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【9月三合参り 】上沼八幡神社 石清水八幡宮勧請 その1

県道398号線から、県道342号線へ。
北上川沿いを岩手県一関市に向かいます。

これも本来、
行くはずだった神社さんではなく、
たまたま、また看板を発見したので、
行ってみることにしました。

山の中腹に大きな赤い鳥居が!

大鳥居

駐車場も、第三まであります。

湯殿山、庚申

この姥杉は、指定にはなっていませんが、
かなり大きいです。

かなり、うっそうとしており、
本当は薄暗いくらいです。
明るく加工いたしました。

上沼八幡神社 応神天皇

平安時代中期に
源頼義公・義家公父子が、
京都の石清水八幡宮を勧請した
神社である。諸伝によると、
鎮守府将軍源頼義公とその子義家公は、
前九年の役に際し
天喜5年(1057)と
康平年中(1058~65)の2度にわたり
当地に陣を構えた。
その際、義家公が祭壇を設け
八幡大神を勧請し戦勝を祈願したところ、
霊夢を得て、激しい戦いの末に
勝利を収めることができた。
八幡大神の守護に深く感謝し、
凱旋にあたり、
治暦年中(1065~69)、
あらためてこの地に境内を寄進し、
義家公が自らの「八幡守本尊」を奉祀し
武具を納め、
一社を創建したことに始まる。

随身門

『奥羽観蹟聞老志』

〈佐久間洞巖著、享保4年(1719)〉には、

「八幡ノ社 在上沼村後冷泉帝治暦年中源義家東征之時次軍于此地治平之後所建也 傍有湖水曰八幡湖」

との記事がある。

同書に載録された宮城県内の八幡神社は、
当社を含めて
仙台市の大崎八幡宮と亀岡八幡宮、
栗駒町の屯岡八幡神社の僅か4社を
数えるのみ
で、

往古より仙台藩北部の
代表的な八幡神社として
広く認知されていたことを示す。

吹く風を勿来の関と思へども
道もせに散る山桜かな
(源義家・千載和歌集)

いにしえは弓矢八幡
現代では厄除け八幡として信仰
母子神信仰

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