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友部正人と鮎川誠。

朝、Twitterのタイムラインで流れてきたのを斜め読みしていてふと目に留まったのが、友部正人という4文字。ああ、友部さん久しぶり。もうずいぶん遠い昔、オープニングアクトをやらせてもらったことがあります。僕は友部さんはロックというかパンク(よく知りませんけど)というか、とにかくフォークという範疇にいる人ではないとその時強く思って。

記事は友部さんの書いた鮎川さんの追悼記事でした。フォロワーさんのものではなかったので、例によって次に見た時にはもう見つけられない(泣)。新聞記事だったので、読まれた方いらっしゃるかもしれません。

「記憶をたどり直すことは、決して振り返ることではない。」

記事の最後に記された友部さんの言葉です。ここだけ覚えている。友部さんと鮎川さん、そして三宅伸治さんの3人で3kingsというユニット?をやっていたそうで。全然知りませんでした…そのライヴの中で友部さんが「一本道」をやる時に、いつも鮎川さんがまるで「民話を語るように」出会いから語り始める、と。

この「民話を語るように」というフレーズが、「記憶の〜」に連動していたんですね。

端折れないもの。たしかに端折ってしまうと、お話しが成立しない。それは歌にも通じることで。最初からちゃんとたどって行かないと、言いたいことにたどり着かない。

友部さんのような感性がないのでわかってないかも知れないですけど、鮎川さんが毎回言っていたのは、「どこに心があるか」ということでしょうか。たどってきた先に今がある。あるべき心の持ち方は、出だしを蔑ろにしないこと。「今」に心があれば、それはノスタルジックに振り返っているのとは違う。逆に「今」に心がなければ、それは過去に縋っているということ。鮎川さんは前者だったと言っているのかな、と勝手に解釈していました。

端折ってしまう「コスパ」「ファストなんちゃら」とは決して相容れないスタンスこそが、大切なものを見失わない、ブレない秘訣なんだろうなと思いました。

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