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『好きなのに苦しい』ことへの向き合い方が分からない

心の中がぐちゃぐちゃだ。さっきTwitterを眺めていたら、東京大学でピーター・ヒッグス博士の講演会があるというツイートが流れてきた。興奮してすぐに申し込んでしまった。行かないわけにはいかないと思った。とても楽しみだった。

でも、なぜだか素直に喜べない。困惑と喜びと苦しみが同時に押し寄せてきて、目が回りそうだ。

なぜだか、なんて嘘だ。原因は、自分が物理に苦しめられてきたからだ、って分かってる。私は物理が苦手で苦しい想いをたくさんしたし、好奇心を揺さぶられて幸せな時間もたくさん過ごした。私は物理が好きだ。でも向いてないと思うことも何度もあった。物理にも、自分の気持ちにも、どう向き合ったらいいのか分からない。この3年、ずっと葛藤し続けてきた。心が疲れ切っているのを感じる。できれば、しばらく距離を置きたい。それが本音だと思っていた。

それなのに、それなのに、どうしてヒッグス粒子の話を聞くと、ILCの話を聞くと、ハイパーカミオカンデの話を聞くと、血が騒いでしまうのだろう。心が弾んでしまうのだろう。

まるで心がバラバラになって、別々の場所で呻いたり、泣き喚いたり、お祭り騒ぎをしたりしているみたいだった。それを総括しなければならない私の自我は、ただただ処理できない量の感情を前にして呆然とするばかりだ。

3年間この現状と向き合って、向き合うだけではどうにもならないことを知った。結局、これに対する対処は「行動あるのみ」だった。どうしたらいいの、なんて泣いていても何も進まない。勉強するか、諦めて逃げ出すか、腹を据え、覚悟を決めて行動するのだ。
勉強する気になったのなら、例えば、バイトでもつらいことはたくさんあるけど、その中に光る楽しい経験があるから続けられる。物理も同じで、楽しいことが積み重なっていけば、過去の苦しい記憶も良い思い出に変わってくれるだろう。

それが出来ないなら、若い時間を無駄にしないで、新しいことに目を向けて突っ込んでいくべきだと思う。可能性の幅としてはそちらの方が遥かに広いし、いつだって今が一番若いのだ。少なくとも、そこにぼーっと座ってスマホを眺めていたって、現状は何も変わらないのだから。

さあ、ほら、立ち上がって。一歩を踏み出して。がんばれ、私。

読んでくれてありがとうございました!!右下のいいねボタンを押して出てくる言葉は、私の好きな各国のことわざです。 しんどいことも多いですが、気長に、気楽にやりましょう〜。