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【宮城】大衡八幡神社② それは不思議でも、ご縁でも、必然でもない

御神木 イチョウ

妙見菩薩さまの湧水、として
有名な、手水。
汲んでいくことができます。
昔から眼病平癒の御神水として
崇められていた。
お乳の出も良いそうです。

金谷神明社 伊勢神宮 分霊社

秋葉神社、十二月社

方位盤 

しかし、三明院とは、

京都聖護院 とは

天台の第5代座主、
智證大師円珍(814-91)が、
 熊野那智の滝に一千日篭居をされた後、
熊野より大峰修行を行われました。

その後大師の後を継ぎ、
常光院の増誉大僧正が大峰修行を行われ、
修験僧として名をはせました。

この増誉大僧正は、
寛治4年(1090)の白河上皇が、
熊野三山を参詣する熊野御幸に際して
先達を務められ、
その功績によって聖体護持の2字をとり、
聖護院という寺を賜ったのが
聖護院の始まりになります。

増誉大僧正は、
この時熊野三山検校職に任命され、
本山派修験の管領として
全国の修験者の統括を命じられ、
聖護院の最盛期には
全国に2万余の末寺をかかえる
一大修験集団となりました。

この後上皇によって行われた
熊野御幸の案内は代々聖護院大先達が勤め、 

「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 
愛宕まいりは月まいり」

と言われるほど、熊野詣は盛んになり、
また愛宕山も修験の行場として
栄えました。

聖護院大根や八つ橋は
この聖護院村で作られていたことから。

京都聖護院は、天台宗です。


これまた、何のご縁か、
わたしの地域にあります、
仙台東照宮と神仏習合であった、
仙岳院、こちらも、天台宗です。

一門格筆頭 仙台藩、
7等寺院(大日本寺院総覧)

開山以来、平泉・中尊寺の別当を兼ね、
仙台藩領内の寺院では
筆頭の格式であった。
また、江戸・寛永寺の末寺ともなった。

10年以上連続で参拝している、
奈良吉野山、金峯山寺

本山派は天台宗系で、
園城寺(三井寺)の円珍を開祖とする。

この派は主に熊野で活動し、
総本山は天台宗寺門派(園城寺傘下)の
聖護院(京都市左京区)である。

一方の当山派は
真言宗系で聖宝を開祖とする。

吉野を主な活動地とし、
総本山は醍醐寺三宝院(京都市伏見区)
であった。

金峯山寺は
中興の祖である聖宝との関係で、
当山派との繋がりが強かった。

慶長19年(1614年)、
徳川家康の命により、
天台宗の僧である
天海(江戸・寛永寺などの開山)が
金峯山寺の学頭になり、
金峯山は
天台宗(日光・輪王寺)の傘下に
置かれることとなった。

真言宗から、天台宗へ、
そして金峯山修験本宗と
変わっていきました。

修験といえば

主人のご先祖様も
山形県、羽黒山の山伏、羽黒山修験本宗だ。

すべて、「修験つながり」で、
この大衡八幡神社に来ている。

大祓詞の冊子から、
車のダッシュボードに入れなさい、と
2つも、折り紙で折られた中に
神塩の入っているものまで
いただきました。

これは鑑定料金になるのでは、と思い、
お聞きしましたところ、
あなたのような方とお話できただけで、
わたしは良かったんですから、
それはけっこうです、と
受け取られませんでした。
有り難いことです。

ほんとうに、数々の御示し、
感謝申し上げます


クロバネトンボ!
東北では、神様トンボと呼ばれています。

なんと帰りに生協に寄りましたら、
伊勢名物 お福餅が!
思わず、レジかごに。
この時期、仙台で、売るんだろうか。

いや~!今年は、コロナ禍で、
大渓水さんの伊勢ツアーに同行できず。
難病の身内が3人いるもんで。

ライオンズゲートの日に、
あのようなお話となり、
帰りにお福餅!
神様からの御礼だったんだろうか。

著書という大きなものを
出さなければならないという使命!

これで3度連続で
3人の方々から後押しされてしまった。

福島県南相馬市の
伊勢神宮外宮の宮司さま、
「月刊ムー」でお馴染みの、きりんさん、
そして、大衡八幡神社の宮司さま。

きりんさんは、顔なじみなんです。
四季の土用おまじない、すごいですよ!
ただし、毎日、実践できる方のみ。


やらねばなるまい!

後は、和歌山県と島根県の調査だ。



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