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不安な時、助けて、と頼んでいる人はどれくらいの割合でいるんだろう。子どもも外に出ても、出なくても、助けてとは意外と頼んでないんじゃないだろうか。社会に出て働く50.60歳以上の人なんか特に頼んだりしてないし、できなさそうに、見ていて思う。
親に言えない時もある。
友達に言えない時もある。
友達がいないこともある。
親もいないこともある。
歳をとれば、特にみんな親はもう、居ない。
でも、困難が起こらなくなるわけではない。
気持ちの中で、仕方ない、とか、
辛くても、こういうものだと、納得できれば乗り越えていけるものかもしれないし、
乗り越えるしかないかもしれない。
でも、信仰とか、そういうものを持っても持たなくても、
自分に例えば、「わたし、助けて」と頼んでみてもいいかと思う。
わたしは天使がある時から突然見たくなって(もちろん、見えない(^◇^;))、それから好きになったので、天使に助けて、と頼むことを覚えてから、頼む。
でも、それはみんなの中では同じことは起こらないし、同じことをする必要もない。
でも、例えば未来の明日の自分でも、10年後の自分でも、もっと未来の自分でもいいから、
自分に助けて、と頼むのは、ありじゃないかと思う。
50歳の自分が、例えば幼稚園の時の自分に話しかけるとしたら、みたいな感じで助けを頼んでみるのはどうだろう。
50歳の自分に、幼稚園の頃の自分、励ましてやってよ、と頼んで、嫌とは言わないだろう^ ^
昔、音楽大学や、音楽の活動の中でバッハとか歌っていたんだけど、
音大では西洋の音楽の勉強するから、古典を歌う。
すると、信仰とかなくても、聖書の内容とか、
キリスト教の中のことを歌うことになる。
(それを知らずに、パンクやらヘヴィメタルやら、ロックやらレゲエやら、映画音楽が学べると思って、音大に入学してしまった人がここにおるけど(T . T))
その聖書の中で、
求めよ、さらば与えられん。
探し尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。
ていう、有名な言葉がある。
扉を3回叩け、さらば扉は開かれん
と、勝手に変えて覚えていたんだけど(^◇^;)
要するに、探し求めて行動した人には、その、たずねて求めたものは与えられるって、こと。
行動にしないと、何も起こらないけど、
求めて行動にした人には絶対必ず、それに対する何かが与えられる。
と、自分なりに解釈して、何となくいつも頭の片隅に置いておいた。
神様がなんとかしてくれる、ではなくて
行動に対する結果は起こる、みたいな感じで。
そして、ある時、助けてと頼んでください、という天使のカードの言葉を読んで思った。
天使に助けてなんて、頼んだりしていいの?
次に、
天使以外にも、助けてって、頼んだことないわ、
って。
助けてほしいって、頼んでいいのか、は衝撃で、
ましてや、天使にというのも驚いた。
で、これは、結局、自分が自分のために求めて行動することで、
それは、自分の行動から、その望む現実に進めるんだな、と思うようにもなった。
だから、天使とかは置いておいて、
自分の意識が、助けを求めていい、
解決策を求めて解決することを許してもいい、
と、思うようになることで、
ちゃんと、助けも解決策もやってくるんだな、と思うようになった^ ^
人に求めなくても、
自分の中の自分に、
未来の自分でもいいかもしれない。
どうだろう^ ^
「助けてやってや、
なんか、これこれで、非常に困っとるで、
自分。」
「それは、えらいこっちゃ、
よっしゃ助けたろ。
まかしとき。
どうしたらいいかはわからんけども。」
とか、
なんか自分に頼むのもいいかもしれない。
それくらい、助けてと頼むことって、
意外としてないし、できないと思うから。
自分には、自分を助ける力があるから。
求める時には、与えられることと、セットだしね
^ ^
探すと、答えもセットになっていて、
時間差はあるけど、答えが必ずやってくるものだからね^ ^
あなたの中にある力^ ^
きっと、納得のいく道に辿り着ける^ ^
今日も楽しい時間を過ごせますように。
ありがとうございます。
戸張碧月