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弥勒信仰とは、ユートピアと改革の信仰である

https://olympics.com/beijing-2022/olympic-games/ja/results/all-sports/medal-standings.htm

日本

金 3   銀 6 銅 9

ミロクー弥勒

弥勒は、現在仏である

ゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次に
ブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、
ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来に
この世界に現われ悟りを開き、
多くの人々を救済するとされる。
それまでは
兜率天で修行(あるいは説法)していると
いわれ、
中国・朝鮮半島・日本では、
弥勒菩薩の兜率天に往生しようと願う信仰
(上生信仰)が流行した
弥勒菩薩が出現するまでの間、
現世に仏が不在となってしまう為、
その間、六道すべての世界に現れて
衆生を救うのが地蔵菩薩であるとされる。

弥勒信仰には、

上生信仰とともに、下生信仰も存在し、

中国においては、
こちらの信仰の方が流行した。

下生信仰とは

弥勒菩薩の兜率天に上生を願う
上生信仰に対し、
弥勒如来の下生が(56億7千万年などの)
遠い未来ではなく
現に「今」なされるから
それに備えなければならないという
信仰である。

下生信仰の方は、
弥勒下生に合わせて
現世を変革しなければならない
という終末論、
救世主待望論的な要素が強い。
そのため、反体制の集団に利用される、
あるいは、
下生信仰の集団が反体制化する、
という例が、各時代に数多く見られる。

日本でも戦国時代に、
弥勒仏が
この世に出現するという信仰が流行し、

ユートピアである
「弥勒仏の世」の現世への出現が
期待された。

一種のメシアニズムであるが、
弥勒を穀霊とし、
弥勒の世を
稲の豊熟し、平和な世界であるとする
農耕民族的観念が強い。

なに? これって、稲荷信仰?

渡来系有力氏族。

5世紀以後、西日本一帯に広範に居住する
秦人の伴造(とものみやつこ)。
本拠地は、山背国葛野郡。
天武朝の八色(やくさ)の姓で
忌寸姓となる。


 一般には、
古くから西日本一帯に渡来し 
機織や農耕に従事していた
新羅系の人々が
欽明朝に王権に接近した山背国の勢力を
伴造として
氏族的にまとめたものとされている。
以後、
多くの献納によって王権を支えたので、
一族は朝廷の倉の管理部門と関係が深い。
推古朝に、
峰岡寺(広隆寺)を建立した
秦河勝がいる。

『日本書紀』によると、
推古天皇11年(603)に
聖徳太子が、
所持する尊い仏像を
誰か礼拝する者がないかと
臣下に問うたところ、
秦河勝が
進み出てこれを賜り、
蜂岡寺を造った。広隆寺の前身である。
そして、その仏像こそが
国宝第1号に指定された、
あの有名な
弥勒菩薩半跏思惟像である
という。

渡来人の血を引く桓武天皇
平安京に遷都した背景にも
秦氏の強大な力があったといわれる。
秦氏が
大陸や半島の先進技術を伝えたことにより
日本の文明の発展に
どれほど貢献したかは計り知れない。
こんにち日本人の
心のふるさとといわれる京都の、
根幹の部分に
渡来人の活躍があったことを
私たちは忘れてはならないだろう。

伏見稲荷大社の創建
 
5世紀以降、
山背国を中心に近畿一帯に繁栄した
渡来系氏族泰氏が
古来から神の宿る山として
信仰されていた神体山に
稲荷神が降臨したとして祀り、
氏神として信仰してきた。

http://murata35.chicappa.jp/shuhenkaido/inaritaisha/index.htm

この観念を軸とし、
東方海上から
弥勒船の到来するという信仰が、
弥勒踊りなどの形で
太平洋沿岸部に展開した。
江戸期には富士信仰とも融合し、
元禄年間に
富士講の行者、食行身禄が活動している。

また百姓一揆、
特に世直し一揆の中に、
弥勒思想の強い影響がある
ことが
指摘されている

まさに今の日本の
「ミロク」の考えは
下生信仰そのものですよね!
しかも
下生信仰の彌勒如来とは

台湾 宝覚寺

布袋さま!


「景徳傳燈録」によると、布袋は死の間際に

彌勒真彌勒 分身千百億

(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)
時時示時分 時人自不識
(時時に時人に示すも時人は自ら識らず)
—布袋和尚、景徳傳燈録

という名文を残した

なんか、まさに、日月神示ですよね

だから大本教は、
下生信仰に沿っている
ということなんだね

https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2019/pdf/humanities16.pdf


話は飛びますが、そういえば

丑寅  虚空蔵菩薩さま

虚空とは

地・水・風・火に次ぐ
第5の要素としての空間

虚空蔵菩薩さまと関わりがあるのが

弘法大師さまだ


奈良時代には
すでにさかんであったようで、
若かりし弘法大師も
この 菩薩を本尊とする「虚空蔵求聞持法」を
阿波の太龍岳や土佐の室戸崎などで
修行されておられます
修行のおり、
口に明星(虚空蔵菩薩の化身)が
飛び込んできたと
記されています。
この瞬間、空海さまは
悟りを開いたといわれ、
修行で籠っていた洞窟からの
視界の中から見えるのは
空と海だけであったため、
空海と名乗ったと伝えられています。

虚空蔵菩薩の誓願に

「人には三期の厄あり。
その厄災のうち、
とりわけて変体の厄を除き、
智徳を与え、
二世の願いを成就せしめん」

という項目があります。

ここでいう
「変体」の厄とは、

子供から大人に変わるときのように、
人間の身体が変化するとときの
厄を重視して、
この誓願をたてられた
といわれています。

また、インド以来の
虚空蔵菩薩への信仰は、
星宿、日月などの星神の信仰とも
深く関係をもっています。
胎蔵曼荼羅の虚空蔵院の主尊として、
また
釈迦院の主尊釈迦の右脇侍に
描かれています。
観智院本三宝絵(984)下
「日月星宿の光諸のやみをてらすも」

これは興味深い!


柳津虚空蔵尊から

33年に一度の御開帳ですが
今年、善光寺御分体が
7年に一度の御開帳なのだそうです!
4月21日〜6月11日まで
ぜひともお越しくださいね!


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