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もしも傷つけられたら

私は自分の心を守る事とか
色んなことのある日々の中
自分が安定して健全であるようにコントロールしたり

付き合う人を選んだり
気をつけて人との距離を取ったりする。


なぜそうなったかというと
歪みという物が自分を疲弊させ
自分らしくいられなくさせることだと知ってるから。

私には7つ上の姉がいた。

私は三姉妹の真ん中で
上に姉がいた。

自分のアイデンティティについて話す上で
姉の存在はとても大きかった。

下手したら親より大きかった。

姉は病気だった。
多分子供の時から心を病んでいて
それに周りが知識がなく
ただの激しい人だと思い込んでいた。

私が12歳まで
私は姉の奴隷だった。

両親は働いて家に殆どいなかった。

家を実質コントロールしていたのは姉で

姉は暴力と暴言で私と妹をコントロールした。  
家は私にとって安心や寛げる場所ではなかった。

苦しい場所だった。

暴力に使われていた道具や
言われた言葉は今ももちろん覚えていて

私は泣かない事で
抵抗した。

妹と家から逃げたこともあった。
親に訴えたこともあった。

でも私達を助けてくれるものは無かった。

だから今でも家庭内の問題が
どんなに闇が深いのか私には理解できる。

自分というものを否定される辛さを
生きていて良いのだろうかと思い詰めるほど

姉は私を責めた。

どうしたら、いいの、死ねばいいの?
どうすれば納得するの?
と、よく思った。

後にそれは、人格障害と精神障害のせいだと判明した。

でも、どこからが病気で
どこからが性格なのか
私には分からなかった。

14歳から姉の世話が始まった。
暴力をふるえなくなった姉は
今度は病気を盾にし私をコントロールした。

家から出られず
癇癪を起こし
働けず
常に恨み言を言ってる姉を

かわいそうだとも思い
怖いとも思い
こんな風にはなりたくないと
思わせられる人だった。

長い長い暗闇のような
そんな日々は私にとってもだけど
姉にも長かったと思う。

姉は、病気により46で亡くなった。

幸せだと思った時ってあったのかな。

私なりに一生懸命報われない愛を
姉に向けた。

私は全然良い子じゃなくて
姉が怖かったし
姉に好かれたかった。
機嫌良くいて欲しかった。

私に暴力を振るう姉はどんな心境だったのか

私は、時々想像する。

苦しかったから
私はいまだに暴力的な映画などを観れない。
ボクシングとか
プロレスとか
違うものだとわかってるのに
楽しく観ることはできない。

人の闇って凄まじい。

身内からの自分という存在の否定を
姉からも
親からも受けたのに

私は自分の世界を守って今も生きる。

私が1番自分を保つのに役立ったのは

人と自分は違って当たり前なのだという
その事実。

私の世界を親でも、姉でも壊す事はできない。

わたしは傷つく事も
恨む事もしたくなかった。

私はそんな世界で生きていたくなかった。
ただ、嫌だった。

姉が亡くなった時
悲しくなくて
どちらかと言うとほっとした。

あぁ、これで恨んだり苦しんだりしなくて良くなったんだな。と。
私は黙って姉の話す恨みの話を聞き続ける事が嫌だった。

私は人からはよく若い頃は愛情たっぷりの問題のない家庭で育った気立の良い女性だと思われた。

今もそんな背景のある人には見られることはほぼない。

私の歪みや苦しみは
心を病んで苦しみきった事と
そこから這い上がるために
助けてくれた家族ではない周りのおかげ。

そして、死ななずに生き残った私の身体のおかげ。

人を傷つけたり
痛めつけたり

そんな事はあったらいけない。

もし、これを読んでいるあなたが誰かに傷つけられていたら

それはよくない事で

あなたは悪くないよ。と私は言いたい。

歪みの中、苦しみの中、暗闇の中にいると
その真実は見えなくさせられるから。

今私は40過ぎた大人だ。

健全でいたい。

誰も傷つけたくない。
平和で笑って
起きてしまった悲しみを溶かすような生き方をしたい。



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