見出し画像

A Peace of LOVE Music J.J PROJECTS Live Report Revised

当時、何も知らなかった30代の頃の稚拙で無邪気なレポートをそのまま掲載した方が、臨場感は伝わるかなと思いましたが、さすがに20年以上経っているので、可能な限りその雰囲気を壊さないように書き直してあります。面白いもので、その時の偶然の出会い、この場所で初めて逢った人と今でも縁があることに感謝、という感じです。そのままの形で敢えて残してあります。

Introduction


「ジョニー来るぞ!」「ジョー山中とミッキー吉野がいっしょに来る。」「おおっ!」―高校時代の同級生から連絡をもらったのが1か月前。

この企画はジョニーさんとジョニーさんのお兄さんが安心院町の人たちと「組んで」、「子どもたちのために何かを」というテーマで始めた「手作り」のイベント。前年の「講演会」の時に「次はバンドで」と言った、その約束を果たす形でジョニーさんが連れてきたのはその名も「J・J Project」。「あの」ジョー山中氏と組んだバンドでした。メンバーには「ミッキー吉野」、「永本忠」、「丹波博幸」、「エリック佐藤」、という錚々たる名前が。さらに「特別ゲスト」として「ichiro」の名も。まず大分で見られる可能性の考えられないと言っても過言ではない当時の音楽事情。実際全国的に目を広げても、このメンバーでのライヴは当時極めて珍しかったと思います。

The day


仕事が終わるなり、家に飛んで帰って、予めレコードラックから引っ張り出しておいた「Free Spirit」を手にとって(勝手にサイン頼みに行くつもりになっている:笑)―出発。

―2000年当時、大分の自動車道事情はようやく、という感じで整備されつつありました。2002年のサッカーワールドカップが日韓共催で行われることになり、大分はその開催地のひとつになった。そんな時代です。陸の孤島時代(苦笑)末期というか、インフラはまだまだ絶賛発展途上中。福岡まで全線開通したのがようやく96年。大分自動車道に県北に向けた高速自動車道がジョイントされて少し経ったころでした。

40分弱で安心院に到着。開場時間を10分ちょっと過ぎていたので、いそいそと会場入り。発表のタイミングと玄人好みの(笑)ラインナップから、本当に客は来るのか?(失礼)と心配していたのに、予想に反して駐車場がかなり埋まっていたためちょっと焦り気味で足早にホールへ。扉を開けると、「…?」人がいない。真ん中あたりにぱらぱらと家族連れと高校生の集団がいくつか固まっている。「?今日は全席自由のはずなのに…?」―お客さんもコンサート慣れしていなかったんですね^^。プロの演奏会そのものが当時の大分では大分市別府市以外では極めて少なかったころです。さっさと最前列に向かうものの、「もしかしたら誰か取ってる?」最前列にいたお兄さんに「ここ誰か取ってるんですかね?」と聞いてみる。「いや、空いてると思いますよ」「ラッキー!」―都会(笑)では信じられないだろうけれど、最前列ど真ん中もまだ空いていました(みんな控えめ^^)が、ど真ん中はジョニーさんが見えないだろうと、あえてモニターをはずして真ん中からふたつ目くらいの席をゲット。

ほどなく会場がやや暗くなり、司会者(町の主催なので司会者がいた)に紹介され、オープニングアクトが始まる。高校生バンドがひとつと社会人バンドがひとつ。演奏中にはステージそでにジョニーさんやichiroさんも姿を見せて、気分が盛り上がってくる。

OAが終わる頃にはほぼ席が埋まっていてちょっと安心。僕の隣の最前列ど真ん中にも「ここ空いてますか?」と二人連れが。ライヴ慣れしてそうだったんで「地元の方ですか?」と声をかけてみると「いや、近くの町です」「今日はジョーを見に来ました」―僕がジョニーさんを見に来た、と言うと、「うちの裏になんか昔ジョニーさん、住んでたらしいんですよ」…豊後高田の人でした。彼と、同じく豊後高田出身の是永功一氏のこととかを話しているうちに司会者が登場して挨拶が始まる。

主旨説明に続いて安心院町長が登場。「本日は…」と挨拶を始めかけたものの、「ちょっとライトを消してくれんかなあ。あたまハゲちょんのにまぶしゅうてなんも見えん」これで堅苦しい雰囲気が一気に解け、町長氏はかなり長かった(笑)話を好意的に聞いてもらっていました。町長氏はかなりの年配だったけれど、けっこういいことを話されていました。「私の世代にはロックというものは頭にがんがんきてどう(に)もならないけれど、若い人が(ロックを)楽しめる社会を作ることが私たち老骨の役割だと思う…そういう意味で今回協賛していただいた、ジョニー吉長さんとメンバーの皆さんには感謝申し上げたい」。この話の途中でジョー氏がそでから顔を出すと隣の彼は「おお!」と興奮気味。いよいよ司会者に紹介されてジョニー氏の名前がコールされる。

First Stage


ジョニー氏はフジテレビの月9ドラマ「2000年の恋」のお父さん役そのまんまのシブい衣装で登場。隣の彼が「ジョニーしぶいっすね!」とささやく。

「寒いじゃん、大分!…去年ここに一人で来て「生きる」っていうテーマで、そん時は僕のドラムだけでやったんだけど、今年はダチンコ連れてきたぞ!…僕は―難しい話は苦手なんでやめようね(笑)、J・J ProjectsのほかにもうひとつSons Of Bluesっていうグループをやってるんだけど、そこでギターを弾いてるichiroが今日どうしてもやりたいって来てくれました。紹介します、ichiro!」

ichiro氏がアコギを持って登場。アコギのソロで弾き語り。

「あとでジョーさん、ミッキーさんとすごい人がやるんですけど、その前に。前まえからこういうチャリティっていうのには興味っていうかやりたいなって思ってて、今回ジョニーがこのライヴやるって言うんでお願いして連れてきてもらいました。あとでジョニーともやりますが、もう一曲、今度は日本語で。」

―ichiro氏の歌は初めて聴いたんですが、澄んだ朗々とした声。僕はエレキの人というイメージが強かったんで、こんなに歌のうまい人だと知りませんでした。アコギは2曲ともフィンガーで。Jagardのツリーオブライフインレイのドレッドノート。

ジョニー氏再び登場。「あんまりしゃべりがうまくないんで。ブルースをやります。」

ichiro氏と二人のステージ。始まった曲はなんと8分の6拍子の「The Dock of the Bay」。隣の彼と思わず「おお」と声を上げてしまった。

「アニキから10月の終わりくらいに連絡があって急にやることになったんだけど、今日はこんなに来てくれてありがとうございました。…なんかアニキんとこにピンククラウドの曲やってくれっていうリクエストの手紙が来たらしいんだけど…じゃ何曲か」

「Only For Love」

―ichiro氏の演奏はほとんど原曲のリフを忠実に採用した演奏。

「俺はオヤジの顔を見たことがなくて…俺が生まれて3ヶ月で朝鮮戦争で死んじゃったんですけど、自分の子どもが生まれたときにオヤジのことを思いながら作った唄です」

「Love Child」

「つぎの曲は僕が昔、何やってもうまくいかないときがあって、カミサマ助けてよ、何とかしてよって作った唄です」

「Under My Skin」

―まさかこの曲がアコースティックで演奏されるとは思わなかった。けど歌詞をよくよく聞いてみるとなるほど、と納得できる唄です。今までこの曲は「セッション」という観点でしか聞いたことがなかったんで、歌詞を真剣に聴いたことがなかった。反省。

ichiro氏が退場。ステージ前のいすが片付けられて、ジョニー氏はドラムセットへ。まずはドラムソロ。相変わらずの、歌うようなドラムソロ。客席は固唾をのんで、という感じで聞き入っている。―バンドのメンバーが登場して。ジョニー氏はバスドラを打ちながらメンバーを紹介していく。

Second Stage


今回のメンバーは丹波博幸(G)、永本忠(B)、エリック佐藤(Sax)、ミッキー吉野(Key)というメンバー。

1曲目。「Get out of my life, woman」―ポールバターフィールドバンドのミディアムブルース。丹波氏は初めて見たけど、オールドのストラトで渋いフレーズのソロ。JCで抜群の音。

そして2曲目に演奏されたのが、今回一番聴きたいと期待していた「Spirit Boat」。一時期のヴァージョンとは違って歌い始めた頃のアレンジだった。―ちょうどなんか仕事がうまくいかなくってディプレッションだったころ、この歌の「もう一度始まりを探し直そう」という歌詞が沁みて、それ以来好きな歌なんです。ミッキー吉野のキーボードソロ。いつもとは違うシンプルな鍵盤2台。アクション健在!!

3曲目、「Baby You're Mine」だ!イントロのバスドラで狂ってるのは、お分かりとは思いますが(笑)、僕一人。サックスのオブリがかっこいい。ミッキーのオルガン音色のソロ。ちょっとリラックスした感じのソロに丹波氏のギターが絡んでいく。

「じゃ、今日のトリを紹介しましょう!ジョ~~やまなかさん!どうぞ!!」

ジョー氏登場。ボブマーリーの曲を1曲。「No Woman, No Cry」。エリック氏はフルートを演奏。

「…初めて子どもを持ったときの歌で、Lullaby Of You」会場から歓声がいくつか上がる。隣の彼も大喜び。改めてジョーさんの偉大さというか知名度というかを実感^^。

「今日は人権コンサートってことで、このテーマは世界中でね、語られていることだけれど、僕もアフリカとか中東とかのいろんな町に行って演奏するんだけど、世界中の町がね、この町みたいに活動していければきっといい世界になると思う…じゃ懐かしい曲を。人間の証明」―レコードというかラジオでしか聴いたことがなかったんだけど、この曲は感動的でした。

隣の彼は「Kiss Me, Halleluiah!」―ジョニーヘイワード^^。ジョー氏は「ハッハ。」とスマイル^^。「僕も先月新しいアルバム出しまして。ミッキーのプロデュースなんですけど。この町にはレコード屋ある?ないとしょうがないんだけど…。」「なーい」と会場から^^;。「そのアルバムから、戦いつづける男たちにささげる歌」

「えー、じゃこのへんで皆さんにも参加していただいて…歌詞は簡単ですんで…Stand By Me!」

―ロック鳴館以来に聴くStand By Meでした。この曲はジョー氏のボーカルにディレイをかけるのが好きで、なんかはまっちゃうんだけど今回もそれだった。サックスソロのあと、コーラス指導のあと、「要領はわかりましたね!」ジョー氏がステージから降りてきた!一人一人にマイクを向けて歌わせていく。恥ずかしがってる人には「カラオケ歌うんだろ!?」と言って…来た来た!隣の彼が大喜びで歌う…と、いきなり僕の肩を組んで、いっしょに…気がついたら立ち上がって彼とジョー氏と肩組んで歌ってました(笑)。ここが今思い返しても恥ずかしいんだけど一瞬どうせならハモったほうがなんて思ったのが、悲しい素人の性(汗)―合いの手を入れるジョー氏にのせられて「イエイイエイイエイ!」なんて言ってた(笑)。ジョー氏は客席かなり後方まで行って客に歌わせていく。ひとしきり盛り上がって、みんなで歌って本編終了。

アンコール。ジョー氏が挨拶。「音楽で何か出来ることがあれば僕らはいつでもこうやってボランティア活動、やっていきたいと思います」

司会者の紹介でジョニー氏とメンバーに花束の贈呈。花はichiro氏の分もあったんだけど、そでで見ていたはずの彼の姿がない。「おーいichiro!大リーグ行っちゃったか?」(笑)とジョニー氏。

ジョー氏のMC。「じゃアンコール、どうもありがとう…A Man Beyond The Sky」

―すばらしいコンサートでした。ジョニーさんは言うまでもないけれど、特にジョーさんに驚いた。普段どおり、自分のオリジナルを歌って、会の趣旨に合ってしまう。それはジョーさんのキャリアとミュージシャンシップということ。ジョニーさんがジョーさんに声をかけた意味が分かります。感動しました。

Back Stage


ステージ終了後、友人と落ち合う。ジョニー氏の古いお友達、N氏に紹介してもらって、今回のいきさつなどを聞いて。「ジョニーに会う?」「ぜひお願いします!!」即答(笑)。―待つこと10数分、いよいよ楽屋へ。ビール片手のジョニーさん。

Free Spiritジャケットにサインしてもらって。

みんなで写真を撮ろうと座って、と、色紙を持ってもうひとつの部屋から出てきたichiro氏に、僕のLPジャケットを見せて「ichiro!ichiro!俺若えだろ!?」

ichiro氏「何?あーFree Spiritか…」そのまま隣の部屋に持ってっちゃった。

「ジョニーさん、ツーショットで」写真を撮らせてもらう。

「高いよ!?一枚500円」握手も!完全にミーハー以外の何者でもないオヤジと化す(笑)。

―フォトセッションとサイン会は続く…もどって来たichiro氏、「これだれの?」ラッキー!

「ichiroさん握手してください!アコギかっこよかったです!今度はぜひエレキでやってください!」

「そうだね」意外と高い声。この時はまだichiro氏が同い年だとは知りませんでした(笑)。翌年話してて知るという(笑)。大人っぽかったというか、大人同士ですけどね(苦笑)。

いすに座っているジョニー氏とN氏。N氏がジョニーさんに「よかったよ」と声をかける。ちょっと感動的な瞬間でした。ジョニーさん、そばにいた僕のほうを見て

「この人によくいっしょに遊んでもらってたの」

「そうなんですか」なんて間抜けな相槌しか打てない。

「次はSons Of Bluesでぜひ!」

ジョニーさん「それそれそれ。それをやりたいんだ」

N氏が「今度は手伝ってもらって…」

友人と「ぜひ!スタッフでもなんでも!」。

「それじゃこの辺で…」という係の人の声に

「今日はSpirit Boatやってくださってありがとうございました。大好きな曲なんです」

「いい曲でしょ?^^」

「ハイ!」

「Dock of the Bay、ハチロクでやるとは思わなかったでしょ?^^」

「ええ、それもアコースティックセットであのアレンジとは…」

「音楽はこれが楽しいんだよね…またね。お気をつけて」―別れ際の言葉までカッコいい人でした。


―「理屈じゃなくて、ただ音を出して楽しむこと」―今回のコンサートは実際「はじめに意味ありき」のはずのものだったんだけど、ジョニー氏とジョー氏はそれを超越していたと思いました。それがプロミュージシャンということなんですよね。

20 years after


この夜は、自分にとって流れが変わる日になりました。ここをきっかけにずいぶん周りの景色が変わったと思います。自分がオーディエンスとしてだけの立場から、自分が動く方に少しずつ変わっていった気がする。

その中で当時はわかっていなかったことがあります。それは何かを立ち上げる時の大変さ。ありますよね?自分でやってみるといやっていうほどわかる。30代のころはついて行く方が多いからあまりよくわかっていない。いいとこ、やってる本人になるとこくらい。それがプロデュースする側になると、その大変さに気づく。とかく大人になると「意味」がないと動き出せないことが増える。それはたくさんの人が動くから、ということもあるでしょう。「よしやろう」というのはだんだん簡単でなくなる。いつの間にか自分も「そっち側」に入っている。「能書き」を超えて何かを伝える、ってすごいことなんだと今にして改めて思います。ましてそれを芸術でやるというのはすごいことだと思う。そのために、そこに携わってくれる裏方の人たちの大変さも含めて、改めて有難かったと思います。今自分が50代になって。当時のジョーさんジョニーさんのようなパワーで何かできるか。今回振り返ってみて、彼らの凄さを思い知るばかりです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?