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【福島】相馬小高神社 天之御中主神さまの奥の院がある、相馬三妙見社のひとつ

相馬小高神社

天之御中主神さま

相馬三妙見社の、奥の院にあたっています


小高城跡の上に鎮座しています
手水舎
絵馬殿
社務所、札所
相馬小高神社は
旧小高城本丸跡
(福島県南相馬市小高区小高古城)に
鎮座している
相馬家の累代の崇敬社です。

相馬小高神社の創建は
嘉暦元年(1326)、
相馬重胤が
本城を 別所館から小高城に遷した際、
別所館で祭られていた 妙見社
(現在の相馬太田神社)の 分霊を
勧請したのが 始まりとされます。
小高城は
慶長16年(1611)に
中村城本城を遷すまで
相馬氏の本拠地であった為、
相馬小高神社が 信仰の中心であり、
中村に遷った後も 篤く庇護されています。

相馬家は
平将門の後裔を自称する氏族で、
将門が信仰したとされる
妙見信仰を引き続き信仰し、
領内には
ここ相馬小高神社の他に
中村神社、太田神社に併せて
相馬三妙見社として
崇敬庇護しています。
特に小高神社は
小高城築城時に
城の鎮守社として 位置づけられています。
古くから 神仏習合していましたが
明治時代初頭に発令された
神仏分離令により仏式が排され、
御神体であった
妙見菩薩を 金性寺に遷し、
改めて
天之御中主命を勧請し
神社として独立、
明治5年(1872)に
社号を「小高神社」に改め、
昭和26年(1951)に
「相馬小高神社」に改称しています。
龍神さまは、親子です
相馬氏の子孫繁栄を 願っていますね

上は、亀
亀は
妙見菩薩さまの神使です

妙見菩薩は、
神仏習合や陰陽道の中で、
鎮宅霊符神、 北辰尊星王、
真武神とも よばれています
北斗七星のほか、
輔星があり
輔(「かばち」 または 「かまち」)とは、
積荷の落下を防ぐために
車の両側につける板のこと
中国において、
北斗は別名を帝車ともいい、
天子の乗る車にも見られていた。
転じて、
補い助けることを意味し、
天子に仕えて
行政を補佐する宰相をも指した。
中国の天文(星占い)では、
輔星が
通常より明るく見えるときは、
宰相に謀反が疑われた
日本では
輔星、いわゆる、アルコルを
「じゅみょうぼし」(寿命星)、
「しじゅうぐれ」(四十暮)などと呼び、
この星が見えなくなると
死期が近いと 考えていた地方がある。
これは、
老化による視力の衰えを
示したものである。
奈良時代、
甲羅に 「北斗七星」の模 様がある
珍しいスッポンが天皇に献上され、
「これは天から授かった吉兆である」
と喜ばれた天皇が
元 号を“霊亀”(れいき)に改めた
とのこと
715~717年間
太田神社で
参拝しようとして、雷鳴が鳴り、
にわか雨が降りましたが、
もしかすると
大神さまのご挨拶を
受けたもうたかもしれませんね
鶴と、馬一頭

御本殿裏手で、お蔭様参りです。

反対側は、馬二頭で親子です
相馬氏の子孫繁栄への願いが
込められていますね
しかも
1対2は、陰陽を表します
土台のブロックには、奉納者の名前が
刻まれています
奥の院
わたしの賽銭方法
ご縁玉で賽銭


御本殿裏手
  妙見三社の中でも 空気が軽いです!
爽やかさを感じました
お蔭様参りをする時は
必ず、祓詞や祝詞を
奏上しています
御神水舎
おみたらししゃ
こちらの神社で 驚いたのは
上の、「御神水」の和紙です!
和紙を
御神水に浸して、乾かし
それに、馬の印判など
押したものです

戦いで 大ケガを負った時
この御神水をかけると
たちまち治り 復活する
といわれており、
身体の痛いところに
この和紙でさすって
早く治るようにとのものです

一応、3枚ありますので
1枚、取って さすりましたら
どんと祭か、
御札納め所に 持って行き
納めてください
これは、珍しいです!

ぜひとも ご家族の方で
病気などありましたら
手に入れてくださいね

棚機神社は 周ってきませんでした
またの機会


相馬野馬追の、すごろくです。⇧











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