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【日記】知らないおばあさんとランチした/2024.01.19

駅のフリースペースで昼ご飯を食べていたら、知らないおばあさんに声を掛けられた。ウールのハットに色つきレンズのメガネ、ファーのマフラーを巻いている。おしゃれな人だ。

おばあさんはテーブルの向かいの椅子を指さして「座ってもいいですか?」と言う。断る理由もないので承諾すると、菓子パンを食べるわたしの前で他愛もない話をし始めた。今日は街なかの食堂で600円のランチを食べたとか、お金もちではないわたしはこれくらいのご飯で十分満足できるだとか、聞いてもいないことを話し続ける。

「聞いてもいないことを」って嫌な書き方をしていることから伝わると思うけど、正直ちょっと面倒だった。話が続かないように適当な相槌をうつ。申し訳なさはあった。でも、休憩時間くらい一人でのんびりしたかった。

でもまあ、他人にここまで話しかけられることなんて滅多にないし、日記のネタにもなりそうだ。パンを半分くらい食べ終えたところから、おばあさんの話をちゃんと聞くことにした。

元日の地震の話になった。おばあさんは今年で80歳になるけど、ここまで大きな揺れを経験したことはなかったという。食器はいくつか割れてしまったけど、若い頃にヴェネツィアで買ったワインの瓶は傷一つなかったらしい。15年前に亡くなった主人の形見として大事に持っていたものだと言っていた。

それまでのおばあさんの語り口から、ご主人はご存命とばかり思っていたので少し驚いた。亡くなってから15年もの間、ずっと一人で生活しているらしい。
「本当に早く逝ってしまったけど、思い出はたくさん残していってくれた」と言っていたのが印象的だった。なんで、たまたま相席になったわたしにそんな話をする気になったんだろう。わからなかったし、なんて返せばいいのかもわからなかったので「そうだったんですね」みたいなことを言った。

その流れで、ご主人との海外旅行の思い出を話し始めた。ニューヨークで観た「キャッツ」のミュージカルが良かったとか、地下鉄に乗ってぼーっとしていたらかばんのチャックの隙間から物を盗られそうになったとか、英語もフランス語も喋れないけど身振り手振りでルーヴル美術館のチケットを買えたとか。全部、最近あったことのように話してくれる。たまに斜め上の方を見て「この歳になると固有名詞が出てこんくてね」って言っていたけど、固有名詞よりも大事なことをちゃんと覚えているのは素敵なことだと思った。

ひとしきり話したあと、「くだらん話してしまってごめんなさいね」と少し申し訳なさそうにされた。ちょうどいい頃合いだったので、いえいえ、とかそんなことを言いながら席を立った。

去り際に、体が元気なうちにいろんなところへ行ってみるのがいいよって言われた。それなりに歳を重ねた人はみんなそう言うけど、おばあさんの思い出話を聞くと確かにそうかもなあと思えた。若いうちにたくさんの経験を積むって意味でも旅行は良いものなんだろうけど、旅行したときの思い出をここまで鮮やかなまま記憶していられるのって、経験よりも価値があることのような気がする。

いつか認知症になっていろんなことを忘れてしまったとしても、お金が無くて往復4列シートの夜行バスで遠征したこととか、劇場近くのネカフェで寝泊まりしたこととか、ウィーンで食べたザッハトルテの味が濃かったこととかは忘れないのかも。もしかしたら、そういうくだらない昔話を、たまたま居合わせた人に言いたくなる日がくるのかもしれない。

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