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【岩手】成島毘沙門堂 熊野神社 幼児の泣き相撲 2017年7月

熊野神社 (地元通称、三熊野神社)

紀伊国の熊野三山から
勧請されたと伝える、

伊弉冉命、事解男命、速玉男命
3柱を祀る。

まあ、立派な、手水鉢!

社伝によれば、坂上田村麻呂が
対蝦夷戦争(蝦夷征討)に際して、
征矢立(せいやたて)の森に登って、
紀伊の熊野三山に戦勝を祈願し、
戦勝後の延暦21年(802年)に
この地に三山の神を勧請して
創祀したという。
また、康平5年(1062年)に
源義家が、前九年の役で
安倍貞任を追撃した際には、
鏑矢を奉納して戦勝を祈願し、
奥羽平定を叶えたともいう。

近世には「熊野権現宮」と呼ばれ、
境内に隣接する
毘沙門堂(成島毘沙門堂)の鎮守とされ、
古くからともに
熊野山成島寺(じょうとうじ)を
別当としていたが、
明治初年(19世紀後葉)の神仏分離で、
成島寺を廃寺とした際に独立し、
毘沙門堂とも分離した。
旧社格は村社。

建築年代は不詳ながら、
庇や向拝の虹梁の木鼻に見られる
絵様彫刻に、
室町時代の地方的作風が窺える事から、
その時代に遡るものと推定され、
当時成立したと見られる
特異な社殿形態を留めている。
庇と向拝柱との繋ぎとして
下端に3箇所の茨(いばら)のある
アーチ状の変形海老虹梁を
用いている点も珍しく、
意匠的に見ても優れたものがある。

と、あります。

9月19日の例祭に奉納される
十二番角力式
(じゅうにばんすもうしき)は、
幼児による泣き相撲として知られる
角力(相撲)神事で、
鎮座地の南を西流する猿ヶ石川を境に、
南北に分かれる北南両成島集落の
それぞれから、
長男で数え年2歳の幼児6名宛を
力士として選び、
本殿脇の土俵上で対面させる。

本来は作占(豊凶占い)の神事であるが、
現在は幼児の成長を祈る意も込められる。

現代になって5月上旬の3日間に
毘沙門堂で行われる
「毘沙門まつり」においても
「全国泣き相撲大会」と称して
催されるようになったが、
そちらは参加資格を2歳以下の男女とし、
全国からの参加者を募るものである。

おっ!おみくじ結びが、五芒星!

なんとも、この賽銭箱、
首にかけるって、どうなのかしら。

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