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要するに。

スレッドというSNSができて、今はもう次のやつもあるんですよね?もう何だかわかりませんが…

基本的に発信のために使っているSNSですけれど、ときどきーーなんだろう?心が弱っている時?いつまでもぼーっとディスプレイを眺めていてハッとすることがあります。忙しい時はそもそも眺めてる余裕ないですからね。

で、そのスレッドとかも基本的にあんまり見てないんだけど、Facebookや Instagramに出てくるので思わずそっちに飛んで「しまう」ことがあります。前も書いたけど、一度ネガティブな書き込みに引き摺り込まれたきっかけでマイナスな書き込みばかりAIが選ぶので頭に来て(笑)片端からミュートしまくっていたら少し落ち着きましたけど、一時は世の中には病んだ人しかいないんじゃないかみたいなフィードになっていて本当に参りました。やれやれ。

そんなあんまり印象良くないスレッドに、数日前見かけた投稿。あんまり覚えてないけど、「抽象的な話をしているのに馬鹿はすぐ具体例を求めてくる」みたいなのがあって。あーと思うと同時に、なかなか難しいテーマだなと。

この話は学生時代と社会人以降とで、けっこう解釈や評価が割れるかなという気がします。あと経験値。

抽象的だろうと具体的だろうと、わかってしゃべっているのか、結果的にそうなっているのかが大きいと思いますけどね。若い頃はわかった風でしゃべっちゃって何言ってんだってコテンパンにやり込められたりね。煙に巻くために抽象的に話すのではないと思うけど、イライラしている大人の人は「要するに何が言いたいの」的なこと言っちゃいますよね。前述の馬鹿うんぬんのセリフを言った人はわかっていて抽象的にしゃべっていると信じたいですけど^ ^

知っていること=今すぐ役に立つこと、みたいな図式はこの10年ちょっとで加速していますね。大人になって答えがひとつではない世界に来たのにみんなが正解を求めている感じ。

大学生までが「コスパ」「タイパ」という言葉を使う。いちばん時間が自由に使える時期かと思いますけど、今の学生は真面目なんかな。僕らは情報を探し求めて運良く辿り着けるかどうか、みたいな感じだったけど、今は手元のスマホにまで情報が来てるから、そこに手を伸ばさないことが怖いんでしょうね。時短までして映画見ることになんの意味があるのかと思うけど、それはやむを得ない事情なのかもしれません。

このことを取り上げている本が「ファスト教養」。

僕らが若い頃からこういうのはあったから、いまに始まったことではないと思います。僕らの頃は「実用書」と言われていたと思う。それから「ビジネス書」、「ハウツー本」、「自己啓発本」、「ノウハウ本」、いろんな呼ばれ方をして来た一連の種類の本がある。

就職して一年だった頃だったか、友達の家に遊びに行ったらこういう本で溢れていて、あー俺はなんも考えてなくてダメだなあなんて思った記憶があります。ところがその後一時期興味を持って何冊か手にとって、答えがないなあと思って以降読むのをやめた。

書いたその人=成功者の例ですけど、その人にはなれませんからね。選ばれたいとは誰でも思うだろうけど、そんなに簡単に選ばれんやろって思わないのかな?僕は自分がセンスあるとか思ったことないので、すごい人見るとすごいなーと思うだけでその人みたいになれるとか思ったことないのでちょっと理解できない。逆に言えば、そういう本に強く影響される人って、自分がその選ばれる人にはなれないかもしれないという、強迫観念みたいなものに付きまとわれることになるんかもしれませんけど、もうね、承認欲求って言っても、僕程度があると思うんですよ。子どもの頃にお前ほんとに手からスペシウム光線出せたのかとかライダーキックで相手が爆発するほど飛べたかとか冗談みたいなことででも、自分はスーパーマンではないということに向き合わされてきた歴史だと思うんですよ。それがなんで仕事だと自分が成功者になると思えるのか?本来ならそういう、場合によっては極端な例を見ながら自分はどうするか考えるのがこういう本の使い方かなと思いますが、同じことができる、する、みたいなのはどうなんかな。これは僕が年をとったからそう思うんでしょうか?

成功者は教養がある。それって人の深みとかそういうことですよね。現実世界で、目の前にいる人のどれくらいを知っているか。もうごく一部だと思うんですよ。家族でさえ。それが他人になればまだ減る。そのほとんど見えてない部分にあるもの。

偶然語った一言やらなんやら、醸し出されるもの。言葉にならないもの。一流だなあと思う人が持っている「教養」というのはそういうもので、一流の人同士が分かり合える感じって答えのない、その人なりの哲学的なものじゃないかなって思います。だからこそ聴く価値があるというか。それはその時のために学ぶ的な姿勢では決して手に入らない。たぶん好きの追求度だと思う。

すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる。よく聞く言葉ですけど、教養って役に立つとか立たないとかそういうのとは違うんじゃないんかな?

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