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魂の憧憬


自分と深く繋がると

自分の本当の望みが観えてくる。


それを

「魂の憧憬」

という言葉で

表されているのを見たとき

魂が震えた。


「魂の憧憬」


なんてうつくしい言葉なんだろう。


うっとりすると同時に

たしかに

わたしの内に在る

「それ」に

うっかり(!)アクセスしてしまい

涙が止まらなくなることを

何度経験しただろう。


わたしにとって

「魂の憧憬」を生きることは

その周りに在る

「体験からくる傷」のようなものにも

触れる体験にもなるため

非常に恐ろしいことでもある。


それは単なる

プロセスにすぎない

と知っていても
(頭でわかっていても)

かつての傷にふれることを怖れて

避けて通ろうとする。


ただ、

怖れを避けると

その奥に在る

「魂の憧憬」からも

それてしまうのだ。


だから

何度も何度も

くりかえし

そこにもどってくる。


そう。

いやでも

もどってきてしまうのだ。


なぜ何度も

もどってきてしまうか?


その答えは

カンタンだ。


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わたしは

「魂の憧憬」を

生きることを望んでいるから。

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だから

わたしは

わたしに言う。


「こわいね。

おそろしいね。


うん。

わかるよ。


そして

ともに

あるこう。


あの

ひかりの先に

いっしょに

いこう。


涙を流しながら。


ときに

たちどまりながら。


それでも

あるくことをやめなければ

かならず

そこに

たどりつく。


だいじょうぶ。


わたしがついてる。


いっしょにいこう」


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そうやって

あるきつづけているうちに

わたしは

ひとりじゃなかったということも

知るのだろう。


がむしゃらに

ひとり

下を向いて

あるいていた時には

見えなかった景色にも

出逢っていく。


そうして

人生を

再スタートする。




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