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FRECKLE donuts openまでの裏話 〜コロナを経て〜

【はじめに】
7月18日にSARU groupとしては初のテイクアウト専門店、
FRECKLE donutsを代々木公園に程近い、渋谷区富ヶ谷にオープンいたしました。
今までビストロなどレストランを運営して来た私達がなぜドーナツ屋さんにチャレンジするのか。
⁡一見すると華やかなオープニングですが、裏では様々な経緯があり今回の挑戦があります。
今回は私、代表の猿田がいつも私たちを応援してくださる皆さまに、いつもとは少し違う経営者目線での話になりますが、その背景、私たちのことをお伝え出来たらと思います。長文になりますがお付き合い頂けたら幸いです。

【あのウィルスがやってくるまで。。。】
2020年、当社は白金、代々木上原、学芸大学、大手町、自由が丘でいずれもSARUの屋号のビストロを運営していました。
2012年の開業以来、じっくり1件ずつ場所に根付くお店作りを念頭にお店を立ち上げて来て、なんとか毎年わずかながらの増収増益を重ね、金融機関から融資を確実にうけて店舗数を増やして来ました。
2020年は、翌年2021年春の千葉大学内カフェレストランのプロデュース、運営の話の交渉をしていましたが、特に他の出店計画はなく、調理師学校から3名の新卒生を迎えることが決まっており、既存店の強化と強い組織作りを念頭に春を迎える準備をしていました。

【コロナが私達の元へやってきた】
そんな中突然やってきた、皆さまのまだ記憶にも新しいであろう恐ろしいウィルスの一報。
私も日々情報に接しながらどう対応すべきか考えていましたが、まずは2月末から大手町店からお客様の足が鈍り始め、それ以外の店舗も明らかに3月後半から来客が減り、いよいよ東京に蔓延かという3月30日、私は全店舗の休業を判断しました。大きな不安の中でしたが、当時の政府の方針を信じるしかありませんでした。

入社早々からお休みになってしまった新入社員をはじめ社員の生活を守るため、給与の補償をしつつ、当社はとてもキャッシュリッチとは言えず、当面の資金確保の為、コロナ関連の融資や支給金関係を得るために奔走をしました。

若い社員にとっては経験こそ一番の財産。一日でも早く休業から営業再開したいと思い、GWから物販をしたり、宅配をしたり、20時までの営業時間の範囲内でできることをやろうと皆で色々トライしましたが、お酒の提供が利益の中枢である私達の事業モデルでは利益を残すことは出来ず、今まで見たことが無いような多額の赤字を4、5月で計上してしまいました。

経営の専門用語になりますが、今まで8年間積み上げてきたBSの資産の部があっさりぶっ飛び、融資を受けて現金は十分確保できていたものの、会社は債務超過に陥ってしまいました。

しかし政府や自治体の補償も得られるものは全て得て、当面は会社は大丈夫という安心感は持つことができました。

【コロナ禍の中の厳しい試練】
6月、大手町ではの各企業、出社する人が徐々に戻ってきたので、大手町店のランチ営業を再開しました。
ランチ開始3日後、とある大企業で1名のコロナ陽性が出た為、全社員の出社が禁止され見事に来客0。その日のために仕込んだものは全てゴミ箱行きに。大規模オフィスの状況に振り回されるのはゴメンだし未来にも期待が持てず、体力があるうちの撤退を判断しました。

この状況がいつまで続くのか先が見えない、動きを止めず自分たちで稼がなければ。コロナが続くならコロナでも通じるビジネスがあるのではないか。
当時はUber Eatsはフル回転で流行っていましたし、弊社の家庭用ケータリングもそれなりの需要がある、止まっていても仕方がないとイートイン、テイクアウト、Uber、ケータリング、冷凍加工品販売を一手に担うお店を企画しオープンしましたが、毎月多額の赤字を垂れ流す結果となってしまい1年で再投資しレストランに業態変更、多くの資金をロストしてしいました。

また先述した千葉大学、2020年4月の開業に向け準備していましたがまさかのコロナ。4月オープンはできず開業を6月にずらしましたが、結果は散々。こちらは当社の投資は軽かったのですが、100席の大型店の為きちんとしたサービス提供には人手が必要。医療機関内ということもあり開店から、宴会が本格解禁された今年の年明けまで、約3年間赤字を垂れ流し続けました。

それでも政府系金融機関から、私がまだ40代と若く20年は頑張れるだろうということや、やって来たことを評価して頂き、2021年資本制ローンに取り組むことが出来、債務超過は解消され、攻めの姿勢を作ることができました。
攻めて利益を増やしていくことで債務を減らしていく。
つまり退路をたって成長を目指す事で生き残る道を選びました。

【コロナ禍がもたらした変化】
世間の生活変容や飲食業界を取り巻く環境も変わりました。

朝型生活が定着し夜遅く終電近くまで街が賑わうという事が明らかに減りました。私達のお店でもそれを実感します。

そしてレストラン、居酒屋業態と夜の飲酒を伴う業界は極端な人手不足になりました。今まで採用に関してはそれなりの動きがありましたが、募集に対し応募が0が当たり前になりました。
また同時に働き方改革も始まりました。飲食店は労働収益型で人がいないとお店は開けることができない、またランチとディナーという2つの時間帯で営業する当社にとって、大きな変革が求められました。
このことについては、人件費の負担は大きく増えましたが、逆に長い目で見て良かったかも知れません。今まで若い人を長く安く働かせ過ぎていたのではないか。そのようなある意味で飲食業界のみで通じる常識の範囲内では当社はベターだったかも知れないけど、他業種と比較したら明らかにブラック。
しっかりとしたお給料を払い、チャレンジしがいのある魅力的な仕事にし、若い方に選んでいただけるような会社にしていけばいいだけ。その様にマインドセットし今、取り組みをしています。

コロナ禍は昨年より終息に向かいましたが、昨年は組織を大きく見直す社内のアクシデントや想定外の出来事が噴出し、極端な人員不足に陥り大切な創業店である白金店を閉店する判断をしました。
地域の皆さまには申し訳ない思いであるとともに、12年間、利益がしっかり出ていたお店を閉めたことは経営にも大きなマイナスとなりました。他の店舗も人手不足でスタッフの休みをまわすために営業日数を減らさざるを得ずそのことも大きく影響し、また債務超過に陥ってしまいました。
コロナ禍で借入した大型返済も本格的に始まりました。昨今返済できずにあきらめ倒産する会社が多いと報道されています。それは決して人ごとではない気持ちで聞いています。
コロナが来なければこんな借金はしなくて良かったのに、、、順調に成長していた筈なのに、、、、そのような感情を抱くことも少なくありませんでした。

【希望】
これまで書いてることだけ読んでいただけば、これでもかというくらい散々だと思いますが、そんな中で迎えた2024年。
これからの未来に私は大きな希望を持っています。

その一つは、様々な専門性やスキル、経験、能力があるベテラン、若手社員たちに囲まれていること。
また、コロナ禍以降で蒔いた新しい種、比較的新しいお店の成果が出始めていることです。

そして、時代が変わるならその変化に受け入れられる事業に取り組めばいい。
人手がいないというが、必ず人が集まる業態を作ればいい。

【そしてドーナツへ -FRECKLE donutsオープン-】


FRCKLE donuts店頭写真

そんな気持ちの中、とある観光地を歩きながら、どんなお店ならこの街にまだなく、流行るかなと想像していた時にふとドーナツならいいんじゃないか?と自分の中で閃きました。

歩きながら食べる事ができる、国籍や老若男女問わずに愛され、シンプルに作った分売切りで成立する、イートイン無しならレストランよりも低投資で開店出来る。

あとは、オリジナルな個性があれば選ばれる。それは個店を経営してきた私たちが最も得意とすること。まずは自分たちが勝負してきた街でチャレンジしようと思いました。

入社7年、各店舗のデザートメニューやさまざまな企画で大変好評をいただくアウトプットをしてきたシェフパティシエ西山生恵。
彼女にその相談をすると、パティシエの技術を活かしたドーナツ、フレンチクルーラー専門店をやるのはどうかというアイデアが出て来ました。

そして生まれた「FRECKLE donuts」

当社のシェフたちが味の意見やアイデアを出しながら試作を重ねて来ました。
今までお付き合いいただいた生産者様の食材を使わせて頂いています。
コンセプトは、生産者×パティシエ×フレンチクルーラー=This is "フレンチクルーラー”にしました。


色とりどりのフレンチクルーラー

都会的な中にも可愛く親しみあるブランドデザインにすることができたと思います。そのおかげもあり順調な採用も出来ました。
コロナ禍のチャレンジの失敗から学び、できるだけシンプルに事業として成立させたれるよう、やることを削ぎ落としました。
開店から賑わい良いスタートが切れましたが、もっともっと品質を上げ、いいお店にしていきたい。
多くのSARUのファンの方にもご来店いただきありがたい限りです。

【未来の展望】
フレクルは都市型の事業でこれからもSARUのファンの方に来ていただける場所に出店していく予定ですが、セカンドブランドとして、地域性と掛け合わせた業態も考えています。
その土地の面白い食材と掛け合わせたり、言葉遊びで発想したり、、色々とアイデアは尽きません。

大きく盛り上がるインバウンドは、素晴らしい自然と歴史、文化に世界の人々が気づいた証拠。
これからの地方の成長に希望を感じます。

そして先日、私の地元である長野県松本市で新会社を設立しました。
松本の魅力を増成すべく、様々な今ある資源を活かしたエンターテイメントを提供する目的で設立した会社です。
もうすぐ1号案件についてご報告できるよう準備をしています。

こちらのnoteや私のinstagramで発信していきますのでフォローいただけましたら幸いです。

これからの未来。
都市と地方、人と人、人と食材、人と自然、優秀な職人の技術と私の経験や着想掛け合わせることで面白いことを産み出していきたいと思っています。

様々な能力、意欲のある方と手を組み、新しい形を作ることも楽しみです。

未来を自分たちで切り拓く。

やりがいある環境で人を育て、人材不足なんていう言葉はうちの会社からはなくなる魅力ある場所。

私の仕事人生の限り力を尽くす所存でおります。
今後も応援いただけましたら幸いです。

猿田伸幸

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