見出し画像

アタリマエがなくなる日

2020年5月12日

ふと 目覚める。

朝6時

昨日起きたことが
全部夢だったような
そんな気がする。

なかったことに
したいわけじゃない。

あれ?
昨日のあれって…
現実だっけ?
という感じ。

夢を見て
朝目覚めた時に、
その夢が
現実だったか
夢だったか 
一瞬わからなくなる、
あんな感じ。

画像2


トイレに入り用を足す。

便意を感じて
排泄する。

おしりから。

それが
もうすぐなくなるのだなぁ

トイレに入りながら 
しみじみと感じている。

そう考えると、
なんだか
いとおしくなる
わたしのおしり。

こんなふうに
自分のおしりの穴を
いとおしんだことなんて
今まで
あったっけ。

いや、ないなぁ。

いつまで
この排泄の感覚を
体験することが
できるのかな。

わからないけれど、
それまでは
毎回
この体験を
大切にしよう。

ただ
うんちをだす。

それだけ。


でも
それが
人間のもつ
カラダの神秘
とも言える
ものすごい機能だった
って
思い知っている。

この体験を
もう
することがなくなるのか、
と思うと
ただの排泄が、
ただの排泄
じゃなくなる。

さみしいな。

かなしいな。

なみだがでる。

いつき 海


そういえば、
人工肛門になったら
おしりの穴は
どうなるんだろう?

とじるのかな。

そうしたら
わたし
 おしりの穴の
ない人になるのか。。。


(・・・想像中)


(・・・想像完了!)



ちょっと

おもしろいんですけど


想像したら
笑えてきた。


ふと
湧いてきたこの疑問と
わたしの想像を
娘に話してみたら、
「プ」
と笑いかけて
「(…しまった!)」
という表情で
口をふさぐ娘。


「いや
笑っていいよ。
おもしろいよね」
といって
ふたりで
想像して笑った。


しあわせ。

写真 むらさきやさしい花


こうして
ささいなことで
笑いあえること。


おたがいのことを
思いあって、
泣いたり
笑ったりできること。


しあわせだ。



「たぶん がんでしょうね」
と言われて、
「人工肛門になる確率は
ほぼ100%」
と言われて、
ショックで泣いた。


たくさん泣いたし
いまでも
ふとしたことで
よく泣く。


それでも
ずっと
しあわせだなぁ~
って
かんじてる。


かなしい出来事が
あったとしても、
それは
ふしあわせ と
イコールではないんだな。


かなしくても
 しあわせをかんじている
自分のことが
不思議だったけど
そんな
わたしがいてもいい。


いまのわたしは
身体もいたいし
だるいし
しんどいけど
なんでか
「しあわせだ」
とかんじる時間が
増えている。


かなしくなって
涙を流したり、
ふと
おもしろくなって
笑ったり、
そんなふうに
その時々の
心の動きに
正直に過ごしている。

きっと
それが
うれしいんだと思う。

画像1


しずかに
いろんなことを
かんじている。

そしていまは
それが
どんな感情なのか
べつに
名前をつけなくても
いいな
と思っている。

ただ泣いて、
ただ笑って、
ただおちこんで、、、

それでいい。


起きてくる
内側の動きに、
氣づいていよう。


どんな動きが起きても、
わたしはただ、
そんな
わたしと
一緒にいつづけよう。

そう思っている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?