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JL&C #2。

85年のaLIVEアルバムを境に、ピンククラウドの活動が、あまり目立たないようになります。

Charさん自身よく語っていましたが、「ギターがホームラン王じゃない」時代になり、裏方がアーティストの前に出ちゃう風潮が、かなりのストレスを感じさせるものだったことは、ギター好きな人には思い当たる雰囲気なのではないかと思います。

加部正義氏が生前語られていたオートバイオグラフィ的Webエッセイ「気ままに生きる」の中で、この時期のことに言及している回があります。それによれば、85年3月の香港ツアーを持ってバンドは解散と聞いていた、と。その後4月にaLIVEのレコーディングを経てからは、メンバーそれぞれの活動に。「今はすれ違ってる雰囲気があるけど」というひとこと(ギターマガジンインタビュー)のとおり、Charさんが渡英、ジョニーさんもソロ、まーちゃんはコンパウンド制作とバラバラになります。Charさんの中ではバンドそのものを完全にやめてしまうつもりだったのか、あるいは途中で名義変更した形をもう一回最初の形に戻したかったのか、ジョニーさんもまーちゃんもいなくなった今、真相はCharさんしかわからないことですね。いつの日か語られることがあるでしょうか。

86年あたりは忌野清志郎とのKJL&Cなどの活動もあったり、ライヴはあっても単発で散発的で、ソロの集合体的な感じはやはりニュアンスとして感じます。この時期、PINK CLOUD名義な時もあるものの、気持ちとしてはJohnny, Louis, & Charに戻っていたのかもしれません。

謎の時期編

80年代、Char IIのあと、ESPとのつながりを一時的に休止し、Fenderのモニターをやっていた時期には、Charさんの周りに「お試し」的にスタンバイされたギターが出てきます。スタンバイはされたが使われるのは見たことない、というのはよくある話かもしれません。ベンチ入りはしたものの試合には出なかった、的な。

Fender Mustang #14 #15

モニター期にステージ袖にスタンバイされたムスタングが確認できますが、もともとムスタングは82年にディスコンになっています。それが「20周年」(ムスタングは64年にリリースされているため84年が20周年に当たる)として、広告にも登場する時期があります。83年の半ばだったか、フェンダリアンタイムズ(お持ちの方コピーしてください)に登場し、どこかの時期の広告にCharさんも登場しています。「コトシハメイプルネックニチョウセンダ」のコピーのとおり、メイプルネックのモデル数色とローズネック白があったようなのですが、詳細がどうしてもわかりません。当時の広告や資料をお持ちの方の情報をお待ちしています。

vresion 1。
version 2。

一方この時期のムスタングはシリアルがE2で始まるもの(Eightyと2で82年)だったようで、Mustang82として捉えている研究家の方もいらっしゃいました。推理してみれば、ディスコン当時のオーダーぶん、もしくは在庫として残っていたものをこのタイミングで出したということが考えられますが、真相は不明です。まさかスポット生産はないと思うのですが…。この84年のくだりは、いわゆるムスタング本でも触れられておらず(ですよね?)、なぜ歴史から消えているのかこの理由も知りたいところです。

イエロー?の黒ガード、FUCKYOU、黒のべっ甲ガード。

このライヴインでの写真でスタンバイされているのは白(イエローホワイト?)とブラックのようです。ブラックの方は、のちに彩気の映像作品でAll around meの屋久島ロケで使われた「おれの」(byジョニー)だと思われます。

彩気ジャケット。

Navigator Char model with silver logo

このころ一時的にシルバーの「Navigator」ロゴが貼られたCharIIがセットアップされていたことがあるようです。この時期はCharさんとの関係は切れており、シグニチャーモデルなのにもかかわらず、オリジナルとは違うバリエーションモデルがオーダーで制作されているという不思議な時代になっています。上記の銀ロゴの個体についてもジョニーさんが「おれの」と言っていたとか…

Fender Mustang #16

この時期に登場するのがその後90年代頭まで活躍する黒のムスタング。96年のムックではこれも値段が7万に変わるうえ、楽器屋が質屋に代わっていたりします。どっちが本当なんだ?下の記事が初登場時のものですが「すずらん通りの古楽器屋サン」で「58,000円」でと書かれています。すずらん通りには楽器屋さんがふたつあって…まあ質屋っぽい感じはなくはなかったけど…両方とも須賀楽器と百貨楽器(三慶商店)って「楽器屋」と書いてありましたけどね。両方ともなくなってしまった今となっては、そういう部分もすり変わっていって誰にもわからなくなってしまうのかもしれません。

この時期は非常にきれい。その後の傷みっぷりを見ればいかにCharさんが弾き込むかわかりますね。

どちらにしても、80年代後半から92年くらいまではこの黒が活躍します。いわゆる70年代後半の個体で、パワーのない感じとハウリングの感じ(フィードバックではない)がなかなか使いづらい時期ですが、CharさんはRoland GP-8とのコンビでこのギターを使いこなしています。

90年代のインタビューでは「空白の3年間」と呼ばれるこの期間を経て、いよいよ次のステージがスタートします。「今が面白くなければ面白くなるように変えればいいじゃん」期の始まり、かな^ ^

Thanks to
Mr. No. N
Mr. Asahi

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