見出し画像

【宮城】萬蔵稲荷神社 宮城県と福島県の県境、小坂峠 2021年11月6日

東北道を南下して、
福島県の国見インターまで。


萬蔵稲荷神社 第一鳥居

鳥居をくぐって、最初のカーブに、四季桜

この石段は、その昔、
まだ道路がなかった時代の、
山越えの道でした。
旧羽州街道、小坂峠。
出産の苦しみにも匹敵する難所として
「産坂」(さんざか)

地下水からの湧き水で、
この水を持ち帰る人も多いです。
ただ、この中に、
手を入れて洗っていた人もおり、
これは非常識です

右脇から流れていますので、
そこで洗ってください。

時々、湧き上がっています。

小坂峠から見る、福島県国見町。
山並みは、阿武隈山地と霊山。

萬蔵稲荷神社 宮城県七ヶ宿町

小坂峠付近で馬方をしていた熊谷萬蔵は、
ある夜、峠にさしかかった場所で
旅に疲れた一人の老人を
自宅に招待しもてなした。
翌朝、老人は自身が
稲荷神社の化身であると名乗り、
礼として三頭の馬を萬蔵に贈った。
萬蔵は贈られた三頭の馬を
資金に稲荷神社を建立。
自らも出羽三山で修行し、
神仏の信奉生活と社会奉仕に生涯をささげ、「大阿闇梨金剛院祐観」の院号を受け、
後に即身仏となった。
彼が信仰し守りつづけた
賀良明貴稲荷神社を、
信者たちはいつしか萬蔵の名前を含めて、「萬蔵稲荷様」と崇め称えるようになった。

この神社さんは、県境にありながら、
大変な人気の神社さんです。

特に、旧羽州街道の産坂の名前の通り、
妊婦さんが多くて、
安産祈願をされる方が多いんです。
今は、どうなのか、わかりませんが、
以前は、霊視鑑定をしており、
よく当たるとして、大人気でした。

この日も、駐車場は、満杯でした。

左の石段から上がります。

拝殿

本殿は、石段の上

左側に参道があり、石が積まれています。
たぶん、ここが即身仏の場所では
ないかと思います。

参集殿ですが、こちらで、
ご祈祷いたします。
札所も中にあります。

垂れ目の、お狐さまです。

本来でしたら、ここから、
第二鳥居まで歩いて、
くぐっていただければよいのですが、
枯れ葉の堆積で、ぬかるんでおり、
皆様、敬遠されていらっしゃいました。

小坂峠

湯殿山

小梨がたくさん落ちていました。

どうも、産坂から、
ここまでの急坂を登って越したようです。

東北新幹線の高架橋

まだ、このあたりでは、
稲刈りのあとの落穂に火をつけて
焼いているようです。
仙台市内では、こういったことは、
すでに禁止されています。
今は二酸化炭素の排出の問題が
ありますので、
できれば、やめなくてはなりません。

わかりますか?

イチョウの葉っぱの縁が、異様に白いのが。

これが普通なんです。

天明5年(1785年)頃、
鎌倉時代からの金剛院修験の家柄である
熊谷家(現宮司家)
15代目羽黒派修験者
大阿闍梨金剛院祐観
(当時は馬方の萬蔵を名乗る)が
祠を建立し宮司となる。
旧社名は賀良明貴(がらみき)稲荷。
熊谷萬蔵は弘化4年(1847年)6月27日に
81歳で円寂。
遺言によりその後即身仏となった。 
明治2年に萬蔵稲荷神社と改称。
明治42年に近隣16社11の祭神を合祀し、
村社に列せられた。
 萬蔵の即身仏は大正時代までは
現存したが、
見世物として持ち出された先で
行方不明となり、現存しない。

さて、戻りましょう。

途中、見える場所で撮影しました、
霊山です。

工事中で、時々、停止。

間もなく、国見インターで、深山神社。

東北道に乗り、南下。
東北中央道へ入り、福島県相馬市を
めざします。
お初の道路です!

吾妻小富士?安達太良山?

左手に見えてきました、霊山です。


真正面に見える、霊山

一度だけ、霊山の麓の道を、
8月に通ったことがありましたが、
梅雨の時期は、墨絵のようだと、
聞きました。

つるべ落としですね。

まもなく、相馬です。

相馬で一旦、下りて、買い物をして、
そのまま、常磐道で、仙台まで帰りました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?