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憧れの自由が丘で生まれた私の誇り

私にとって自由が丘は特別な街だ。
大学進学が決まり、東京に行くまで、ウキウキが止まらず読んでいた確か「るるぶ」の自由が丘のページ。
写真を通して目に刺さる、自分の田舎にはない、まるで欧州の洗練された街並みに魅了された。
当時住んでいたアパートが自由が丘からほど近く、上京して真っ先に自由が丘に行った。
特に目的がある訳でなくお金も無いから、いろいろなおしゃれなお店に入っては出てを繰り返す。
あ〜東京に来たんだなと実感した日を今でもはっきり覚えている。

始めて飲食業に触れたのも自由が丘だ。
当時大学2年生の終わり。フロムAでレストランバーのオープニングスタッフ募集の記事に飛びついて応募した。なんかオシャレそう、なんか楽しそう。
採用して頂き同世代の皆でお店を盛り上げようとあーだこーだ話し合う日々が自分の原点かも知れない。
ある意味受験の後、進学した後何も夢中になれなかった自分にとって、アルバイトはとても活き活きした時間だった。

自分に取ってそんなある意味思い出と郷愁の街自由が丘にお店を出したのは2018年11月。
当時、白金店や代々木上原店で人気且つ商材として可能性を感じていたラザニア、ワインに合う惣菜、ワインの物販を視野に入れたビストロとしてスタートした。スタートしたもののどっちつかずの二毛作はなかなか難しく、またやり切るだけの力は当時の私には無く開業当初は非常に苦労した。期待していたランチもお客様は全く来ず・・・というスタートだった。

オープン直後

開業からシェフとして尽力したのは当時26歳、入社6年目の長谷川僚。(現:店主)
それまでうちの全ての店舗で経験を積んで来て会社や生産者様の事など、熟知をしており、信頼関係含め彼以上の人材はいなかった。
開業から1年は私も一緒に現場で試行錯誤しながらどうしたらいいかを模索しながら、お客様が徐々にお店について下さっていたがまだ経営が安定しているとは到底言えなかった。そして1年経ち私が自由が丘の現場から離れ始めていき長谷川に完全に任せていった。

その後、彼は自分に足りないスキルを感じ、休みの日には他のお店で勉強をするなど、自分の全てを自由が丘のお店の成長と発展に捧げてくれた。
料理の事だけでなく、自らお客様に挨拶に行き名前を覚えてお客様に覚えて頂く。仕事後は自由が丘の町のお店に行き交友を深めて行く。
お店はじわじわ成長し続け、3年目には完全に軌道に乗り弊社の中でもトップの業績の店へと成長させてくれた。
僕にとっても思い入れの強い街で、街の中でも有数のお店の仲間に入れた気分にさせてもらっている。

誰よりも来て頂いた方を楽しませる為に全力で仕事する
お店が自分達の表現の場であり自分のお店がダサいお店でありたくない
繁忙期や厳しい局面では誰よりも自分が身体を張り自分の仲間を守る
その背中を誰よりも見せ続けてきたと思う。

そんな彼の姿勢は、ワークライフバランス全盛の今の時代には古いのかも知れないけど、人間はいくら頭で理解しても、最後は心で感じる生き物。
その職人としての姿勢についていく社員も多く、慕われ信頼されている。

自由が丘のお店の現場にいながら他のお店のアドバイスも、そのお店のシェフやスタッフに取って何がいいか、お客様が喜んでくれるか、その観点でしてくれる。
彼の存在が私たちの会社の成長にとっても掛けがいのないものになっており、私としては絶対手放したくない笑!
が彼の人生。
ここにいた方が楽しいな、いい人生だなと思ってもらえるような会社にするのが私の仕事だろう。

先日家族の誕生日の食事で自由が丘を訪れた。
お店の中は素敵なオトナでいっぱい、格好良いウェイターが粋なタイミングでワインをすすめてくれる。
長谷川が何年にも渡って勉強した世界がメニューに表現されている。
季節感ありプレゼンテーションもとても綺麗。
そんな進化し続けるメニューの中に、僕たちが2012年初めてのお店を開業した時に人気のメニューであった白金のマグロのリンゴチップ瞬間燻製、ワサビタプナード添があった。

同じ内容でも止まらない進化を味わった

全ての食事も大満足で、食後長谷川に
「何でこのラインナップにあえてマグロ入れてくれたの?」
と聞くと、
「いや、俺、これ大好きなんで!!」
心の中で一人泣いたことは言うまでもない。

2024.5.14 猿田伸幸

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