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無気力をポリシーとして生きる気持ちが芽生えたのはいつだったか。

幼い頃は天真爛漫だった。
皆そうだと思うけど。

母は俗にいうキャリアウーマン。
この言い方は好きじゃないけど、働く母。
がっつり。

ガツガツ働いて。
母、妻、嫁、会社員の何役か分からないけど、こなして。
とにかくあまり家に居ないタイプだ。
でも、料理が上手で、美味しいご飯にいつもありつけた。
小さい頃、甘えん坊で良くおぶってもらったことをうっすら覚えている。

母の性格は神経質なのに、急に雑だったりするから混乱することがある。

父に対しては、頭の回転が早いから、鋭く切り返したりして。
負けん気だけが強い父はマウントを取ろうと必死で。
下らないふたりだ。
補い合うのが夫婦じゃないのかなぁ。

そんなにダメなら、離婚すればいいのにとか思った。
母の言い分も分かる。
父には大人げないなぁと。
つまるところ、ふたりの間のことなんて僕にはわからない。

今日も僕のことで言い合いになって。
それは、ちょっぴり悲しい。

父は好きだ。
よく一緒に遊んで。
ゲームもしてくれた。
少し大きくなってからは、少しだけ面倒臭くなった。

今は、好きだけど、面倒臭いが大きくなった。
酔うとベラベラと喋り、口煩い。
自分がいかに偉いかを誇示する。

いつも思う。
それって。

言わない方が格好いいんじゃないの?

でも、人それぞれだから、どうだっていい。
父が偉くてもそうじゃなくても、僕の父であることは変わらない。
ただ、僕に想いを押し付けるのは嬉しくない。
僕には僕のアイデンティティーがある。
子供なりに。
不安定だけども。

不器用で、ガキ臭い父。
僕の回りに大人な男は居ないのか。
そんなことがつもり積もってモヤモヤと。
フラストレーションが溜まる日々をどうやり過ごそうか。
そんな時間が長く続いた。

ある時、母から急な仕事で遅くなるからと、珍しく出掛けた僕は鍵を持っていなかったから。
かつて所属していた職場へ取りに来るように連絡が入った。

母の仕事は地方の小売業で。
店舗で販売を行っていたが、栄転で商品を統括する本社へと変わっていった。
なかなかハードな職務のようで眉間のシワと、白髪が目立つからとふわふわのロングヘアーからボブショートになった。


かつて居た店舗は。

少々スペックが高く、まだ学生の僕が頻繁に出入りするには気が引けるようなところで、少し緊張した。

そこへ着くと、スラリとした男の人に声をかけた。
すると、にっこり微笑んで。

聞いてますよ。
呼んでくるのでしばらくお待ちください。
大きくなったね。

少し低くて。
こもった、やさしい声で。
垂れた二重瞼が僕を見つめる。

どこかで会ったことあるのかな。

歩き去る背中を見て思った。
母が来る迄の間。
小さい頃の記憶を掘り返した。

そうだ。
小学生の低学年の頃に会ったんだ。
母に連れられて来た時だ。
スラッとして。
今よりもう少し若くて。
なんだか制服が似合っていて。
にこりとやさしく微笑んで、
こんにちは
って、言ってくれた。

格好いいなぁ、と思った人だ。

何でこんなに格好いいのかなって、考えて。
さらりとした挨拶してくれたからだ、と思ったあの人だ。

いいなぁ。





しばらくして。
父は居なくなった。

僕のフラストレーションを放置して。
何で?

良く分からないまま。
あっという間に別れの儀式は済んで。
写真でしか父の顔を見れなくなったのに。
母が泣かなかったことに恨みすら覚えた。

悲しくないの?

ひとりだけ置いてきぼりを食らったみたいに、気持ちの整理がつかなくて。

姉はモンモンと考える日々を過ごしているのか、暗い顔ばかり。
それに苛つく僕。
母はガツガツ働き、いつも通りに見えた。
僕は相変わらず、家から出ることが出来なくて。


そして、ある雨の朝。
行ってきます
と言って出た母は。

傘をポンと、開いて。
空を見上げた。
じっと動かないから様子を窺った。

暫くすると。

ポロポロと涙を溢した。


ショックだった。

連なって、父の居なくなった日も雨だったことを思い出して。
レースのロングカーテンに隠れ、ひっそりともらい泣きをした。


そうか、母は。

泣かなかったんじゃなくて。
泣けなかったんだ。

僕たちを養っていかなければならない責務と相方がいなくなった孤独で。
押し潰されそうだったに違いない。
陰で冷たい嫁だとか、言われていたことも蘇った。

あの時の母の状況を分かってくれる人なんて居たのかな。


大丈夫だよ。
もう、僕は分かるよ。

無気力な体に。
少しだけ力が沸いた朝。

このままでいても。
何者にもなれない。
何者にもなりたくないけど。

僕らしく生きてみようかな。

僕が閉じ籠っていることを。
否定しないで居てくれた。
無理にひっぺがそうとせずに。

気の済むまで閉じ籠っていられたのは。

愛されているからだ。
何で分からなかったんだろう。

うん、もう僕も大丈夫。



母が良く笑うようになったある日、僕は塾へ出掛けるようになって。
姉は大学生になってしばらく経っていた。
玄関の芍薬のブーケが初夏を演出している。

「ねぇ、あの花、どうしたの?前も貰ったよね。」

にこっと笑う母は頂いたの、と。

「誰に?」

お世話になった人。

ふうん

とはいったものの。
「男の人?」
ニコニコしながらひみつって言うから。
「好きなの?」
そう聞いたら。

ただいまーと、姉の声が聞こえた。
大きな声でお帰りと姉に振り返る母は。
美しくて。
揚げたての唐揚げをつまみ食いしながら、同じ様に振り返った。

ブーケの人はきっと、あの人だ。
僕と母は似ているから。
何の根拠もないけど。
本能がそうだというのだから仕方ない。

父のことは相変わらず好きだ。
母の涙を見て。
母もちゃんと好きだったことを理解していて。

あの、テレビの横に置いてあるみんなで撮った写真が僕の家族で。
僕はみんなが大好きで。
みんなも僕を大好きで。

揺るがないんだけどね。

写真は、家族で旅行した時に撮った。
その時は祖母も健在で。
明るい祖母はムードメーカー。
僕は父にもたれ掛かって。
姉は仕切り上手。
母は隅っこで微笑んで。
いつも旅行は母の計画で進む。
リクエストを募って上手くこなす。

天才だと思った。
おいしいものも見つけるのがうまくて、全力で楽しめるから、縁の下の力持ち的な存在。

父が母を愛していたのは明らかで。
なのに、優しく接しないのはいつも疑問だった。

それが僕の家族の纏まった印象。
この写真は大好きだ。


そして。


母に父ではない好きな人が居ても。
楽しそうにしてるのが嬉しくて。

どうか、あの人が。
母を幸せにする人であって欲しい。

だから、いつかあの人と話をしてみたいと思う。

でも、取り敢えず、勉強しとこうと。
幼い頃父と撮った写真を見て。

机に向かった。





この世の中は。
建設的で。あの写真のように。
みんなが同じパイの中、比率を変えて生きている。
どこを重視するかはその人次第。
その比率こそがアイデンティティーよ、と。

社会学とやらを学んだらしい母が、
そう言ったことを。
理解できるのはもう少し先。

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