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最終回。(revised)

2002年8月4日,大分ではみどりマザーランドにおいてMEGA LIVEというロックフェスティバルが行われました。これはジョニーさんのプロデュースによるイベントで、オーディションで選ばれた地元のアマチュアバンドに加え、RIZEやHOUND DOGが出演するという大分的には画期的なイベントでした(出演アーティスト:RIZE、東京スカパラダイスオーケストラ、THE BOOM、HOUND DOG)。プロデューサーとしてのジョニー吉長にも俄然注目が集まっていました。ところが,ジョニーさんが足を骨折するというアクシデントが発生!「今年の安心院ロックフェスは…?」という感じで心配だったのですが…

「やるよ!今年も!」秋になり,会長さんこと「お兄さん」から連絡をもらいました。今回も前回に続き,スタッフとして参加することにしていたのですが,直前に海外出張が入ったりして仕事の都合がなかなかつかず,なんと前日になりようやく参加できるという有様。ボランティアとして会場整理係に参加させていただきました。

2002年12月8日。今年もたくさんのお客さんが会場に足を運んでくれて…今年は中ではなく会場整理係として入り口のところで案内をしていましたが、いつもどおり会場は満員でした。

Stage

最初にステージのスクリーンに入院中のジョニーさんが登場。「ジョニーです。今回はこんな状態なんで(とベッドの上で足を上げてみせる)そっちに行けないんですけど、すごい奴らが演奏してくれますんで、よろしく。」

最初はアマチュアバンドが出演。大分で活躍していた若手バンド二組が参加。臆することなくすばらしい演奏でした。リハーサルの際に覗いたのですが、メンバーみんなライヴ慣れしており、「上手から入ればいいんですか?」とか「ギターの返しもうちょっとお願いします…」などけっこう手強い感じ(笑)。自分は20歳のころあんなこと言えなかったぞ(笑)よく聞いてみると片方はバンド体制は今回初(!!)とのこと。よくやれるなあ…若さに拍手(^^)

インターミッションを経て…プロのステージ。一人目は…近藤房之助氏。ドブロを持ってスライドの弾き語り。渋いフレーズとともに…「IMAGINE」,「SKY IS CRYING」などをプレイ。房之助さんの声が響き渡ります。

そしてジョー山中バンド。メンバーは丹波さん、永本さん、ミッキーさんに加え、今年はジョニーさんがいないので和田ジョージさん。ものすごいパワフルなドラムに圧倒されました。さらに今回は冒頭にジョーさんの息子さんが数曲ヴォーカルとしてラップをプレイ。さすが親子,存在感ありました。

おなじみの「Moocha,Koocha」,「LULLABY OF YOU」,「人間の証明」,「To The New World」,「Try A little tenderness」,「No Woman No Cry」,「Just Two Of Us」…そして最後はやはり「Stand By Me」で会場を駆け回ってオーディエンスとコーラス。

アンコールは房之助さんも加わってのセッション。ここでは大村憲司さんの形見のブラッキーストラトをプレイしていました。

あっという間の2時間あまり…自分がばたばたしていたせいかあわただしく終わってしまった気がしましたが…貴重なパフォーマンスを目の当たりにすることが出来ました。

結果的にこのイベントを最後まで支えてくれたジョーさん。このイベントのもう一人の主役です。カニバルズ(カーニバルズじゃねえんだよ!と、ジョニーさんが力説してたのを思い出します)以来のジョニーさんとジョーさんの「阿吽の感じ」は、はたで見ていてもうらやましくなる感じでした。この後、このイベントは残念ながらジョニーさんの体調不良が続いてその後存続されませんでした。「チャリティ」と「子どもたちのために」にこだわったジョニーさんの気持ちは、ジョーさんやミッキーさんによって形になっていました。会場の外にはミッキーさんが小学校を訪問した様子や、子どもたちからの手紙が掲示されていたのです。あの時の子どもたちは、今、どんな大人になっているでしょうか。

20年経った今、街には当時のままの文化会館があります。「お兄さん」もジョニーさんもジョーさんもこの世を去り、このステージに再び立つことはありません。記憶をたどって、ジョニーさんと語り明かした建物の近くに行ってみて。改めてもう誰もいないんだなあと。街はあの時の高校生たちの子どもの時代になりました。ホールに入ってみて、音楽が、ロックが、このホールに響く日が再び来るのかなあと、ふと思ったりします。

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