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4 leaves

最近、若い社員と時間を共にする事が多く、
彼らと仕事をしていて、何十年もずーっと忘れていた、自分が仕事を始めたルーツ、荒削りでもがいた日々を思い出した。

もう25年も経った。
どのように生きたらいいか分からない大学生。

その前、部活に捧げた高校時代。
3年の夏に部活が終わってもぬけの殻になった自分。何となく受けた受験は当然失敗。
しかし、期待をかけてくれた恩師の言葉がキッカケに、無我夢中で期待に応える為の浪人時代を過ごし掴んだ大学への切符。

そこで待っていたのは早々の挫折感だった。
何となく、自分でその予感はあったけど、入ってみて目の当たりになった周囲の人たちとの圧倒的な才能の差に、その場に来た事に当初は毎日後悔をした。
要領良く、試験は潜り抜けるも、自分のエネルギー、熱意をどこにぶつけたら良いか分からない。
そんな日々だった。

そんな中、東京のオシャレな場所や店に関心があった自分は大学2年の春、深夜友人にとあるお店に連れて行って貰った。
時代はまさに夜カフェ最盛期。
バブル崩壊後とはいえ、まだまだ夜の東京は賑やかだった。

友人の車で道路脇に車を乗り付け入店する。
その先に見えた景色はお客様で賑わい見たことの無い、まるで欧州の映画の中にいるかの様な光景。

浮足だった自分はテーブルのお砂糖の器を落としてしまった。
すると直ぐに、一見チャラチャラした感じのアフロのお兄さんが、「お客様、お怪我はないですか?」
直ぐにお隣のお席へどうぞ!」

その様な対応を受けた事のない田舎者の自分は、ただただ驚き、凄いなと思い、その晩の経験は心にずっと残っていた。
まさか自分が数年後にそのお店で働く事になるとはつゆ知らず。

大学にはあまり行かなかったが、1年の頃は武道をかじったり、アルバイトで稼いだお金で旅行に行ったり、まあ人並に遊んだりそこそこ楽しく過ごしていたが、大学も半分を終え、周囲はゼミに入ったり大学院試験に向けそろそろ意識し準備し始めるも、どうしたら良いのか分からない日々は続いた。

そんな中、たまたまフロムAで見つけた飲食店オープニングスタッフ募集の記事。
今まで塾講師やコンビニバイトしかした事が無かったが、飲食店でアルバイトしていた大学の友人から、賄いがありいいよ!と聞いており、興味本位で応募した所、採用して頂いた。

一緒に採用されたのは、近辺に住む大学生やフリーターの方。
一人プロのバーテンダーがいて、プロフェッショナルで眩しかった。

ド素人だったけど、お仕事を教えて頂きトレイが持てる様になったり、お客様とお話したりが楽しかった。
中でも一番楽しかったのは、仲間たちとああでもない、こうでもないと話しながら、自分たちなりにより良い店にする為、話し合い作り上げて行く感覚。
それが私に取り、何よりも楽しかった。
当日25.6歳で一国一城の主として、自由に生きている様に見えたマネージャーが羨ましいと思った。

研究者、エンジニアになる自分が結局イメージできない。当時、世間を賑わせつつあったITも少し触ったが夢中になれない。

周囲がほぼ100%大学院に行く判断をする中、自分は4年で就職する事を決めた。
コンサルティング、金融、色々調べたけど踏み込めない。

そんな就活をし始めた中、仲の良かった4人のアルバイトの仲間たちでいつかお店やりたいよね!なんていつもお酒の席で話していた事が、私の中では追いかける夢になって行った。

そして、一つの企画書を作り皆に渡したのが、タイトルである4 leavesという企画書。
内容は詳しくは忘れたけど、皆バックボーンが違う中、それぞれが別分野で専門性磨き、いつか一緒にお店をやろうという、今考えると青くて、恥ずかしい内容。

そしてその場で私が決意したのは、だったらそれを叶えられる環境、現場に自分が一早く入ろうという事だった。
そこで門を叩いたのは、当時、飲食業の時代の寵児として名を馳せていたグローバルダイニング。
私が大学二年生の時に経験した、あの驚きのお店を運営する会社だった。

その後の溢れ話。
4 leavesはその後、私が仕事に夢中になりすぎて会う機会が無くなってしまった、、
しかしその中の一人、松江澄人君は、SARUオープンから数年、HP制作などWeb周りを助けて頂いたり、お金で一番苦労した時期に助けて貰った。
今でもうちのファンとして私達を応援してくれている。いつもありがとうまっちゃん。


また、この頃抱いた私の夢、

それは、仲間たちと何かを作り上げる事。

レストラン作りはチーム作り。
年齢やバックボーンが様々な、個性あるうちのスタッフ達と毎日それをやれている事に幸せを感じている。

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