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クリスタルボウルと歌と音楽(自己紹介)

フィールドを毎瞬、色とりどりにクリエイトする皆さま、こんにちは。tobari-moonこと、戸張碧月です。

こちらでは、ソプラノ演奏とクリスタルボウル演奏と教師をしている中での「おもしろこぼれ話」を綴らせていただきます。

今回は、クリスタルボウルという水晶でできた楽器をなぜ、知って演奏し始めたのか、自己紹介をさせてください。

「音」を、世界を愛して感じて楽しむツールとして、誰もが身体の中に楽器を持ち、感性を持っている。それを一緒に楽しみたい、と思っています。そのための自己紹介として、書かせてください。

その前に、クリスタルボウルについて少し説明しますと、クリスタルボウルは、楽器としてできてからまだ30年ほどしか経っていない、新しい楽器で、もともとは、工業用のシリコンチップを培養するための容器でした。
叩いて鳴らすととてもよい音がしたことから、楽器として作られるようになったものです。

水晶を粉にして形成し、2000度という高温で焼き上げ、楽器になるのですが、その色と音はそれは美しいものです。

この楽器を演奏することになったきっかけですが、まだ、世の中に携帯電話がなく、パソコンもまだ今ほど普及していない30年程前、たまたま見た何かの雑誌に「クリスタルボウル」という言葉があり、この文字を見た時、

「あ!これ、何かわからないけど、
絶対やる!!!」

と思ったのでした。そこには、クリスタルボウルが何か、などは書かれておらず、形も楽器なのかも、とにかく何か全くわからなかったのですが、電気が走ったようになり、これはいつかやる、と不思議でしたが強い確信がありました。

とはいえ、まだパソコンが普及していない頃でネットで何か調べる訳にもいかず、地方に住んでいたので、それが何かすら調べる手立てがなく、いつか東京へ行って探してみよう、と思っていました。

そして、かれこれ10数年が経ち、ある日のことです。食材の定期宅配のチラシの中の地域交流の欄に、「クリスタルボウル演奏会のお知らせ」という文字が!
なんと、こんな地方でまさかクリスタルボウルが見られ、音を聞けるとは!」
すぐさま電話をし、演奏会に。

タイから招待された方の、クリスタルボウル演奏会で、とにかく不思議な感覚に包まれたのを覚えています。

その演奏会の際、わたしの住んでいた地域でも、クリスタルボウルを取り扱うお店ができていたことを知り、すぐ行って、即注文しました。

当時、全国的にもクリスタルボウルを扱う店はまだほとんどありませんでしたが、そこのお店のご夫婦が世界中をそれぞれに、若い頃旅していた方たちで、その旅の中で日本にクリスタルボウルを最初に持ち運び、販売を始めた方と親しい方だったことから、地方であるにもかかわらず、わたしの故郷にクリスタルボウルがやって来ていたのでした。

お店に注文をした時、まず、ドレミファソラシドで揃えたい事、
できれば希望の石で揃えたい、
と話しました。

クリスタルボウルは、水晶に他の鉱物や金属を混ぜたり蒸着させたりすることで、様々な色あいになります。

初期のクリスタルボウルは、フロストタイプの白一色で、分厚く音の伸びの少ないものが中心でしたが(水晶のみでできていて、柔らかい音のする、こちらを好む方々も多くいらっしゃいます。)開発が進み、薄型で音の伸び、倍音の豊かさが特徴的で、色や形が多様なアルケミークリスタルボウルが生まれ、今はこちらも多く演奏されています。
そのため、クリスタルボウルを選ぶ時、「アメジスト(紫水晶)」「シトリン(黄水晶)」「ルビー」など、好きな石の混ざった、それぞれの色のクリスタルボウルを選ぶことができるので、好きな石や色の希望を伝えて注文を入れます。(現物があれば、見て、触って、音も確認して買うことができます。)

とはいえ、当時はまだ、アメリカで作られていたアルケミークリスタルボウルは、出始めたばかりで、正確にドレミファソラシドの音を今ほど揃えて焼くことができず、全て音を揃えること自体がほぼ無理なことでした。

そのため、お店の方に「ドレミファソラシドで揃えて、それも希望の石で、となるとほぼ無理しょう。希望を聞くのはいいが、明日揃うかもしれないし、10年後になっても揃ってないかもしれない、それでも頼みますか?」と聞かれました。わたしは、アメリカの本社に、聞くだけでもいいから聞いてみてほしい、と頼みました。
すると、なんと次の日お店から、「石も音も希望のもので揃いました。奇跡です。」と電話をいただきました。
わたしは嬉しくて、お店にとんで行きました。

お店では、信じられないと、いう話になり、アメリカの本社から伝言を預かっていると言われました。

当時、アメリカの本社にはバイヤーの方の中に日本の方がいらっしゃいました。
その方は今は、サイババの弟子でインド5000年の歴史の中で女性初の聖者と認められた「サイマー」氏の食事を作り行動を共にされている方なのですが、その方からの伝言でした。

クリスタルボウルがなぜすぐ希望の音と、石で揃ったかと言うと、日本のお店から注文してもらった時、まさに一年に数回大量にクリスタルボウルが焼き上がる日に当たったからだそうです。

そのため、大量のクリスタルボウルの中から、絶対音(クリスタルボウルは石を粉にして焼くため、正確に音を揃えて焼くことは難しく、焼き上がってから、絶対音のボウルかどうかわかる)のものを選べたので、このような奇跡が起こったということでした。

バイヤーの方曰く、「ずっと注文のボウルを選んできたが、こんな風に音も石も全てが揃うことは初めてで、奇跡としか言いようがない。この人はクリスタルボウルに祝福されている。そのことを本人に伝えてほしい」ということでした。

わたしはこのメッセージを聞いてとても嬉しかったのですが、この言葉のありがたみが本当にわかったのは、ずっと後のことでした。
もう生きてはいないかもしれない、という時期を乗り越えられて、生き直しができた時、この言葉がわたしの生きる支えの一つになりました。

このような経過を経て、その後も、素敵な相棒となるクリスタルボウルが他にも集まってくれ、色も形も音も素晴らしい、水晶の楽器を演奏できることになったのでした。

これらの、世界から、太古の地中から、祝福としてはるばる集まってくれたクリスタルボウル達は、まずはわたしに、そして、いろんなところへ「あなたが祝福そのものなんだ」ということを届けるために、ここへ来てくれたと思っています。
それを、音としてならし、届ける「石のパシリ」(わたしはいつも自分のことをそう思っていて(^_^*))役なんだと思って活動しています。

石好きです。。。


そして、クリスタルボウルがどんなものか知った後に、ドレミファソラシドで揃えて演奏しようと思った理由がもう一つ、あります。

実際のクリスタルボウルを見て聞いてみると、それは美しい色と音で、「はるか昔から存在した石が、地中から人の手で掘られ、地上で形を変えて、音をならす」「石が歌う」ということにとても感動しました。
「これを、子どもたちに絵本コンサートの伴奏楽器としてならして、驚かせたい」と思ったのです。

わたしは幼い頃、母に連れられて、幼稚園の同級生達と、大きな被り物をした人形劇を観に行った時の楽しかった感覚が、自分の芸術活動のベースの一つにあります。
広い会場が真っ暗になり、えんじ色のベルベットの幕が上がると同時に始まる、未知のドキドキワクワクする人形演です。

ドキドキワクワクの物語の登場人物のシーンに合わせて、クリスタルボウルの音が暗いところから光を放ちながら響いてくるとしたら、どんなに楽しいだろうか。。。
想像するだけで、ドキドキワクワクです。

「ウッシッシ、子ども達を楽しませてやるぞ」
。。。!!!
と、思ったわけです。

それを実現するためには、旋律や歌と合わせられ、伴奏楽器として使えるために、正確な音でドレミファソラシドの音階になったクリスタルボウルを揃えることが必要だったのです。

なので、音も石も揃えられ、手元に揃えられる環境だったことにも、全てに感謝です。。。

その後、絵本を描き、子どもと大人のための絵本コンサートを企画、上演し、クリスタルボウルを演奏しながら、現在にいたります。

わたしは、もともと音楽大学声楽科出身なので、クリスタルボウルで伴奏を演奏しながら歌ってきました。

誰もが知っている曲から、童謡唱歌、映画音楽、クラシックからポピュラーソングから、即興も演奏して歌いますが、絵本を描き、舞台照明のステンドグラス風の絵を描きながら、教師の傍ら、絵本コンサートをしています。これからも演奏会での、楽しい空間と時間を過ごせるよう、「音と光の小部屋」を増やしていきたいと思っています。

自分自身が祝福そのものなんだ、
それは、皆同じなんだ、
と、それを思い出すための、道のりでしたし、これからもそれを確認するための道を、たくさんの人たちと分かち合って、音楽とクリスタルボウルと楽器達と一緒に歩き続けていきたいと思います。

長くなりましたが、演奏のきっかけ、活動について、紹介させていただきました。

おつきあいいただき、ありがとうございました。

これからも、よろしくお願いいたします。

tobari-moonこと、
戸張碧月

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