともいい、天子の乗る車にも見られていた。転じて、補い助けることを意味し、天子に仕えて行政を補佐する宰相をも指した。中国の天文(星占い)では、輔星が通常より明るく見えるときは、宰相に謀反が疑われた日本では輔星、いわゆる、アルコルを「じゅみょうぼし」(寿命星)、「しじゅうぐれ」(四十暮)などと呼び、この星が見えなくなると死期が近いと 考えていた地方がある。これは、老化による視力の衰えを示したものである。奈良時代、甲羅に 「北斗七星」の模 様がある珍しいスッポンが天皇に献上され、「これは天から授かった吉兆である」と喜ばれた天皇が元 号を“霊亀”(れいき)に改めたとのこと715~717年間 平城宮の祥瑞 - なぶんけんブログ 2015年7月 天は為政者の政治が良ければその褒美に祥瑞をもたらして徳治の証とし、悪ければ災害や日食月食などの異変をも www.nabunken.go.jp 太田神社で参拝しようとして、雷鳴が鳴り、にわか雨が降りましたが、もしかすると大神さまのご挨拶を受けたもうたかもしれませんね 『【開運方位巡拝】相馬太田神社 ① 雷鳴そして、にわか雨』 今、行こうとしている神社の真上に大きな雲が覆いかぶさっているそのことに身震いした どんなに凄い神社な ameblo.jp 鶴と、馬一頭御本殿裏手で、お蔭様参りです。反対側は、馬二頭で親子です相馬氏の子孫繁栄への願いが込められていますねしかも1対2は、陰陽を表します土台のブロックには、奉納者の名前が刻まれています奥の院わたしの賽銭方法ご縁玉で賽銭御本殿裏手 妙見三社の中でも 空気が軽いです! 爽やかさを感じましたお蔭様参りをする時は必ず、祓詞や祝詞を奏上しています御神水舎おみたらししゃこちらの神社で 驚いたのは上の、「御神水」の和紙です!和紙を御神水に浸して、乾かしそれに、馬の印判など押したものです戦いで 大ケガを負った時この御神水をかけるとたちまち治り 復活するといわれており、身体の痛いところにこの和紙でさすって早く治るようにとのものです一応、3枚ありますので1枚、取って さすりましたらどんと祭か、御札納め所に 持って行き納めてくださいこれは、珍しいです!ぜひとも ご家族の方で病気などありましたら手に入れてくださいね棚機神社は 周ってきませんでしたまたの機会 タイトル未設定 www.city.minamisoma.lg.jp 相馬野馬追の、すごろくです。⇧ ダウンロード copy #相馬野馬追 #福島県南相馬市小高区 #天之御中主神さま #相馬小高神社 #天之御中主神さまの奥の院 #相馬三妙見社 12 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート